「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「薄桜忌 Ⅱ」

2010年06月10日 | 趣味・・エッセイ
明治30年11月28日、山口県玖珂郡横山村(現在岩国市川西町)に生まれた『宇野千代』
平成8年6月10日永眠。満98歳の生涯であった。
生前、薄墨の桜をこよなく愛したことから、命日にあたる6月10日を「薄桜忌」と名付け、関係者一同が岩国の菩提寺にて法要・墓参をして、在りし日の活躍を偲んでいる。
今年は亡くなって丸14年が過ぎたことになる。平成2年、岩国名誉市民の認定を受けて20年の節目に当たる。
           法要の読経
           墓前に合掌

今回は、生前の宇野千代さんと親交のあった瀬戸内寂聴さんの言葉を、そのまま借りてここに記してみたい。

 宇野千代さんは美貌だった。ご自分でも、べっぴんだと自信を持っていらっしゃった。
若い時、岩国で小学校の先生をしていた時から、べっぴんにふさわしいおめかしをして生徒たちに慕われていた。
 最晩年まで、宇野さんは自分をより美しく見せるおしゃれに、気を抜かれなかった。最後になった入院の時も、御自分のデザインのさくらの花びらの散りばめられたピンクの浴衣を寝間着にしておられ、数え99歳の宇野さんにそれが似合って美しかった。

 「書くということは面白がらせることではない。読者にサービスしたものはどんなに売れても一級じゃない」
 またある時「小説とはね、結局行きつく果てはモラルと、そして宗教ですよ」とシミジミした口調でおっしゃいました。男と女の話を話しをなさる時は、芋や大根の話しをするようにサバサバした口調でした。「男と女のことは、所詮オス・メス、動物のことですよ。それを昇華してすばらしい愛にするのは、ごく稀な選ばれた人にしかおとずれない」と。

最後に、「熱中する 夢中になる そして何かが生まれる」
「人間はいつだって今が最高の時なのです」という言葉を今一度噛みしめながら、薄桜忌を終えた。

   ( 写真上 : 宇野千代生家の庭を彩る、もみじ・モミジ・もみじ )
コメント (8)
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