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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

虫は無視して無心で抜去

2018-08-04 | 水辺環境の保全
 いったんはクロコノマチョウが「羽化するまで…」と抜根除草を中断した葦であったが、いったん踏み入れた泥沼からするのは容易ではない。
 一晩おいて「周囲の刈り払いを行う」予定だったものの葦のコロニー風になっている池を眺め「やはり抜去しなければ後々大事になるから…」と手を出した。まあ、手を出す前に脚を出さねば池には入れない。

 周囲のまばらな葦は抜き取ってあったものの中核部分はそのままで、やはり抜去は力仕事になった。とはいえ「力任せ」では地下茎が残ってしまう。「力任せ」の塩梅が必要である。
 スコップを株元の周囲に差し込み根茎を浮かせ抜き取るのだが、葦の地下茎は浅く軟らかい泥土の中にはない。硬い基盤層の中を走っている。ゆえにスコップは足を掛け押し込む必要があり、押し込んだら浮き上がらせるために倒さねばならない。

 この作業で手のひらが痛くなって翌日でも痛みが残っている。地上部なら足の位置移動と姿勢を対応するのは簡単だけれど泥中の足を抜き姿勢を整え両手でスコップの先を押し上げる事は、葦を抜くより足を抜くのに多大な労力を消費する。池に立ち入っての作業でも涼しくとも何ともない、どちらかといえば泥なのか汗なのかわからない有様になっている。

 葦の茎は鉛筆程度でも地下茎の径は倍以上もあるのが当たり前で抜くのが大変で、この地下茎が基盤層で腐食すれば即漏水孔の完成となってしまう事もよく承知しているからこそ、更に太く縦横に回らぬうちに抜去する事にしたのである。
 もともと葦を生やす場所ではないし、ここに住み着いた虫の不運だと無視したのであった。大事なことは「漏水要因を潰す事」にあるのだし、クロコノマチョウは水辺の生物ではないのだ。

 虫一匹の「命の大切さ」を最優先すれば水辺を失いかねない葦の脅威は維持管理していなければ実感できないだろう。特に棚田の様な段々地形部ではその影響はダイレクトで、漏水は構造破壊まで引き起こす要因なのである。
 ここは棚田跡で稲作はしないが湛水されなければ戻ってきた水生生物は絶滅する。まあ、小生が手出しできなくなれば「送水は止まる」し「水辺の消滅」で、遅かれ早かれ絶滅は「お約束」でもある。
 早い話、現世でも「三途の河原の石積み」は人生にも「不要の要」として存在するのだ。

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こけら版 「とりこし苦労」 3 (水面の幼鳥)

2018-08-04 | 旅行記
 「トンボ撮り爺はどこらで迷うやら」の合間に通る道すがら見かける鳥も撮影する。バードウオッチングなどはした事はないから蝶の代わりとは言え意思を持ったのは初めてだ。

 トンボ自体は水辺で狙う事になるから、いきおい水鳥も目にする事になるのだが、大型の鳥は珍鳥でも興味は薄い。大小いれば雛鳥に関心が行くのは自然の成り行きでもある。

 母鳥の後に従って行くのは最初の頃で、日増しに前後左右に展開し移動する姿を眺めていた。ところがどうも数が減っていく。湖水の水面では遮るものもない丸見えな事も影響するのだろう。

 それでも葦類の茎がまばらにでも生えている部分では安心できるのかバラバラで採餌行動を見せてくれた。最初の頃は握りこぶしにも満たない大きさでも一週間もすると結構しっかりした体型になるのだなあと独りごちる。
 そこに感じ入っても数を減らしたと言う親子の受難の現実は申し訳ないけれど「減ったか…」と言う程度なのだった。小生が関与など出来ない別世界の出来事、とりわけ、とりこし苦労なぞはしない。

              

                       


                   守られつ諸行無常や雛の数