都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
師匠から絵手紙が届きました。
今回の絵手紙は元気印のシンボル「金太郎」を描いてきました。
師匠はまだ背中の痛みが日常生活にも支障が出てきたそうです。
それで、ようやく決心して病院へ行ったそうです。
師匠はなかなか病院へは行きませんからね。私はちょっと具合が悪いとすぐ病院へ行きますよ。
病院で心電図とレントゲンの結果は異常なしだったそうです。
後日、胃カメラとCTスキャンの予定だそうです。
なんとか気合を入れていく決心だそうです。
師匠! 気合だけでは治りません。原因が分かるまで徹底的に調べてください。
端午の節句の定番といえば、元気いっぱい「金太郎」! まさかりを担いだ金太郎人形は、いつの世も愛される様式です。 金太郎のモデルとなったのは、「朝家の守護」と呼ばれた名称・源頼光の家来であり、頼光四天王の一人に名を連ねた「坂田金時(さかたのきんとき)」。 坂田金時は幼名を「金太郎」と言いました。 有名な歌にあるように、足柄山で熊やけもの達と相撲をとる程、元気で力のある子だったといわれています。 金太郎は足柄山を通りかかった源頼光にその腕を認められて、家来に迎えられます。 その後は、頼光たちと共に都に悪さをする大江山の鬼「酒呑童子」を退治するなどの活躍を見せます! こうした言い伝えから、金太郎が健康のシンボルとなり五月人形の題材として愛される理由です。 |
師匠! 今回のテーマは「病気克服」ですね。
私は、今話題の「アマビエ」を描きます。
「アマビエ」は、「疫病退散」の半人半魚の妖怪です。ちょっと可愛くアレンジしました。
アマビエ(歴史的仮名遣:アマビヱ)は、日本に伝わる半人半魚の妖怪。光輝く姿で海中から現れ、豊作や疫病などの予言をすると伝えられている。 江戸時代後期の肥後国(現・熊本県)に現れたという。この話は挿図付きで瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられた。 弘化3年4月中旬(1846年5月上旬)のこと、毎夜、海中に光る物体が出没していたため、役人が赴いたところ、それが姿を現した。姿形について言葉では書き留められていないが、挿図が添えられている。 その者は、役人に対して「私は海中に住むアマビエと申す者なり」と名乗り、「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。 《 原 文 》 文字は当時の字体(旧字体は原文ママ、崩し字は新字体に変換)。約物は現代の補足。 肥後国海中え毎夜光物出る。所の役人行見るに、づの如く者現す。私は海中に住、アマビヱと申す者也。當年より六ヶ 年の間諸国豊作也。併し、病流行、早々私写し人々に見せくれと申て、海中へ入けり。右写し役人より江戸え申来る写也。 弘化三年四月中旬
アマビコと同種 「アマビエ」という名称については、目撃記録が一つしかなく、また名の意味が不明であることから、「アマビコ」という同種の妖怪の誤記という説が提唱されている。 湯本豪一は、「アマビコ」を記述した史料例として「アマビエ」を含めて7件を挙げる。また、長野栄俊は湯本が挙げる7件の比較を拡張して合計9件としている。いずれも海中からの出現、豊作や疫病の予言、その姿を写した絵による除災、3本以上の鰭ないし足による直立という外見などが共通しており、両者とも同種と考えている。 このうち、肥後国(現・熊本県)に出現した史料例は4件、隣国の日向国(現・宮崎県)の「尼彦入道(読みの推定:あまびこ にゅうどう)」が1件ある。九州に限らず、越後国出現の史料も2件ある。 年代が特定できる最古の例は、天保15年(1844年) の越後国(現・新潟県)に出現した「海彦(読みの推定:あまびこ)」を記述した瓦版(『坪川本』という。福井県立図書館所蔵)、その挿絵に描かれた海彦は、頭からいきなり3本の足が生えた(胴体のない)形状で、人間のような耳をし、目はまるく、口が突出している。その年中に日本人口の7割の死滅を予言し、その像の絵札による救済を忠告している。
他方、猿によく似た「尼彦(読みの推定:あまびこ)」の絵が、肥後国に現れた例として、一点の肉筆画(湯本豪一所蔵)に残されている。添え文によれば、夜ごとに猿の声がするのを、柴田彦左衛門という人物がつきとめて「尼彦」に遭遇したという。湯本はいわばアマビコ考察の第一人者であるが、ここに描かれた尼彦は四肢動物であると主張している。ただ、これと酷似した文章の「あま彦」の木版画も刷られていて、そちらの絵は「猿に似たる三本足の怪獣」であったと1892年(明治15年)7月10日付の郵便報知新聞が報道している。この肉筆画と木版画は、いずれも出現場所について「肥後国熊本県眞字郡」であったとしているが、「眞字郡」という郡は実在しない。また、「熊本県」とあることから廃藩置県が断行された明治4年(1871年)より後の時代の文章と推定できる。 海中ではないが、新潟県湯沢町の田の中に「天日子尊(読みの推定:あまひこのみこと)」と名乗る妖怪が現れたという話もある。これは東京日日新聞の1875年(明治8年)8月14日付の記事になっており、だるまのような、無毛にも見える四本足の怪異が挿絵で示されている。ここの「アマヒコ」は、「尊(ミコト)」の尊号をもち、天つ神に仕える存在と見なされている点が、特異であると指摘されている。 肥後国青鳥郡の海にも「アリエ」という予言獣が出現したと1876年(明治9年)6月17日付の山梨日日新聞が報道している。ただし、これに関しては「青鳥郡」という郡が実在しないことから当時としても疑わしいニュースと見なしており、同年6月30日付の長野新聞でも「妄説」と断じている。 Wikipedia |
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
この「アマビエ」の絵を見たみなさんは新型コロナウィルス肺炎にはかからないかもしれません。
したっけ
minimarche
080-0018 帯広市西8条南6丁目7番地
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っていま
雑貨(Tukuru ・nagomu) 0155-67-5988
可愛い雑貨も、たくさんありますよ。
http://www.d-kyoya.com/minimarche/
株式会社ディステリア京屋
080-0018 帯広市西8条南6丁目7 ☎0155-22-2151
↑:友人がオーナーの店です
Chef’s Dish ノワ
詩集「涅槃歌」
私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
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私も写真の編集や似顔絵の色付けにに使っています。非常に使いやすく機能も多彩です。あなたもフォトショップで、写真の新しい世界を体感してください。以前はフォトショップエレメンツ12を使っていたのですが、全然違います。ここまでできるかというくらいです。
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コロナウィルス対策にフェイスマスクとしてマスクと併用してガードを固めましょう!