トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

土を掘る掘る心は折れる…

2017-10-12 | 小人閑居して憮然
 フイールドのあちこちで猪の掘り起し被害が甚だしい。どういう訳か人為的にかかわっている部分の被害が大きいのだ。それも「致命傷だろー!」と叫びたくなる重要ヶ所を攻撃する。「このハゲーッ」と怒鳴ったところで相手はいない。もう心は折れ気味、入院したいが、それではさらに荒れてしまう。
 政府の方針の様に、高齢者は死ぬまで働け、社会的弱者は自助努力しろの反映か。地位や収入が血税で保証され能天気で良いなんて、止められない訳だが猪豚とおんなじ生き様でもある。

 フイールドは広いのだから「他の場所で好きなようにしたら」と思っても猪の好みとは正反対なのだ。植えて活着していない若木、畦や堤など構造上必要な場所が何時も破壊されていく。今回、降雨の後見回りしたら、苦労して積み上げた堤が高さを減じるほど崩され、法面に植栽したソヨゴの幼木も無残な姿を晒していた。

 他の場所も大なり小なり同じ状況で怒りを通り越し、心が折れて放棄しまいかねない瀬戸際にも思える今日この頃だ。もう「ならぬ堪忍するが堪忍」で、このセリフは爺様だったか婆様だったからいつも言われていた。
 小生が達観するに、棚田や永田、金田や稲田、豊田等の猪豚は、民は観念し民の堪忍で生かされているに違いない。環境を守る要、表土はなんと儚く弱く、猪豚の皮は何と厚い事か。まあ、バリアーとしての皮は厚くし、むさぼり生きたい種族の習性なのだからしょうもないか…。

          沈泥池の堤     棚田の補強緩斜面 

今日のトンボ「尾羽打ち枯らし…」

2017-10-12 | 小父のお隣さん
 判明し難い  ➡  角度を変えた 
 9月にもなると翅の傷んだトンボやチョウを見かける事が多くなる。これはこれで自然の摂理でもあるけれど、「ものの哀れ」を感じないわけにはいかない。10月ともなると種類も個体数も極端に減ってしまう。
 大方はマユタテアカネだ。それでも時折はオニヤンマも出るしオオアオイトトンボは日向に出てくる。
 
 9月終わり頃、数が激減したクロスジギンヤンマはほとんど目にしなくなった。大型トンボの飛翔の仕方も盛夏の堂々とした雰囲気は無く、どことなく弱弱しい飛翔を見せてくる。シオカラトンボからアタックを掛けられると水平飛行でかわすのではなく上昇し避ける行動が多くなっていくが、その獰猛果敢なトンボでさえ見る影もない。

 「シオカラトンボでなければトンボにあらず」とでも言いたい種族も、けっして驕っていたわけではないけれど「驕れるもの久しからず」なんて一節を思い浮かべつつ姿を追うのだ。大型のトンボは降霜の頃には姿を消す。
 赤トンボの見納めは12月8日頃と、自分なりの経験則なのだが、どうしても別種の「赤トンボ」も連想してしまう。