「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「生き字引」

2012年12月23日 | つれづれ噺

        

師走も押し迫った今日、遠方のお葬式に参列した。
母校の学園で、附属中学校校長、高校校長を歴任された恩師のお一人が亡くなられた。高校時代には直接指導を仰ぐことはなかったが、卒業して同窓会など、学園との長いつながりの中で色々教えを請うたり、アドバイスを頂いた、人生の師である。

先だっては今一人の超ベテランの先生で、高校時代も卒業してからも個人的に大変お世話になった恩師が亡くなられている。
同窓会関連はもとより、学園の評議員であり理事として学園を支え、その発展をつぶさに見てこられた生き証人である。つまり、経験を積み、よく物事を知っている人、先例や規則に精通していて、その人に聞けばすぐわかるというような人。ウォーキングディクショナリー。まさしく「生き字引」と言われたお二人であった。

高校を卒業して半世紀以上、可愛がって頂いた二人の恩師を、相次いで失うことは、月並みながら、何とも侘しい思いがする。
個人的にもそうであるが、学園にとっても、広辞苑や古語辞典、百科大事典などを一気に失ったような、言うなれば生き字引を失ったような損失であろう。

ここにも不思議を感じることが一つある。
今日葬儀に参列した恩師は87歳。9月はじめに亡くなられたのは90歳。
お年も近く、お二人切磋琢磨して学園を盛り上げてこられた。そのお一方が亡くなられたら、その3ヶ月後にはもうお一方も後を追うように亡くなられるこの不思議。

ご高齢なのだから相次いで亡くなられても不思議などではない、と言ってしまえばそれまでだが、単にそれだけのことなのだろうか。ここが何となく引っかかる。
仲良し夫婦が、一方が逝くと間もなくもう一方も亡くなる話を何度か聞いた。
それに似た話と考えられてならない。それほどお二人とも学園の発展を願って、同じような意気で力を出し切られたのだろうか。もしそうであるとするなら、改めて私の周りは、素晴らしい人たちで囲まれているということになる。さて肝心な私は・・・??

コメント (2)
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