夏の昼間でも暗くて一人で入り込むのに薄気味悪い林内が、ようやく見通しも良く気持ちよく入り込めるまでになった。欲を言えば間伐をしたいのだが胸高直径30センチ以下でも15m以上はある立ち木だし、掛かり木になると翌日以降の処理とはいかなくなるから当座は手が出せない。
除伐は草刈りに追われるシーズンを避けて行ってきたが「それで良かった」と思えたことが一つだけあった。
それは密生していた孟宗竹の葉に隠れて判らなかった高所のスズメバチの巣が2箇所あったためだ。夏場や秋の蜂の攻撃性の高まる時期に刺激を与えたら、きっとひどい被害を被っていたはずだ。
浸食された急斜面の不整地では逃げることなど到底無理で、ボコボコに刺されていたに違いない。いくら緊急キットを携行しているとは言え避けたい事態である。
此処が終了したため作業の場が更に奥まったが、通るたびに視線を向けてしまう場所だ。
2月の定例会にあわせて、昨年に引き続き二回目の取材となった。予定では実生苗の移植だったのだが、急遽、侵入竹の除伐作業に変更する。
朝は霜が降りた寒さだったが、日中は寒さも緩和されて日陰でも震えるほどでなかったから、動きの少ない取材スタッフでも助かっただろう。
とは言え、紅一点のインタビュー役は寒かったのか杉花粉のせいか少々可哀想だったかな。普段は空調の効いた場所が仕事場だから、ワイルドな場所でのお仕事ご苦労様!
さて、作業地の孟宗竹の一部は急斜面で、その上部は落葉樹の懐にもぐっており、根元にロープを掛けて引きずり落とさねばならなく、これは少々難儀だった。
ともかく好天に恵まれてトラブルもなく終了したから、これはこれで良しとせねばなるまい。ただ一点、木の幹にくっついていた「謎の物体Ⅹ]は一体なんだったのか。生物体なのか幹の瘤なのか全く不明だった。いわゆる「未確認付着物体」である。今夜は眠れない。
「馬の背」と呼ぶ東西に伸びる尾根筋の両脇も侵入竹に席捲されていた。写真1は遊歩道を開いた後だから明るく光も届いているが、当初は全て孟宗竹で覆われていた。
写真では左側になる谷は光が入り込まなかったため、林床の崩壊が激しく根こそぎ倒れた杉・ヒノキが交差している谷だった。
ようやく谷の南側の孟宗竹を取り除くことが出来て、光の無い谷に光を届けることが出来た。光の届く林内に立ち入ってみると清々しい気持ちになるが、一方ではバランスを欠いた感じのする風景でもある。
これは数年掛けて、草木の成長に合わせて落ち着いてくるのを待つしかないのだが、会友の世代が世代だから話題にするといつも苦笑することになる。
席捲していた孟宗竹を除伐した南側斜面の空間は植物の数も種類も少なく痛々し傷跡そのものだ。
明日19日は雨水だ。昨日は二つ玉低気圧で首都圏はセオリーどおりの降雪となった。当地も昼過ぎくらいから晴れ間が出るという予報を信じて出かける。
降りそうな空模様だったが根笹のヒコ生えを刈払機で刈り払って、ついでに侵入竹を十本ばかり切り倒してきた。どんよりとした空が覗いてきたが、それよりも上を覆っていた竹の葉が除かれると一気に林内の明るさが増す。
朝までの降雨で何処も濡れており、尻を落とす場所も無いから立って握りを頬張っていたら小さな新芽が目に付いた。良く見るとあちらこちらで萌え始めている。アケビの芽も展開し始めており、もうすぐ新芽が食べられると思うと嬉しい。
木々へのサービスにと思って、木に巻きついている太い蔓を切ったところ、ミルクのような樹液が滴り落ちてきた。
そういえば、少々時期を逸してブドウの剪定をした時も樹液の流出が一日たっても二日たっても止まらなくて、ビニールテープぐるぐる巻きで手当てをしたことがあった。翌日には巻いたテープが膨らんでいた。
まだ二月だけど春の息吹きは駆け足だ。
杉・ヒノキの混合樹林の隣に茶畑跡があって、中央に栗の木が4本 生えていた。一本は既に倒れて原型を留めないほど土に帰りつつあった。一本は立ち枯れていて、残りの二本も周囲を孟宗竹に囲まれ樹冠部分に僅かに葉を茂らせている状態の頃にフイールドに入ったのだ。
茶畑の名残の段々も形が浸食され面影をかろうじて残している。茶の木は中央部には株の痕跡も消えて、竹の侵入が少ない部分に何株か残っているだけだった。
当初は栗の枝に触れている竹だけを除伐して採光を計ったが、それで済むはずも無く、ようやく周囲の侵入竹を取り除くことができた。
