「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「バックアップ」

2008年06月09日 | つれづれ噺
地元中学校のPTA地区委員さんから電話が入った。中学校体育文化後援会への入会の打診だった。

子供が中学校を卒業して20年近くになるが、これまで毎年後援会会員としてなにがしかの会費を納入してきた。今年も格別お断りする理由もないし、かつて我が子二人もお世話になった地元の中学校ではあるし、体育・文化両方のクラブ活動のお役に立てれば、と言う願いを込めてこころよく入会した。

中学校は岩国市立なのだから、クラブ活動に必要な経費は当然、市の学校予算から出されるべきである。と言う声が聞こえてきそうであるが、校区による生徒数の違いやクラブ活動の種目の多少。更には、勝ち進むことによる遠征費の増大などなど、それぞれの学校によって必要経費の内容も総額も大きく異なることから、一概に全て市の予算でまかなうことが不可能なケースが出てくる。

そういった学校の実情に合わせて、PTAとは別個のクラブ活動資金調達をするのが体育文化後援会という組織である、と理解している。

数年前までは市内のほとんどの中学校で、体育文化後援会が組織として存在し、寄付金による資金調達をしていた。近年では少子化による学校の統廃合など社会情勢の変化などもあって、後援会組織のない学校も少なくないと聞く。

しかし、子供は地域の宝・国家の宝物として大事に育てて行きたいという観点からいえば、せっかくがんばっている子供達を地域を挙げて応援していくのも地域の活性化や地域の元気につながるのではないかと、勝手なことを考える。少し大げさかも知れないと思いつつ。

教育は単に学校や家庭だけではなく、地域全体が感心を持つことによって地域の教育力がアップする。学校・家庭・地域の協力、これぞ三位一体の教育活動であろう。
ささやかな会費納入ではあっても、少しでも中学校クラブ活動のバックアップとなればいうことはない。
     (写真:配布された体育文化後援会々報)

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宇野千代「薄桜忌」

2008年06月07日 | つれづれ噺
岩国で生まれ、日本全国至る所に大きな足跡を残した文豪「宇野千代」。
錦帯橋から眺める川土手の桜をこよなく愛したという。その後薄墨桜に興味を示し、岐阜県根尾の老樹を訪ねた。そこで手に入れた薄墨桜が現在も生家で成長し、毎年薄墨桜として人の目を楽しませている。

そんなご縁から宇野千代の忌日は「薄桜忌」と名付けられ、命日である6月10日前後には毎年多彩な行事が催されてきた。

今年の薄桜忌は13回忌という節目にあたるため、更に念入りな準備がなされ、シンフォニア岩国を会場に、宇野千代の代表傑作の一つを故市川昆監督の手によって映画化された「おはん」も上映された。

ホワイエ(会場前ロビー)では、永年にわたって宇野千代関連の写真を撮り続けて来られた写真家「角田誠」写真展。和室ではいがもちと抹茶による休憩スペースが設けられ、多くの来場者の共感を得ていた。

ご縁があってお手伝いという形で昨日夕方の準備、今日は朝早くから夕方まで参加した。格別何をどうしたというわけではないが、このような文化行事に参加させていただくと、自然に背筋が伸びる思いがする。そして出来ようはずもないが、自分にもこれほど多くの人が注目してくれるような文学作品が書けたらいいな…などと漠然と想像してしまう。

遅きに失した感は否めないが、それでも自ら一歩を踏み出したことによって、色々な新しい世界や、これまでの自分にはなかった世界が見えてくることに、改めて人生の面白さ楽しさみたいなものを感じている。

「今が最高、明日もまた最高の日を」期待しながら、気負い過ぎず、振り返らず、時には流れる雲に身をゆだねる甘えを許し、ようやく見つけた自分の道(道楽)を愚直と言われてもいい、真っ直ぐ歩いていきたい。
などという大げさかも知れないが、宇野千代の世界に浸って、改めて思い起こされた一日となった。
       (写真:薄桜忌会場での「角田誠写真展」の一部)
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「世界文化遺産」

2008年06月05日 | つれづれ噺
「錦帯橋を世界文化遺産にする署名協力のお願い」という回覧板が回ってきた。
世界文化遺産登録には、先ず我が国の暫定リストに登録される必要がある。厳選が予想される難関をクリアーするには、市民皆様の熱意の表意として多くの署名を募り文化庁等関係先に提出必要があり…云々

我ら岩国市民の誇りであり、歴史の証でもある錦帯橋を世界文化遺産に登録申請することに賛成の一人である。
まさに営々と引き継がれてきた錦帯橋建築の技術は、郷土が世界に誇る偉大な木造建築の芸術であるとさえ思っている。

