皐月晴上野朝風15-2
明治23年6月15日読売新聞
彰義隊の23回忌
昨日は戊辰の年戦死した彰義隊の23回忌あたるので榎本武揚・沢太郎左衛門・田邊太一・榊原健吉の諸氏は円通寺に参詣して大施餓鬼を執行した。(この行事に)尾上菊五郎を初めとして小団次ら歌舞伎俳優および作者竹柴其水並びに守田勘弥の代理も同寺に参詣し、菊五郎は銅製花瓶一対を、小団次は牡丹の造り花一対を奉納し、かつ新富座楽屋・茶屋・出方等より供物米百三十袋と団十郎・菊五郎・左団次を初め俳優一同より金二十五円を奉納したという。
上野彰義隊の墓賑う
苦情のため折角の銅碑を取り除き、一度は無縁の有様になった上野彰義隊の墓はその有志者の尽力によって再建となったが近頃は参詣するものが極めて少なく、たまたま昔を偲んで香花を献花するものがあるに過ぎなかった。今回新富座において当時の戦争を芝居にした以後大いに人々の懐旧の感情を起こしたので参詣人が日々増加し、駒込大乗寺の現住職は墓の周囲に鉄柵を造り、追善供養を営み、ことに彰義隊の人々および旧幕府の人々等は続々同所に参詣して香花を手向けかつ寄付金等をするものが多いという。
明治の当時もイベントがあると関係するところが繁盛するようである。また芝居も国が企画した第三回内国博覧会が上野で開催されている時期に合わせて上演した。
明治23年6月15日読売新聞
彰義隊の23回忌
昨日は戊辰の年戦死した彰義隊の23回忌あたるので榎本武揚・沢太郎左衛門・田邊太一・榊原健吉の諸氏は円通寺に参詣して大施餓鬼を執行した。(この行事に)尾上菊五郎を初めとして小団次ら歌舞伎俳優および作者竹柴其水並びに守田勘弥の代理も同寺に参詣し、菊五郎は銅製花瓶一対を、小団次は牡丹の造り花一対を奉納し、かつ新富座楽屋・茶屋・出方等より供物米百三十袋と団十郎・菊五郎・左団次を初め俳優一同より金二十五円を奉納したという。
上野彰義隊の墓賑う
苦情のため折角の銅碑を取り除き、一度は無縁の有様になった上野彰義隊の墓はその有志者の尽力によって再建となったが近頃は参詣するものが極めて少なく、たまたま昔を偲んで香花を献花するものがあるに過ぎなかった。今回新富座において当時の戦争を芝居にした以後大いに人々の懐旧の感情を起こしたので参詣人が日々増加し、駒込大乗寺の現住職は墓の周囲に鉄柵を造り、追善供養を営み、ことに彰義隊の人々および旧幕府の人々等は続々同所に参詣して香花を手向けかつ寄付金等をするものが多いという。
明治の当時もイベントがあると関係するところが繁盛するようである。また芝居も国が企画した第三回内国博覧会が上野で開催されている時期に合わせて上演した。