激減する北海道特産のチョウ、リンゴシジミ始末記。
北海道特産種のリンゴシジミ Strymonidia pruni jezoensis 、英名 Black hairstreak 。 国外ではイギリス、北欧、ウクライナからモンゴル、朝鮮半島、から日本に至る旧北区全体的に見られ るとされるが欧州では減少しつつありイギリスでは最希少種とされ、デンマークでは絶滅が確認されている。
北海道でも今や希少な種類と思われ、最近では特定の小規模な産地以外では滅多にお目にかからない蝶になってしまいました。
以下に示す大きな理由のため、北海道では毎年、絶滅産地ばかりが増えてゆく状況です。
しかし、理由もはっきりせず、急速に絶滅寸前状態に陥ったイシダシジミと比べると激減の理由は、はっきりしています。
かって原始の北海道ではリンゴシジミの主たる食樹は在来種のシュウリザクラ、またはエゾノウワミズザクラであったと思われます。
私が子供の頃はもっぱらエゾノウワミズザクラの群落をチラチラ飛ぶリンゴシジミが主体で、エゾノウワミズザクラの花を食べている終令幼虫を採集したりしていました。
エゾノウワミズザクラの群落は広い河川敷や湿地に多く、やがてこれらの場所は洪水対策で盛んに樹木が伐採されるようになって樹木の無い河川敷や、畑や、パークゴルフ場、運動公園などに姿を変えて行きます。この間、オホーツクではリンゴシジミはエゾノウワミズザクラの伐採に伴いみるみる姿を消して行きました。
明治の頃、北海道開拓に伴い、入植した多くの農家の庭にはスモモが植栽されて当時は貴重な食べ物でした。しかし殺虫剤散布で実を食害する虫たちを完全に処分しなければ、とても食べられるスモモの実は収穫できず、そのためスモモの樹とリンゴシジミを関連ずける発想は全くありませんでした。
ちなみにスモモ Prunus salicina は中国などから日本にもたらされた外来種です。
平成の時代になり、河川敷などでエゾノウワミズザクラに依存するリンゴシジミが次々に消滅してゆく一方で、いつの頃からか離農した農家のスモモにリンゴシジミが発生していることが知られるようになりました。当初はにわかには信じられませんでしたが、離農して廃屋となった農家の庭のスモモに群れ飛ぶリンゴシジミを見てとても驚いた記憶があります。
離農した農家では庭に放置したスモモが消毒されることはなくなります。スモモは多くの昆虫類に利用されることとなり、リンゴシジミもエゾノウワミズザクラからスモモに食性転換することによって生き延びたのでした。
かっては道東、道北にしか記録がなかったリンゴシジミは離農農家の庭のスモモを利用することにより生き残り、かつ 札幌、道央方面に次々に分布を広げ、一時は多くの産地が知られていました。チョウ愛好家の間で御神木と大切にされていたリンゴシジミ発生スモモもありました。
このようにいわば里のチョウとも言えるリンゴシジミは日々変遷する自然環境に素早く適応しながら、したたかに世代をつないだかに見えました。
ところが現実はそう甘いものではありませんでした。
実を収穫することもなくなったスモモは、やがて一般の人たちの目から見ると、やたらと根を張りどんどん巨木化する無用の樹木になってしまったのです。
やがて畑作地に近い場所のスモモはジャガイモの病害虫がつくなどの理由で魔女狩りみたいに切り倒され始めます。
さらに北海道全域での大規模農地造成で邪魔になる離農廃屋とともに多くのスモモが伐採されました。
害虫や種々病原体の発生木となる可能性を警戒されて、植林地の近くや、人家や畑の近く、時にはラブホテルの前にあったスモモなどは蝶愛好家がネットを持ってウロウロするのを嫌って、すべて伐採されてしまいました。
オホーツクではスモモかがことごとく伐採されたために、近くに植栽された梅やアンズに食性転換し、ほそぼそと命脈をつないでいるリンゴシジミ個体群がいますが、彼らの運命はまさに風前のともしびといった状況です。
ウメについたリンゴシジミ幼虫。
スモモへの食性転換で一時、勢を盛り返したかに見えたリンゴシジミですが、一時的な発生木となっていたスモモの多くが伐採され、彼らにとってはまことに住みにくい時代になったものです。
私の実家のエゾノウワミズザクラでは10年以上にわたってリンゴシジミが発生していましたが、私が北見市を離れてから、母が庭木にヤマボウシを植えるためにこのエゾノウワミズザクラを切り倒してしまいリンゴシジミは消えました。
どう見ても、今や風前の灯の希少種で、デンマークのように絶滅を待つしかない状態のリンゴシジミですが、スモモを利用することにより復活させることは比較的容易と考えています。日本蝶類○○会、○○省など従来採集禁止種を増やすしか脳のなかった方々も含め、本気でチョウ類の絶滅をなんとかしたいと考えるなら今が潮時かもしれません。イギリスではちょっと苦戦しているようですが。
ちなみに長年、チョウや渓流魚の盛衰をつぶさに見てきた私としては、あえてこれら自然の流れに介入する気持ちが日々薄くなって来てはいます。
閑話休題。
冷静に考えてみますと、私自身も酔心してきた生態系という概念には何やら人間のおごりたかぶりが垣間見られます。
今現在、おごりたかぶっている人間も宇宙人の視点からすると、地球の生態系をかたちずくっている、知能が高いようで実はとても低い性悪な生き物、の一種に過ぎないのではないかと気づき始めた昨今です。
このおごりたかぶりに気づくとき、真の生態系保全に向かえる可能性が出てくるのかもしれません。そのきっかけをつかめず人類はひたすら走っているように見えます。
最後まで見ていただきありがとうございます。できましたらランキングポイントアップのために下記の バナー をワンクリックしていただければ幸いです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます