3月7日、祖母を送った小学生の雪の日を思い出した日。この日に固い蕾が、二つだった、我が家のクロッカス。
雨に紛れている二日ばかりに、蕾が四つに増えました。(ニッコリ)
昨日の激しい風雨に、最初の白は、折れて散ってしまったけれど。
さぁ、開きます!と聞こえる紫、そして、私もっと陽射しに応える、次の蕾たち。
嵐の後にも、花は咲く。
きっと、きっと、花は咲きます。
9年前。あの日の昼も明るい空でした。
防災拠点になる機関施設の耐震建築ですら、例をみない程にゆれて。緊急発令をうけて、持ち場について。長く続く揺れに、スタンバイのままを宣言して。
緊急ラジオをつければ、悲鳴がきこえる。
そこから祈りながら、次に備えて動き出したチームに届いたのは、津波の知らせでした。
声もなく立ち尽くす私達を正気にしたのは……非常電源起動のアラームでした。災害支援の準備をしなくては、と、自分の手を握りしめたのを思い出します。
津波と火災に変わり果てた東北の空に、冷たい雪がふった、あの日の次の日。
天に情けはないのか? 人間は小さい、と切なく思いました。
3月、4月、6月、9月。
人の暮らしは帰らなくとも、回りの花々が、訪れる私達を励ましてくれました。潮に覆われた大地に、負けない木々や花たちは、救いの使者のようでした。
ここに居る人達を、どうか励ましてくれと、木々に祈ったことを思い出します。私達も、居るだけで安心してもらえる木々のように在りたいと、願いました。
あの日。
変わってしまった暮らしに、一生懸命、生きてくださった方々に。
お疲れ様でした、少しでもお楽になってください、と今年もお願いしたい、です。
私達は覚えていて、何が出来なかったか、次はどうするか?を考えて、準備し続けていきます。
そんな険しい想いを抱きながらも。
花は必ず咲く! それを信じています。
そして、被災地だから応援ではなく、「美しま福島」を微笑んで話せる時がくるのを信じています。
2020年3月11日に 過労死予備群 謹書