もちろん署名もするし協力もする。
しかしそれは、諸手を上げてというほどでもなければ、万難を排してでもという強い気持ちの裏付けがあるわけではない。

それは、現在の錦帯橋周辺の実情や、遠来の観光客の生の声に耳を傾ける時、いつも大きな反省と失望が頭をよぎるからである。
具体的に言うなら、あの天下の名橋錦帯橋の両方のたもとが、重要な生活道路として活用されており、観光客がおちおち歩行できない現状である。

観光地にはおみやげ物屋さんは付きものである。そのおみやげを買おうとすれば、ひっきりなしに通行するバス・タクシー・トラック・乗用車など全てのクルマを避けて、まるで交通ジャングルを生き延びるような危険と隣り合わせ。

責めて、錦帯橋たもとくらいは歩行者天国にして観光客の歩行をゆるめて上げる。そうしてお土産を買う人売る人の活気を取り戻す。横山側はゆったりと吉香公園につながる広がり。このように、一連の錦帯橋周遊コースを確率した上で、文化遺産登録を考えてもいいのではないか。今の条件で本当に市民の熱意が文化庁に届くのか疑問を持つ。

岩国で生まれ岩国で育ち、錦帯橋を誇りと自慢のタネにして来た生粋の岩国人の、錦帯橋を大切に思うが故の老婆心である。
錦帯橋に箔が付いたり名誉が与えられるなら、これに越したことはない。
ついでに観光客の不満や陰口が取り除かれたときこそ、本当の世界文化遺産の値打ちが出てくるのであろう。
       (写真:錦帯橋平成の架け替え。2004年1月撮影)
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「交流戦」

2008年06月04日 | スポーツ・観戦
プロ野球交流戦が面白い。今日の試合が終われば次からは交流戦後半の闘いとなる。
昨日は1試合を雨で流し、5試合行われた。その全てをパリーグが勝った。そしたら今夜はセリーグが4勝、パリーグが2勝。このような同一リーグ内で全部が勝ったり全部が負けたりするハプニングがたまらない交流戦の魅力である。

年間140試合闘う内のたかだか24試合ではある。しかしこれが結構厳しくて、中盤にかかるペナント争いの鍵を握っているようで実に面白い。

何を隠そう、昨年は5勝18敗1引き分けという惨憺たる成績で、交流戦が終わると同時にペナントレースからも完全に脱落してしまったような、我が愛する広島カープが、今年は交流戦を何とか持ち堪えているではないか。
それどころか、うまくいけば貯金の一つも出来ようかという闘いブリである。
中盤戦に大きな望みを残してくれそうで楽しみである。

セとパに分かれて同じリーグの中だけで闘っていた4年前に比べると、走攻守全ての面で実力のある本当に強いチームが頂点を極めるようになった気がして清々しい。

裏を返せば、大枚のお金で選手を集め、資金に物を言わせてあらゆる諜報合戦が展開されるようなプロ野球では、やがてファンは逃げていく。人気などという物は永遠ではない。

本当のスポーツとは、力と力がぶつかって、そこに生まれる筋書きのないドラマを、選手達の技量を超越したラッキーやハプニングを、ファンは期待しているのだと思う。

勝負の世界は厳しい現実なのだから、こっちが勝てば相手は負ける。相手が勝てばこっちが負ける。勝っても負けても、ギリギリの全力をぶつける勝負を見せて欲しい。それが高給取りの義務であり宿命である。フレーフレー赤ヘル!!
        (写真:セパ両リーグのマスコット)
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NHKニュース

2008年06月03日 | ニュース・世相
夕方7時、夕飯どき。何はさておきNHK7時のニュースに見入る。
今夜のトップニュース、埼玉県川越市で起きた拳銃所持による立てこもり事件。
事件の経過、概要、犯人の経歴、追跡状況、主犯格の自殺による結末まで、およそ5分。

2番目、国連食糧農業機関主催による「食糧サミット」における福田首相の演説。世界の各地で食糧難による暴動が発生するほど緊迫した食料事情にふれた後、貧困農民に対する食糧増産支援として約5000万ドル早急に実施。当面日本政府の保有する輸入米もうち、30万トン以上を放出する。その他およそ4分。

3番目、スペースシャトルが無事宇宙センタードッキングに成功。
4番目、障害者施設の火災、放火の疑いもあり。
5番目、NHK職員、勤務中の株取引問題。
次いでミヤンマーサイクロンのその後、京都舞鶴・女子高生殺害事件、四川大地震……と続く。

天下の公共放送であるNHKのニュース番組における放送順番は、どのようにして決めれるのだろうか、いつも疑問に思う。

人それぞれに価値観の相違があるのだから、一概にこの順番に…とは決められないのだろうが、今夜の場合でも、世界の貧困農民を支援していこうと言う趣旨の食糧サミットと、周囲住民を恐怖に陥れた拳銃所持立てこもり事件と、どっちに重点が置かれるべきなのだろうか。

このような凶悪事件優先のケースが、最近のNHKニュースで目立っている気がして仕方ない。
視聴者を増やし、受信料の増収を図る上では、民法流の社会面的ニュースから流そうとする意図も分からないことはないが、国家の公共放送としてはニュースの編成順を少し考えて欲しいと思う。

