隣の空き地に、真白いテッポウユリが集団で花開いている。
手入れの行き届かない荒れ地なので、うかつに近づくくことも出来ず、望遠レンズで撮影してみた。
カメラがイマイチなのか、腕がイマイチなのか。まあこの出来栄えからいくと、どっちもどっち、痛み分けというところか。
お盆を中心に、暑い盛りに咲くテッポウユリではある。
この花が咲くと父の祥月命日がやってくる。8月14日、まさにその日である。
朝の早い時間にお墓参りをした。先日の汗びっしょりの墓掃除のお蔭で、周囲の墓と比べると、なんとなくわが家の墓石が光って見える。
丁重にお供えするお菓子類は、お詣りの合掌を終わると同時に卸して持って帰る。
お茶を淹れて、お墓のお下がりの菓子を頂く。親父やおふくろと一緒に一服している気分になる。
最近はお墓の周辺を汚さないためにも、お詣りに持参したお供え物は、即座に持ち帰ることにしている。
周囲の小鳥やカラスやアリなどは、お供え物を期待して待つのであろうが、墓地周辺の民家の迷惑を考えていつのころからかこのようにしている。
41年前、74歳で逝った父。
6人兄弟の5人目、次男坊として生まれた私の目から見れば、正直なオヤジ評価はあまりいい点は上げられないのかな。
ただし、男の生き方としては、賛成はできないまでも否定するものではない、と今思っている。
それぞれに人生はある。父親の生き方によって、家族の生活は大きく左右される。
父の長い一生の中では、後半に当たる私との付き合いの31年間が、それまでの栄光とは少し異なっていたというだけかもしれない。
こんなことを思うのは、とりもなおさず、自分と息子との関係において、息子がどのような親父評価をしているのか、そんな気がかりが段々本気モードになってくる年齢に差し掛かった、つまり、父の享年に近づく自分を意識するゆえであろう。
隣の空き地のテッポウユリが、真白い清楚な装いで親父の祥月命日に花を添えてくれていると思えば、可愛い花である。
そして8月14日は、終戦を明日に控えた69年前の今日正午前、市街地岩国駅前を襲ったB-29による絨毯爆撃で、千数百人に及ぶ多くの死傷者を出した痛恨の慰霊の日でもある。心静かに手を合わせたい。 合掌
こうしてお盆や祥月命日を迎えると、亡き人を遠く偲んであげることが何よりの供養になるんよね。
父が好きだったお酒はお参りの度にお供えして、後は料理酒として使っています。
お盆には、孫や曾孫たちがお参りしてくれたので、きっと喜んでいることと思います。
今年もさらに人数が増えられて、にぎやかなお盆になったのでしょうね。
お墓参りも、大勢でにぎやかに参られると、ご先祖様も繁栄を喜んでおられることでしょう。
いつまでも元気に迎えてあげないといけませんね。