GITANESと財布さえあれば安心だった頃が
いちばん良かった。
それとは無関係に・・・。
私が勤める会社にも、当然ではあるが各種の定型書類がある。
休暇の届けや出張届け、その精算用紙などがそうだ。
フランチャイズの事業部に従事する者は、それこそ山のような
書類と日夜格闘しているが、会社内部だけの書類は
おそらく他社と比べると少ない方だろう。
例に挙げた休暇の届け、出張届けなどの他にはあまり思いつかない。
物品購入伺という書類もあるが、ほとんど誰も使っていない。
企画書という文化も根付いておらず、たまに必要に応じてそれを
作る人もいるが、もちろん書式も一定していないし企画書が
作られること自体稀である。
稟議書というシステムもない。まったくない。
例えば億を超える投資の案件(新事業展開や出店、不動産投資など)が
あったとしても、稟議書が作られることはなく、ほぼすべてが
口頭で進行していく。それがいいとか悪いとかの話ではなく。
参考資料が作られることはあっても稟議書が作成されたり提出される
ことはない。
誰が誰に対してどんな提案をしても自由である。
それを思いついたものが、整合性や経済合理性のとれた説明ができる
なら、どんな提案をしても許される(誰もやらないけど)。
いや、その手の書類や文化がないからといって、なんでもかんでも
口頭で提案した事案が通る訳ではない。
書類なしで○億円の投資が決まることもあれば、数千円の買い物が
却下されることも多々ある。
こういう流れは問題も多いのだが、しかし組織の中の風通しがよかったり
意思決定スピードが速いというメリットがあり、これは大きな利点である。
しかしながら、組織の中にはたまにバカなことをする奴がいたり、
問題が発生したり、人数が増えてくると「文化」だけでは統治できなく
なってくる。
仕方がないので書類や手続きが増えていく。
そうしておくと書類を出すほうも受け取る側も安心だからだ。
そしてその安心と何かを引き替えに手放すことになる。
こういう点だけを見ても、所帯は小さい方が扱いやすいと思う。
その方がいいと断言する訳ではなく、
懐かしんでいるわけでもないのだが。
あ、ただ書類仕事が面倒なだけなのか。
| Trackback ( 0 )
|