12月14日。どうしてもあの、江戸庶民を湧き上がらせた痛快劇に思いが及ぶ。
江戸封建時代の理不尽を象徴する「忠臣蔵」という歴史物語には、日本人の倫理観というか、弱きを助け強きをくじく人間らしいバランス感覚が透けて見える。だからいつまでたっても人々の歓迎を受け、拍手喝采で迎えられるのだろう。
今ひとつ、鎌倉幕府、いわゆる武家政治を築き挙げる言動力となった源義経の物語り。これもまた憐れな方に味方する日本人のDNAとも言うべき、義理と人情、それにある種の正義感みたいなものが根底に流れている。
判官贔屓(ほうがんびいき)と言うことわざさえ生まれている。
この赤穂浪士という長編小説を最初に手にして、なるほど、などと得心したのは中学校の終わりから高校の初め頃だったと思う。確か「大佛次郎」だった。
もっとも、小説を手にする前に親父さんからの口伝で、おぼろげながらの筋道は飲み込んでいた。親父さんはもっぱら、浪曲や講談など、観てきたような説得力のあるしゃべりで聴衆を魅了する講釈師から仕入れたネタだったような。
いずれにしても、幼い頃から、義理や人情を日常的に教わる社会が出来上がっていた。つまり周りの大人達が、子ども達に教える小さな教室がそこにもここにもあったような気がする。少なくとも現代のように、どうかすると弱きをくじき強きを助ける理不尽さがまかり通ることはなかったと思う。そんな我が国の社会観の変遷が現在の陰湿な「いじめ問題」の根源の一つになってはいないだろうか。などと勝手に思いを膨らませたりする。
忠臣蔵にしても義経にしても、色々新しい見方や新たな歴史観が生まれてきて、何が本当で本質はどこにあるのか、また奥行きの深い人間の持つ深層心理に迫る解釈がおろそかになったり、いたずらに興味本位になったりする一抹の淋しさもある。
色々考えるところはあるが、人間の感情の歴史の一つして、娯楽的に楽しめればそれでいいじゃ・・・という声も聞こえそうである。