凶悪な犯罪や、生々しい事件放送がトップで延々と流されると、それらを引き起こした犯罪者達が如何にもヒーローのような錯覚さえ起こすことがある。
特に夕方7時のニュースは、茶の間に最も入りやすい時間帯なのだから、視聴率にこだわることなく、政治経済・世界の動き・その中の日本の立場、などをトップで時間をたっぷり使ってみてはどうだろう。
       (写真:3番目の記事として取り上げられた、スペースシャトル)
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「雨に咲くアマリリス」

2008年06月02日 | 季節の移ろい・出来事
東側出窓のガラス越しに、見るともなくちょっと外を覗く。とたんにスズメが4・5羽、何かにはじかれたように一斉に飛び立つ。

これが見慣れた風景だが、今日は雨。スズメ達もお宿の中で雨を避けているのだろうか。
知人が「大事にし過ぎて蓄えていたお米にカビがが入って…」と処分するのをもらってきたカミサンが、毎日ホンの少しまいて上げる古米を喜んでついばみに来るスズメの姿も鳴き声も今日はない。

白鳥やツバメなどの渡り鳥と違って、季節的な移動をしないで一年中ほぼ一定の地域に住む鳥を、留鳥(りゅうちょう)と呼ぶのだそうで、その代表格がスズメとカラスと言われている。

スズメにお米を食べさせるなんぞは、おふくろが聞いたら「目がつぶれるっ!」と叱るところだが、カビが入ってしまっては致し方ない。それでもスズメを喜ばせられればせめてもの慰みというところか。

スズメは屋根瓦の下などに粗末な巣を作り、二度繁殖する。この時期には一番子が巣立って親と一緒におそるおそるお米がまいてある近くに降りてくる。親鳥がせわしなくお米を口移しでヒナの口に運んでやっている。ヒナにとっては米粒さえ大き過ぎるのか、親が米粒を小さく砕いてやっているのか、この光景を見るだけでお米の値打ちに替えられない暖かいものを感じる。

親が子供を手に掛ける、子が親を祖父母をあやめる。そんな事件が報道されない日がないくらいに殺伐とした世の中。動物や鳥の世界に、人間が完全に負けている親子の在り方が見え隠れする。

仲むつまじいスズメの親子の写真を撮ろうと三脚まで持ち出して待ってはみたものの、二日間とも、いざシャッターをと言うときに飛び立たれる。失敗。これほど警戒心が強く人間様に写真など撮らせてくれない。それほどまでに警戒しながらも子供のお腹を満たさせる親の愛。子育て中の母親に見せたい。
まいたお米のすぐそばに雨に濡れた清楚な立ち姿のアマリリスが咲いていた。
         (写真:雨に咲くアマリリス)
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「懇親会」

2008年06月01日 | 宴会・会食
非常勤で働く今の職場で、メンバーの入れ替えなどがあり懇親会を開くことになった。場所は、潮の干満時には急流渦を巻く大畠の瀬戸を挟んで、瀬戸内海に浮かぶ周防大島町。潮風に身を任せる露天風呂から、行き交う船影や海面を黄金色に染める夕日の眺めは、癒し効果満点の観光スポットである。もちろん宿泊可能。

子供の頃は日本国有鉄道(今のJR)が本州の大畠と対岸の小松を結ぶ大島連絡船が唯一の交通手段であった。
全長1020mに及ぶ大島大橋が開通したのが1976年(昭和51年)、あれから32年になる。当初有料だったが1996年(平成8年)に無料化され、その後多くの観光客を迎え入れている。

あまりにも身近な場所とは違って、電車や送迎用のクルマなどを利用して、少し遠出をした気分になるだけで、普段はなかなか掴みにくい個人の素顔が見られたり、マイクを持つと異常に張り切る本音の姿が見えたりして実に楽しい。これもちょっとした開放感による癒し効果なのだろうか。

定年退職者と現役の人たちを比べると、年齢的には遙かにしのぐ退職者の元気の良さが目立つと言われている。今の企業を取り巻く環境、その中で効率的生産性を求められる現役の人たちも大変なことはよく分かる。

しかし、定年退職者はそれら「いばらの道」を踏まなかったわけではない。みんな乗り越えて来たのだと思う。
自分の殻に閉じこもるばかりでなく、ちょっと足を伸ばして開放感に浸れるスポットを自ら見つけて、ゆったり流れる時間を明日の肥やしにしながら、現役生活を謳歌して欲しいなーなんて勝手なことを、瀬戸の沈む夕日を見ながら考えてみた。

また何かの理由を見つけてメンバーで騒ごうや。年など忘れて。
オットット、年を忘れなければならないのは自分だけかも……。
(写真:大畠の山に隠れる夕日が瀬戸の急流にまばゆい)
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