31日は火星の大接近日で、若き日の天文ファンとしては眺めずにはおれないはずなのに窓越しに一瞥しただけで終わった。口径90mmの反射望遠鏡も甥っ子世代に渡して今はどうなっているやら…。日給月給の時代、少ない給料の中からツァイスの接眼レンズを揃えたのは贅沢の限りだった
当時、高井戸だか吉祥寺だか忘れたが田舎の自宅程度の規模で望遠鏡を制作していた高橋製作所にも行ったけれど高くて手が出なかった。この高橋製作所は現在は世界のトップを走るメーカーになっている。
それはともかくとして、「赤い星」は火星では無い。アカボシゴマダラの事なのだ。刈り払いを終え沢水で身体を拭いて一休みしているところにアカボシゴマダラが飛来して小生の車のルーフに降りた。
「火星大接近」とはこの事だったのか…余りにもタイミングが良すぎて勘ぐってしまいそうな出来事である。まあ、家政は火星夫、いいえ家政夫として大接近せざるを得ないから、小生は毎日が大接近なのである。
しかしながら思い返してみれば昨季は大発生があって今期もそこそこ目にするが、自宅の生垣で産卵を見ようとは思わなかった。市街地でも食樹さえあれば寄り付くと言う事だろう。こうも至近でアカボシゴマダラをたまたまと言うのに出会う頻度は他の人に勝るはずだ。
勝ったところで自慢の種にもならし星と糸では雲泥の差で「なんでだろう、なんでだろう」と猛暑の中、両手をカイグリカイグリして「いと哀し」と思ってしまう信心深い小生でもある…。
でも、このアカボシ、取って付けた様な塩梅で、綺麗に見えるけれど痛々しい感じもする。小生的にはアサギマダラやシロマダラが好みで小説「斑の紐」は恐い。当時のラジオドラマの台詞「紐よ紐、斑の紐…」と言いつつ息絶えた部分は今でも覚えている。
同じくラジオドラマ「アッシャー家の崩壊」のラスト、崩れゆくお屋敷の背後に輝く満月のシーンも怖かった…。ラジオなのに映像として脳裏にあるのだ。