「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「さくら咲いたか…」

2009年03月19日 | 季節の移ろい・出来事
本州最も南よりに位置する山口県下関市で、昨日18日、昨年より8日・平年より11日早い桜が咲いた…と地方気象台から発表された。 下関気象台にある標準木とされる桜の木に5輪の花を付けたという。

桜が咲くのに大騒ぎをするまでもなく、その時期が来れば桜も他の草花・木々も自分の花開く時期は心得ている。それは我々人間様より植物の方が、遙かに確かな感覚で時節の到来をキャッチしていると思う。

単なる桜の開花時期という問題にとどまらず、年々早まる傾向にあることこそが由々しき問題となる。
その背景に潜む地球温暖化という、人類存続の危機をはらむ…という大きな問題を抱えているからである。

そこで登場するのが、我々人間一人ひとりの環境問題・地球温暖化対策への取り組みなどである。

身近なこまごまとしたことは、結構神経質になっている。先ずは再び使うことを考える「リ・ユース」。それによって排出ゴミを減らす「リ・デュース」。そして不要となった物を資源として再び利用する「り・サイクル」。これら、エコ3原則を常に念頭に置きたい。

さらに、この頃の電器製品のほとんどに、使用電力量が記載されており必ずと言っていいほど「省エネタイプ…」と記されている。 ところがそれを使用する我々が、「これは省エネタイプだから……」と安易に長く使用したり、付けっぱなしにすれば全く元の黙阿弥。節電にはならない。

となると、現代人の慣れきった「贅沢心」という大敵をエコタイプに切り替え、安きに流れる「慢心」を省エネタイプにシフトする必要があろう。
ただ一つ、心と心をつなぐコミュニケーションには、エコ・省エネ・独りよがりは厳に慎みたい。

今一度地球環境の在り方を見直し、北極のシロクマ君親子が、ゆったり生活できる環境を確保して上げたい。

        ( 写真:穏やかに暮らす、シロクマ君親子 )
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「おぼろ月夜」

2009年03月18日 | 思い出話
   ♪♪ 菜の花ばたけに いり日うすれ 
           みわたす山のは かすみふかし 
        春風そよふく 空を見れば 
            ゆうづきかかりて においあわし ♪♪

小学3年生のとき、いつものように友達と日の暮れを目指して小学校の校庭で遊んでいた。
先生が呼びに来られて、沖永君とふたり講堂に連れて行かれ保護会全体集会の前に立たされたた。
演台の上に大きな箱が置いてある。直径20㎝もある輪っかが二つ並び、映画のフィルムのようなものが巻き付いている。大勢の大人が一様にこちらを見ている。

なんじゃろーとよく見ても、初めて見る機械でよくわからない。そのうち「これからこの二人に歌を歌わせます」といきなり。逃げ出す間もなく、ピアノ伴奏で「おぼろ月夜」が流れ始めた。歌うしかない。大きな声で二度も歌った。「では…皆さんにもう一度今の歌声を聴いて頂きましょう…」そしたら、今ふたりで歌った歌声がその箱から講堂に響く。

これが、その時初めて小学校に配置された「録音機」だったのである。歌った本人が自分の声を聞いて驚いた。当時はまだ小節も利いていなかったし、節回しも今一だったようだ。今だったらなー…、おぼろ月夜でなくてリクエストにお応え出来たのに…。但し声質は今より数段よかったようだ。

あれから半世紀あまり。電気器具でこれほどの進化を遂げたのも珍しいといわれるテープレコーダー。小学生には一人で持ち上げられないほど、大きく重かった。今や、手のひらはおろか、ペンタイプまで小型化・高性能化している。人間の英知の進歩はそれこそ目をみはるものがある。

そこへ行くと、我が人生の進歩は如何ばかりか…。逆に、その当時のきれいな歌声?と共に、失っていったものは数知れない。残ったものもある。「感情にまかせて、人の温かさまで見失う愚かしさ・自分本意この上ない我が儘……」 それと幸い命が残っている。大いなる反省の上に立って、おぼろ月夜のように、自分の感情を少しでもかすめさせるよう気を付けたい。 菜の花が咲く頃になると、遠い昔を思い出す……。

         ( 写真: 小川のせせらぎによく似合う菜の花 )
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「盤上は心の鏡…」

2009年03月16日 | 趣味・・エッセイ
我が家にやってきて半世紀を超える将棋盤。
既にこの世にはいない父と兄の手垢が染み込み、小生の涙混じりの苦戦を物語る駒や駒台。
父の形見の一つとして、床の間の片隅から、我々家族の日々の生活を静かに見守ってくれている。

父は強かった。兄も元々才能があり、2段の腕前だと言われていた。そこへ行くと、またまた立つ瀬がないyattaro-。父が片駒落とし(角落ち)で柔らかに相手をしてくれていたのを思い出す。

かつて天才棋士と騒がれた大山康晴棋士は、100年に一人の逸材だと言われた。“盤上は心の鏡である”という名言を遺している。
つまり、対局の場面においては、相手の心ばかりか自らの心の動きすら、将棋盤の上に映し出されてしまう。盤上をにらみながらも、棋士は互いに相手の心を読んでいる。静寂のうちに鬼気迫るものがあるのは、こうした心理戦が展開されるのにほかならない…と解説されている。

