トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

堰を作る

2011-04-11 | 水辺環境の保全

Photo  Photo_2

 トンボ池に給水する水路まで水位を上げなければならないので堰を作る。溝の幅も高さも1m以上もあるから土嚢1列では水圧に負けてしまう。そこで盛る土もないから丸太を積み上げて重力式のダムにした。水漏れは土嚢で大丈夫(だろう)。

 午前中かかって丸太を定尺に切断し運び積み上げた。運ぶ距離は100mはあったから、けっこう大変な作業だ。ようやく地表と同じ高さまで積み上げたが、水路の掘り切りは残ってしまった。もう1日必要というところだ。

 現実的には水路の深さと傾斜が落とし口より高ければ良いのだが、水を張ってみるまで高低差は知る由もない。あと土嚢を一段積み上げれば水路の方に水が回るだろうから、水位を見ながら水路を掘り下げ修整とする。さてどうなるやら。


二十四の瞳

2011-04-11 | 感じるままの回り道

 テレビで映画「二十四の瞳」を見た。小学校低学年の頃、学校の映画鑑賞で見た時以来だから50数年振りくらいにはなる。
 記憶の部分は「自転車通勤」「落とし穴で骨折」「大石、小石」「戦死で欠けた者がいる戦後の再会」シーン程度だ。当時の年齢からして、映画に込められた監督のメッセージなど知る由も無かったろうが、数多、学校で引率鑑賞した映画で記憶に残るのは「二十四の瞳」だけである。
 監督が伝えたかった事は別にして、二回目の印象は「背景の山がことごとく禿山」だったと言う事である。今の小豆島の山の表情は知らないけれど、戦前・戦中・戦後に山の荒廃が進んだことは承知している。それを踏まえても「見事なまでの無残さ」である。
 島内の島バスが時代と共に大きくなり道路も広くなっている点などに気配りを感じた。そして衣装の生地も時代を感じるそのままの風合いがあったが、それは今日の映画やドラマの衣装の中では全く見られなくなった臨場感だ。
 一方で、それぞれの世代を演じる似た俳優を見つけたものだと感心した。それは今の映画でも感じる時があるけれど、世代ごとに人数を揃える事は更に大変だったろう。ラストの謝恩会は激動の時代を波乱万丈生き抜いた者の「生きている事の喜びと哀しみ」が伝わってくる。それは何時の世でも名も無き人たちの生き様でもある。
 今、東日本はまさに、その真っ只中に在るけれど、無差別大空襲、ヒロシマ、ナガサキなどの大惨事を経ても復興させてきた人の力を信じたい。