皐月晴上野朝風8
明治23年5月16日読売新聞
彰義隊23年追弔会
かねて記事にしていたように昨15日上野桜ヶ岡において彰義隊戦死者23年追弔法会を行われたが同法会は当時関係の戦友が発起したもので朝より老若男女の参詣多く、本郷白山前町日蓮宗大乗寺よって音楽大法要をおこない、浄僧18名にて殊勝な追弔の式を行い、また禅宗長安寺よりは9人の浄僧を出だしおごそかに心経を唱えたよし。また同日午後4時半頃榎本文部大臣には右の参詣をかねて博覧会に向かったと言う。
榎本文部大臣とは旧幕臣榎本武揚のことでこの日は山縣有朋内閣の文部大臣であった。本当は追弔会に堂々と参加したかったと思われるが同じ上野公園で開催している第三回内国博覧会を見るついでに出席したと言う形で報道されている。文部大臣の肩書きで追弔会に出席したということか。様々な形で旧幕臣の復権が図られていた。
旧幕臣の明治維新 樋口雄彦著より
東京で旧交会という旧幕臣の親睦会が出来たのは明治17年で会長は山岡鉄舟・榎本武揚が歴任した。明治22年8月江戸時代の懐旧の情から結成された文化団体江戸会などが首唱した東京開市300年祭が開催された。委員長は榎本武揚で委員は前島密・渋沢栄一・益田孝ら旧幕臣の名士が顔をそろえた。明治東京の発展は江戸の遺産の上にあることを堂々と訴える機会となった。
島田三郎『開国始末』で井伊直弼を開国の功労者として評価したのは明治21年、福地桜痴『幕府衰亡論』明治25年など佐幕派史観というものが出てきた時代でもあった。こんな時代だからこそ歌舞伎で上野戦争が上演された意義があるのである。
明治23年5月16日読売新聞
彰義隊23年追弔会
かねて記事にしていたように昨15日上野桜ヶ岡において彰義隊戦死者23年追弔法会を行われたが同法会は当時関係の戦友が発起したもので朝より老若男女の参詣多く、本郷白山前町日蓮宗大乗寺よって音楽大法要をおこない、浄僧18名にて殊勝な追弔の式を行い、また禅宗長安寺よりは9人の浄僧を出だしおごそかに心経を唱えたよし。また同日午後4時半頃榎本文部大臣には右の参詣をかねて博覧会に向かったと言う。
榎本文部大臣とは旧幕臣榎本武揚のことでこの日は山縣有朋内閣の文部大臣であった。本当は追弔会に堂々と参加したかったと思われるが同じ上野公園で開催している第三回内国博覧会を見るついでに出席したと言う形で報道されている。文部大臣の肩書きで追弔会に出席したということか。様々な形で旧幕臣の復権が図られていた。
旧幕臣の明治維新 樋口雄彦著より
東京で旧交会という旧幕臣の親睦会が出来たのは明治17年で会長は山岡鉄舟・榎本武揚が歴任した。明治22年8月江戸時代の懐旧の情から結成された文化団体江戸会などが首唱した東京開市300年祭が開催された。委員長は榎本武揚で委員は前島密・渋沢栄一・益田孝ら旧幕臣の名士が顔をそろえた。明治東京の発展は江戸の遺産の上にあることを堂々と訴える機会となった。
島田三郎『開国始末』で井伊直弼を開国の功労者として評価したのは明治21年、福地桜痴『幕府衰亡論』明治25年など佐幕派史観というものが出てきた時代でもあった。こんな時代だからこそ歌舞伎で上野戦争が上演された意義があるのである。