1959(昭和34)年3月撮影 思い出の富士山(箱根十国峠付近)
2月23日、今日は語呂合わせによる「富士山の日」なのだそうな。
ユネスコ世界遺産の中でも文化遺産に登録しようという運動が行われている。
美しい日本のシンボルでもあり、信仰の山でもある富士山。
ふと思い出した。生まれて初めて本物の富士山を仰ぎ見たときの強烈な印象を。
高校2年から3年に向かう春休みに行った修学旅行で、初めて眺めたその雄姿に圧倒された。そして、どんなに精巧な絵ハガキも、この実物には勝てないことを実感した。
熱海から登山バスで箱根十国峠を越え鎌倉に出るコースで、十国峠頂上あたりからジックリ眺め、頭の中いっぱいにその秀麗な姿を詰め込みたかった富士山だった。
どんなカメラを提げて行ったのか、それすら記憶にないが、77×55mmの小さな小さな写真が、修学旅行思い出のアルバムに残っていた。
色こそセピアに変わりかけているが、初めて撮った富士山としては我ながら上々の出来栄え。なにしろ、思い出はいっぱいいっぱい詰まっている大切な1枚である。
もうひとつの2月23日、それは亡き父の誕生日でもある。
1899(明治32)年2月23日生まれ。生きていれば113歳という計算になる。
ついつい忘れがちな父親の誕生日だが、富士山の日と覚えれば意外にいつまでも忘れないのかな。それにしても、西暦を忘れて和歴だけで言えば、明治32年2月23日。つまり2と3で全てがまかなえるみやすい組み合わせではある。
富士山の日に合わせてたまたま親父を思い出すとは。普段如何に親父の思い出が薄らいでいるのかよくわかる。母親はまだまだ印象が強いのに。許せオヤジどの。
その後数十年たってから、富士宮市という、富士山の最も美しく見える町に何度となくお邪魔するチャンスを得ました。
これもご利益だったのでしょうか。
カメラを最初に手にしたのは、中学1年の正月に、兄貴からプレゼントされた「スタートカメラ」という、日光写真に毛の生えたようなチャチなものでした。でもそれ以来カメラとの縁は切れないんですよ。
これからは、富士山の日を忘れずに、父の誕生日に重ねましょう。
写真は、アルバムの中でセピア色に変わりかけていいますが、気持ちの中では、真っ白に雪をいただいた勇壮な富士山がそのまま残っています。
毎年、父の誕生日と重ねて。
日本の宝物、世界の宝物かもね。
初めて眺めた雄姿、さぞや感動ものだったことでしょう。何度見ても、見るたびに心に迫りますね。
早くからカメラを手にされてらしたのですね。
記憶にある懐かしい思い出もこうして写真が添えられると、また鮮やかに蘇るものがおありでしょう。
一緒に過ごされたお仲間と語り合える機会が持てるのではありませんか。
思い出もときどき引っ張り出さなくてはさび付いてしまいますね。
晴れている時は
車内アナウンスで「富士山をご覧ください」と流れます。
いつ見ても美しい風景ですね。
お父様の誕生日が富士山の日。
思い出がより強烈になりますね。
50数年前の写真ですね。よくおもいつかれましたね。
青雲の志を抱いていた高校生が初めて仰ぐ富士山への感動が、そのまま映し出されたかにお見受けしました。
富士山の日とお父上の誕生日が同じ日、これも
意義深いですね。