その結果「光の効果は絶大だ」と思えたのが翌年の夏の頃である。写真の2がそれに相当するが林床の植生が復活して、二夏目には光が届くようになった部分の緑が一斉に萌えたのだ。
栗の木は列植されていたから茶畑の日陰を兼ねていたのかとも思ったが、僅かな葉数で秋にはまだ実を着けることを忘れてはいなかった。昨年も栗の毬だけを見ると着果は増加してきたのはわかるが、猪にほとんど漁られて口には入らなかった。
竹を征伐した後はコナラ等の落葉樹を植えるか果樹とするか考えてもいないけれど、そのうち案が出てくるだろう。しばらくは手を入れるのが優先だ。
畜生餓鬼も それなり持つに
内的規範 人は棄て ハア コリャコリャ 弥生姐さん
渡りに舟は 船頭次第
渡りに金は 地位次第 ハア コリャコリャ 木腐人
大樹の陰は 当てには出来ぬ
握る硬貨が 命綱 ハア コリャコリャ 蟻子
孔子様品性下劣打つ手無し 論外
貧性は下劣では無い金も有る 大偽士
寄る辺無し大樹腐りて影も無し トロル
「詩を作るより田を作れ」という諺に触発された訳ではないが、一面の葦原になってしまった棚田跡を復元したのは昨年の早春だった。水辺環境に乏しいフイールドなので生物多様性の維持も考えなくてはならなかったし、景観ポイントとしての変化も欲しかったと言うのが実感だろう。
水田として活用する、と言うより浅い湿地としての形態で維持したいのだが、これが意外に手数が掛かるのが理解できるようになった。
それはともかく、水を張ってしばらくもしないうちに絶滅危惧種の「ミズアオイ」や種は鑑別できないが「金魚藻」の一種がいっせいに芽生えてきたのは感動だった。拠点近くの水溜りに絶滅危惧種の「何とか」という藻が存在しているのだが、水系が異なるが同じ種だとうれしいが…。
夏になると子どもの頃に田んぼで見かけたことのある植物が、これまた畦を覆ってくれたのだ。種子で生きながらえていたのだろうが草刈りをしながら感心しきりであった。動物は猪が畦や水路を穿り返して血圧を上がらせ、低めの血圧改善に貢献してくれる。「水田療法」を考えてみる価値はありそうだ。
また夏場のトンボの種類にはびっくりした。「何処から湧いて来たのか」と思わざるを得ないほど普段目に出来なかったオオカワイトトンボ、キトンボなど初見の種類もあったからだ。
魚類は全く生息はしていないがカワセミは飛来して採餌行動をする。きっとカエルやイモリの類を捕食していると見ているのだが…。イモリはアカハライモリだ。これもレッドデーターブックに掲載されているとの話を聞いたが、このフイールドにはウンザリするほど生息しているのだ。ちなみに小生には、あの赤と黒の腹模様は気持ちが悪い、のだ。
田起こしをしていた時、泥水の中から一瞬「サンショウウオか?」と思った生物が姿を見せた事があった。確認しようかと捕獲を試みたが見失ったことがある。今年は確認できるかどうか、そろそろ畦作り、田起こし、水路の補修をしなければならない時期になった。
アズマネザサの密集した林内を刈り払って足元も危なくないようにしてから数年、時折子ども達を引率したグループが入るようになった。
拠点近くなので、たまたま定点撮影に立ち寄ったところ、ここも唖然亡然愕然としたい状況だった。近くのNPOが環境学習活動の一環で真竹を切って活動するのは話があったから承知はしていたが、宴の後はガックリするものだった。
活動が終わった後は「後は野となれ山となれ」状態だった。竹が一面に散乱して「あえて散乱させた」状態なのだ。参加者から会費を取り指導者が複数付き添ってこの有様だ。
更に先へ進むと新たな小屋が出来ていた。これも横に除伐するほどある孟宗竹でなく、少ない真竹を使用していた。使いやすいのは理解できるけど…。
このような活動は「パブリック」なものであると理解していたのだが、そうではない一面を見てしまった思いだった。
われわれボランティアグループの活動は、プライベートな事から端を発しているが少なくとも「公共」という視点は外れないようにと戒めていたのに、お上から税金を受け取って活動している彼等の姿勢は何とも…だ。
思い返すことなどしなくても、昨今マスコミには類することが連日ごまんとある。政界・財界・企業・法人・協会などなど「万人」の部分が「蛮人」に掏り替っている。