トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

越冬場所物色中

2017-10-06 | 小父のお隣さん
 道具小屋で作業をしようと、普段は動かさない落とし戸を引き上げたらシロマダラが出てきた。シロマダラは年に一度出会えるかどうかの、七夕様より稀有な相手なのだ。

 当然出会いは突然やってくる。それも大体が「越冬準備のため」と思われる場所での出会いである。地表面に居た時は無く、おおむね乾燥した木材、木屑、木片の中からの出現だ。タカチホヘビはシロマダラに負けず劣らず視認機会のないヘビだがシロマダラ程興奮しない。
 思うにシロマダラは小説「斑の紐」に連想が行き、少年期のラジオドラマの台詞「紐よ紐、斑の紐!」と言いつつ絶命するシーンを思い出す。それに引き換えタカチホヘビは天孫降臨の地「高千穂」すら想起しないので、言ってみれば倭人としては程度が悪い。

 それはともかく、以前「見たい」と言っていた事を思い出しS氏に電話したら早速友人を連れ向かうと言う。小生は撮影だけしてバケツの中に入れ作業を開始した。
 到着時間近く、駐車場まで持って降りようとバケツを覗いたら影も形も無かった。体長より深いバケツだったから大丈夫と読んだ大失態だ。ほどなく到着したS氏と友人には平謝り、失敗失敗。

 この事を会友のY氏とY氏に話したら「石垣でも上るし」とか「柱だって巻き付かずに上る」とか言われ、私とした事が…で目ん玉白黒まだらになってしまった。
 カブトムシ用の蓋つきペール缶はヘビを置いた頭上の庇にぶら下げてあったのだけれど、この時は全く気が付かなかった。後悔先に立たずでヘビにしてみれば危機一髪だったろうが、ヘビに毛は無いから「危機一鱗」か…。

                   

こぶ取り爺さんになった…

2017-10-06 | 今日は真面目に
 「こぶ取り爺さん」と表記しても世間には伝わらなくなっているだろうし「昆布」か「鼓舞」か「小太り」かい、なんて思われるかもしれぬ。
 当地は北海道でないから「昆布取り」はないし「鼓舞」するほど酔狂でもなく、裕福でないから「小太り」などとは無縁の、言ってみれば「無縁仏」寸前の平均台にいる。

 吐与太話は老いと記…違う、置いとき、一応は終いにした分水池の作業に戻った。分水路と泥水池との狭い部分に開墾したころの名残だろうか、盛り上がった部分があり、これを削れば分水堤下手の埋め立てに使える。
 着想すれば身体が動く、と言うより脅迫的に動かされてしまう心的問題が発動してしまうので、コマーシャルではないけれど「もうたまらない!」、古くは「どうにも止まらない!」であって、こういう傾向を「今日迫的心系症」とトロル翁は診断する。

 量的には一輪車10杯分程度だったが、それでも堤幅が倍になったから強度と共に見た目の安心感も向上した。我が心が「得心する」事態は老年期精神衛生上、大切な要素だろう。
 しかしそれは、金やグルメ、はてまた旅行など世間様領域で達成できなくて、身を削って関わらねばならないところに吾が身の瘤の難題があり、まあ、自分の瘤は取れないものである。

 埋め立ては終わっておらず、北側棚部を削り用土を調達すれば「もう一日」の見通しなのだが、連日作業で腰が悲鳴を上げてきた。これ以上の連続は無理なのでしばらく放置になる。「今日迫的心系症」としては、これも辛い。
 まあ、神君曰く「人の一生は重荷を背負い坂を上るが如し」と喝破されたが、今の小生は「坂を下るが如し」になった。そうなるとやはり「鼓舞」は欠かせず「このコブは取る、ここは鼓舞する、小太りは避ける」と耄碌する暇が無く、つながらない木久翁師匠がうらやましい…。
 

  削り取る高さ   平坦になった   埋め立て部から