枇杷の花 健羨に堪えぬ 恋観たし 中村草田男
今を盛りと咲き始めた枇杷の花。
この頃から花開き、やがて実を付け、梅雨から梅雨明けに黄色い実が熟す。
そんな枇杷の花は葉陰にあって、遠くからは見えにくいが近づくと芳香を放っている。
そんな枇杷の花のような、羨ましくてたまらない恋を観てみたい・・・と。
確かに今どきでは、この句のように羨望の的になるような、ひっそりとしたきれいな恋にはなかなか巡り会えなくなったのかな。
この句は1959年の作品だと聞かされると、エッ?その当時からこういった枇杷の花のような恋は滅多に観られない状況だったということだろうか。
いつの世でも恋とは美しいものであって欲しい、と思っていたのは、本当の恋というものを知らない若気の至りだと、今頃になって分かるようになってきのかな。
『恋は忍ぶが楽しみ 人に悟られぬ内が命ぞかし』 と言ったのは、今からおよそ300年前を生きた戯作者、西沢一風の言葉である。
初めて恋をして、戸惑いながらも熱く胸を焦がし、いうにいわれぬ思いにため息ついたりほおづえついたりしていたころ。また、思いが通じたけれどまだ恋の行方が見えずに人には秘密にしているあいだ。思いを忍び、逢瀬を忍んでいる時のときめきは、オープンな恋の朗らかな情熱とは違った、何とも言えぬ情念をかきたてるものだそうな。
ましてやわけあって公にできない、人目を忍ばねばならぬ恋となればなおさらである。恋は秘密にしているうちが楽しいもの、人に知られないうちが命だという。
その辺の感覚は、江戸時代の庶民も現代の庶民もそう変わらぬものらしい。という注釈がついている。これは個人の考えのみではなく、おおよそこのようなものだとという、一般的なお話しとしてうかがうのは楽しいものである。
近くに枇杷の木があったら、花の位置や形をいちど覗き込んでみるのもいいかもね。