「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「鏡餅」

2012年12月28日 | 家族・孫話

     

毎年、大晦日を前にした暮れの28日には餅をつく。
今年も、親子3軒分+アルファのお餅つき。といっても、石臼も杵もペッタンペッタンの音もない、汗もかかない静かな静かなお餅つき。機械がウィーンと唸るだけ。

それでも2年前までは、孫の喜ぶ顔がはじけ、小さないさかいをを織り交ぜながら、大小何本もの手が交錯する賑やかな餅つき。年末の一大イベントであった。
部屋中に白い粉が飛び散り、後始末に手間を取られる大仕事でもあった。

昨年から、孫兄弟はスキー合宿に取られ、小さないさかいもない、汚れた部屋の後始末も要らない、大人の餅つきであった。
ところが、今年はまた格別なメンバーが加わった楽しい楽しい餅つきとなった。
倅夫婦がやってきて、若い嫁さんの歓声を聞きながらの餅揉みとなった。

我が家の一員となって初めて迎える年末行事。夫婦として別世帯で迎える初めてのお正月。何もかも初めて尽くしの嫁さんが喜々として立ち居振る舞う。
如何にも人生の先輩気取りで、これはね、あれはね、などとウンチクを述べたりしながら、お鏡餅ひと重ねに、ウラジロ・ユズリハ・半紙まで、お飾り一式を持って帰らせた。
年明けには、帯祝いの宮参りも予定されている身重。お鏡餅を丸める倅の手にも力が入っていたように見えた。直系内孫の誕生となる。
なにかしら大きな安堵感が鼻をくすぐる年末である。

太古の昔から満月の夜は「ハレ」の日としてエネルギーを授かると思われてきたらしい。この満月のことを「望月(もちづき)」とも言うように、月の丸い形の物をお供えするのが良いとされ、望月と同じ音の「餅」を供えするようになった。さらに、神様が宿ると言われる鏡も丸い形をしており、お供えする丸いお餅を「鏡餅」と呼ぶのは、こういった神話に基づいた意識の伝承がある。と、ものの本に書いてある。

今を大事に、丈夫な赤ちゃん誕生と、母体の無事を祈るのは少し気が早いのかな。
初詣のお賽銭をはずもう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい