GITANESを吸っておきながら、決して正しい生活などと言わないことだ。
それとは無関係に・・・。
朝目覚めたら突然デジカメが欲しくなっていたというような経験がある。
皆がそうなのか自分だけの現象なのかは知らないが、とにかく昨日まではそうでも
なかったのに、起きたら俄然ほしくなっているという朝がある。
そこでガバッと起き上がり買いに走るというところまで極端なことはしないが
それでもそれほど時を経ず買ってしまうことは、なくはない。
そうまでしてカメラを買ったのに、手にした途端実はそれほど撮りたいものが
ある訳でもないということに気づいていしまう。
よくあることである。
無性に万年筆が欲しくなって、買うのだが
特に書きたいこともないという事実は後にわかる。
ちょっと大きめのバッグを衝動買いしてしまうが、そんなに入れたいモノもない。
多分クルマを乗り換えても、特に行きたい場所がある訳でもない。
ムダだ。誰もがそう思う。自分自身も例外ではなく無駄だとわかっている。
ムダのない生活というと、アレだろうか、丁寧な暮らし というものなんだろうか。
何かを手に入れるときにはじっくり吟味して。
お気に入りを少しだけ手に入れて。
気に入ったものだけに囲まれて。
この、「て。」で終わるあたりなんか、とても「丁寧」感があるじゃないか。
いや、その通りなのはよくわかっている。
別に何か特別に撮りたいものがある訳でもないのにカメラを買ってしまうよりは
毎日使うタオルに凝った方がいい。
手触りと吸水力に優れたタオルを使うとき、「なんだこの、何でも十分吸い取りますという感じは!」
と毎度ちょっとばかり驚いてしまう。
大き目のバッグを衝動買いするよりは、毎夜必ず使うパジャマにお金をかける方がいいだろう。
大きいバッグの登板頻度なんかより、パジャマとは夜毎のつき合いになる。
もっと大きくて使いこなせないほどの機能が満載のテレビを買うよりも、
茶碗とコーヒーカップを入念に選んだ方がいいだろう。
ああ、なんて丁寧な消費感だろうか!
わかっている。その通りだ。
そしてそれはできないことだ、私にとって。
菓子はできるだけ手作りで・なんてもう、丁寧な暮らしチャンピオンだろう。
しかし、カントリーマーム・チョコまみれの方が食べてみたい。
土鍋でごはんを焚けば、多分土鍋で炊いたごはんの味がするだろうけど
どちらかというと、象印やタイガーに頼りたい。
丁寧な暮らし というと、どういう訳かブリキの白い如雨露を持って
いくつものプランターに水を遣っている絵が浮かぶ。
その時点でその「丁寧な消費ぶり」は何かに毒されている。
そう考えてしまうから、丁寧な暮らしぶりはまだ遠い存在である。
と、思いつくまま書いていくと
いつもながらほんとに支離滅裂だな。
まとめると、
無駄遣いはしないほうがいいけど、丁寧な消費派に属したくない
ということだろうか。
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