年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日比谷図書館4階内田嘉吉文庫で

2024年06月17日 | 福神漬
日比谷公園内の千代田区立日比谷図書館で大日本和洋酒缶詰沿革史という本を読む。貴重書本で図書館内で読むしかない。借り出し票を印刷し、出て来るまで図書館の施設配置図を眺めていた。日比谷図書館の4階には特別室があって、一部は有料の所で良く眺めると、内田嘉吉文庫というのがあって、開架で無料のようだった。さらに台湾関係の本が多そうで、気になった。大日本和洋酒缶詰沿革史が出てきて、何回も都立中央図書館で読んでいたので、必要なコピ-するところをメモし、簡単に処理は終わり貴重書を返却した。
 そこで暇つぶしというか4階に上がって内田嘉吉文庫にはいる。カバンを荷物置きに置いて、書架を眺める。この人物の知識は自分には無いし、記憶もない。そこで管理している女性に台湾神宮・台湾神社の本が無いかを尋ねると何冊かの本が出てきた。風景の本と天皇らしき人物の台湾行幸の記念写真集だった。家に帰って調べると関東大震災の年の大正12年4月頃の訪問で、摂政だった時の昭和天皇の姿が見える。
 台湾神社は普通の神様と台湾征討中で台南の地域で風土病に罹り、戦病死した皇族・北白川宮能久親王を主祭神となっていて、戦前は台湾での最上位の神社だった。このため敗戦後に台湾を統治した国民党政府によって壊され、今では圓山大飯店という一流のホテルとなっている。
 台湾で統治していた明治日本は戦没した北白川宮の慰霊という名目で神社を創建する案が宮の死後すぐに陸軍関係者の発議があった。このことの理由は日本神話のヤマトタケルの話が出て来る。
 ヤマトタケルの神話は天皇の命で次々とヤマト政権に従わない地域の征討に従事させられ、ついに都に戻る寸前に病を受け、亡くなった。この神話から北白川宮の戊辰戦争・彰義隊戦争の参加を忘れさせ、さらに朝鮮半島での日清戦争の講和条約締結寸前に反乱の兆しが見えていた台湾征討戦に北白川宮が派遣され、病死しした。
 この派遣の史実でも学者の説と吉村昭という日暮里生まれの小説家と見解が異なる。自分としては吉村説をとりたい。
 吉村昭の小説 彰義隊 はほぼ半日の戦闘で終わった上野戦争を描いているが主人公は寛永寺の輪王寺宮でその下で彰義隊を支えた覚王院義観と西軍の有栖川宮と対立を描いている。公武合体の余波で有栖川宮の婚約者というべき女性が徳川に輿入れしたことから有栖川宮には幕府には遺恨があった。
 徳川方の江戸市民は密かに旧幕府方を支援しつつ、戦火で自分の家が燃えないように思っていたようで半日であっけなく終わり、江戸市中でゲリラ戦とならずに平定された。国家の護国神社の役割の靖国神社の参道中心地に大村益次郎が江戸城富士見櫓から上野の戦争の状況を双眼鏡をもって眺めている様子が見える。上野の寛永寺の焼失はほとんどが敗走した彰義隊員の放火と言われていて、新政府軍の砲火という声が聞こえない。明治政府の言論統制の可能性があるが記録では放火の方が多い。

コメント
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