9月1日「防災の日」。言わずと知れた二百十日。
昔からこの二百十日を前後して、日本列島を台風が襲い、何度も大災害を繰り返したことから、この日は防災の日として、気の緩みを反省し、自然災害に対する身の処し方を改めて学習する日と定められている。
今回の広島土砂災害の後日談として「集中豪雨の予報が消防署にFAXで寄せられたのに、それを職員が見ていなかったから、避難指示が遅れた」という抗議や反省の弁がテレビで流される。
もちろん、FAXを見逃した担当者は危機感が乏しかったと言われればそれまでの話で、平身低頭謝るしかない。
でもいっくら謝ったところで今では過ぎ去ったこと。どうにもならない。
問題は、それほどの重大事をFAXで送信するシステムにこそ問題ありと言えないだろうか。
何故、消防署全館に、そして全員の目にあるいは耳に確実に届くような、音声なり、画面なりのハイテク技術が導入されていないのか。
そこを問題にすべきであろう。と、実情を掌握しきっていない人間が余計な口を出すことになるのかもしれないが・・・。
企業の製造現場で働く人たちの “安全な操業” という至上命題には、それはそれは神経を使い、ヒューマンエラーに対する設備のアップが欠かせなかった。人間はエラーするものである。エラーしても、大事に至らない二次対策を講じる。それらの提案や意見具申は、現場で働く担当者の声が直接上層部に届けられる。
もちろん上層部の危機管理意識にも個人差があって、辛い思いをしたことも数知れないが。
『天災は忘れられた頃に来る』とは、かの物理学者にしてエッセイスト、寺田虎彦氏の言葉とされている。
これをよくよく調べた人がいて、実は寺田虎彦氏が、何かの文献や講義録として書き残しているわけではないというのが今日の定説となっている、という。
寺田虎彦氏の弟子の「雪の博士」にしてエッセイストの中谷宇吉郎氏が、「先生の書かれたものの中にある」と思い込んで世に吹聴してからそのようになったが、真実は別なところに・・・などとミステリックな話になっているらしい。
まあそんなことはどちらでもよろしいが「天災は忘れられた頃に来る」という言葉は絶対に忘れてはならない。
『人間は忘れるが、自然は忘れない。そして科学の法則は、詰まるところ自然の記憶の覚書である。天災の対策を科学者に求めるのは無理である。それには人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するほかないであろう』
と言ったのも中谷宇吉郎氏である。
いずれにしても、9月1日、二百十日、防災の日。
自分の命を守る行動をとるために何をするか、この日を契機に今一度確認しておきたいものである。
昨今の天災もまたしかり、ですね。
それらに完全に追いつくにはまだまだ時間がかかりそう。
反省して対策を練って、また反省して・・・終わりがなさそうね。