「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「学ぶということ」

2010年06月21日 | 趣味・・エッセイ
一年に一度、「岩国エッセイサロン」年中行事の一つとして定着しつつある「岩国エッセイ教室」。
今年も、大手新聞山口支局長という、記事はもとより、評論・随筆など、ものを書くプロ集団の中でも、大ベテランの講師をお招きしての勉強会となった。

会員17名がそれぞれの役割分担。チームワークのよさとそれぞれの力量を発揮し、参加者も過去最高の44名という人数で、予定した会場が狭く感じられるほどの盛況であった。
巧拙はともかく、文を書いてみる、という我々の活動が少しずつ広がりを見せているのか・・と、また一つ気合いが入る思いである。

               

このように、ものを書くに当たって、勉強する機会はいっぱいある。
ただそれが身に付いているかと言えば、多くの場合「No ノー」と言わざるを得ない。
「学ぶ」とは、真似てする。ならって行う。また、教えを受ける。習う。とある。
「伝えきき、学びて知るはまことの知にあらず」と徒然草はいう。

とにもかくにも、多くを書いてみる。読み返す、また書き足す・思い切り削り取る、また読み返す。
さらに足すまた引く。最初に意図したものとは別の姿になってしまうこともたびたび。ただ、書こうと思い立ったテーマは見失わないように・・・。
などと、自分流に考えてはいるのだが、所詮自己満足の世界に陥り、不満ながら妥協してしまう。

たまたま過去に少しのお褒めを頂いたものを読み返してみると、やはりそこには、色んな用件が備わっていると、我ながら感心することもある、が、それが続かない。
だから、悩む。そして、今日もまた、駄文と思いながらも書いてみる。

           ( 写真:2010.6.20 エッセイ教室風景 )
コメント (11)
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