年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

年寄の『ポケモン GO』的歩き方

2024年06月13日 | 宅老のグチ
耐力維持のため、天気の良い日は外を歩く。ただ同じところを歩き回る動物園の猛獣から人間を見るとどう見えるのだろうかと一回考えた。多分動物の中で一番凶暴な動物と見えるかあくせく働いて、食の不安のない檻内 (母胎内」から出て、呼吸をするためおぎゃあと泣くのだろうか。

 シルバ-パスを利用して、バスの最後尾の席の左側に乘る。そうするとバス停表示が良く見える。右に座った時は風景が良く見える。普通は始発のバス停から終点まで乗るが、見るのは風景と人の動作。どこのバス停が乗り降りが多いか気になる。多くは駅と病院。でも自分の目的は漬物の文献の根拠の確認でいつも雑念で時間をつぶす。行きと帰りを別道を選べば、見る風景の異なる。坂は例外で昇りと下りは見える風景が異なり、記憶も異なる。昇りの道の視界は狭く、下りは遠くまで見える。富士見坂という地名は記憶のもたらす地名だろう。
 三回連続図書館が訪問先で閉まっていた。都営浅草線押上駅で降りて、墨田区立曳舟図書館へ行ったら休み。ここは墨田区の中央図書館的な郷土資料がある。さらに押上駅から曳舟駅に歩いてゆくのだが、次の震災で東京でも一番危険地域として指定されている京島地区は徐々に区画整理されている。昔ながらの家並みは震災・戦災・空襲を逃れていた家並みがあって、仕事していた時。この地域は危険と思っていた。海抜表示はマイナスの所もある。
 曳舟図書館から次の行き先を考えると、戻るにはつまらないので、墨田川へ向かって歩いてみた。糸-ヨ-カ堂の店を過ぎて、都立隅田川高校を通りすぎ、出会った地域の地図で現在位置を確認する。この地域は西へ向かうと普通の都市の風景だが東に向かい、見上げると東京スカイツリ―が見えて、おおよその位置が頭の中に描かれる。
 隅田川の土手の前の道に首都高速が見え、付近の地図で榎本武揚旧居跡の案内板を見に行く。細い道は正面にスカイツリ―を見ながら進む。彼は明治38年から明治41年までこの付近で生活していた。榎本と勝海舟は福沢諭吉に生き方を批判された人でもある。今調べている台湾で戦病死した北白川宮能久親王は実に評伝を書きにくい人と感じる。榎本を過ぎて、小学校の所に依田学海旧居跡の案内板を見る。この人の本で留守居役の接待の様子が理解出来た。福島事件被告人花香恭次郎が生まれたのが身分不詳の女性で歴史家は書けない人物のようだった。このことから留守居役の接待の場に駆り出させる芸者等の女子と見ていたが文献には無く、様子が判らなかった。多分男子が生まれて引き取ったと思われる。脱線調査で知った依田学海は面白い人で交友関係が広い。向島には愛人と住んでいて、学海の日記が二種類あって、向島の日記は漢文で書かれていて、愛人に読まれても多分理解は出来なかったと思われる。両方の日記は今図書館で読むことが出来る。

『ポケモン GO』は、位置情報を活用することにより、現実世界そのものを舞台としてプレイするゲームです。今やっている街歩きは予備知識を少し入れ、街を歩く。地域の歴史が記載されていて、自分の知識のない所を歩く。東京には文士村という呼称のある村があった。そこに次代の作家が集まり、文化の村が出来る。今でも文士村が生まれているのだろうか。本屋の無い町が増えていて、消える文化の最後のきらめきかもしれない。
コメント
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