人間の一生も、大きい小さいは別として、闘い、つまり勝負の世界に身を置いているのではないか…とつくづく思う。
世間という魔物や人間関係という障害物と、如何に上手に付き合うか。そして己の力量を知った上で相手と対峙する。この呼吸を外すと、勝てる戦も勝てない場合が出てくる。

ギンギラに丁々発止だけが闘いではない。静かに潜行する心理戦だってある。更には「自分という見えない敵との闘い」がいちばん厄介なのだとも思う。ちょっと目を離せばすぐ楽な方に・みやすい方に走る。
老化を防ぐためにも、自分磨きの研磨剤をいつも探し求める闘いはまだまだ続くのかな…。

「自然流」といわれたプロ棋士、中原誠16世名人の引退というニュースに接しての雑感。

        ( 写真: 我が家に鎮座まします、将棋盤 他 )
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「寒あやめ」

2009年03月14日 | 趣味・・エッセイ
1月15日、「したたかに…」のタイトルで寒あやめの話をブログアップした。
嬉しい・厳しいコメントを頂いたことから、ひょっとしたらエッセイになるかな…と思い、毎日新聞はがき随筆に投稿した。 2月1日に掲載され、山口支局エリアという狭い地域ではあるが、2月度の佳作に入選したという。二番煎じで恐縮ながら、改めて、書かせてもらう。

 『寒あやめ』  
     真冬の物寂しい庭の片隅に、清楚な薄紫の寒あやめが、
    春を先取りするかのように今年もかれんに咲いている。
     石臼の水に氷が張る寒さ、庭木の陰にもかかわらず、
    葉は青々と茂り、日々数本の花を楽しませてくれる。
     根っこはと見れば、ショウガを連ねたような頑丈な塊が、
    地中深く根ざしている。
     あの花にしてこの根。たおやかさに包まれたしたたかさ。
     寒風に耐えて咲くエネルギー源になっているのだろう。
     足を地に着け、暑さの夏は地中に栄養を蓄え、寒さの冬に花開く。
     寒あやめに似た人生も悪くない。


本来なら、佳作入賞したら次回の定例会で少しはモテるはずだった。
ところが、ところがである。なんと我々のグループから、2月の月間1位入賞が選ばれた。
佳作入選など吹っ飛んでしまった。間の悪い話である……などと嘆いてはいられない。やはり書くからには月間3席入賞を目指したい。 刺激されるなー…。

取り上げた材料が「寒あやめ」だけに、人目につきにくい場所にヒッソリ咲くのがお似合いなのだろう……ということにしておこう。

        ( 写真: 1月15日掲載の二番煎じ。寒あやめの花 )
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「左手で書く…」

2009年03月13日 | 趣味・・エッセイ
あれこれ思い込み過ぎて文章が乱れたり、前後バラバラ収拾がつかないとき、考えても考えても思いの丈がまとまらないとき。そんなとき、神様・仏様・喜代子様…。ワラをも掴む思いで、村田喜代子著「名文を書かない文章講座」をひもといてみる。

最初に目にはいるのが「左手で書く」という講座である。
左手だろうと右手だろうと考えるのは頭の中だから……手はそれを文字にする一つの手段なのだからどちらでもいいではないか…と反論したくなる。

そこが素人の浅はかさ…。何とも言えぬ深い蘊蓄が秘められていることを知ることになる。
右利きの中学生に、左手で絵を描かせる。慣れた右手で描く1本の線は飽くまでも1本の線でしかない。ところが、絵を描くのに使ったことのない左手でヨロヨロ描けば、たった1本の線も彼にとっては一つの創造的な絵になる…という。

文章を書くのもこれと同じように、ペンを右手から不慣れな左手に持ち替える、つまり発想の転換をしなさい…という教えになる。
凝り固まった自分の固定概念に頼り切って、手垢の付いた使い古された言葉の羅列では、人の心に届く文章は書けないよ…という警告でもある。

そんなこたー先刻承知……。分かっちゃいるんです。分かっていればそんな悩みなんぞ持たないか…違うんだなー…これが。悩むんだよねー。悩み始めると出口が段々遠くなり、灯りの見えない暗闇でもがく。果てはペンも紙も投げ出し、ふてくされることで、ホンの一筋の灯りを見つけようとする…そんな愚かを何度繰り返してきたことか。

「具体的な技術も含めて、ややこしくなった状況ではシンプルな考えに戻ることが大事」と。誰よりも自分の身体をよく理解し、誰よりも技への自信を持つ、あの世界のイチローが淡々と述べているように…。

ひたすら自分の眼力・感じる力即ち感性・発想の転換・巡らす思考の深さ……これらが欠かせない事に気付く。ややこしくっても、行き詰まっても投げ出したりしちゃーうまくなれない。 佳作止まりで喜んではいられないのだ……。

       ( 写真: 文章とは全く関係ない、左手で書くカ-君。彼は元々左利き )


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「ガンジー」

2009年03月12日 | ニュース・世相
「インド建国の父」と呼ばれ、世界中その名を知らない人はいないだろうと言われるマハトマ・ガンジー。
政治家の一人ではあるが、その卓越した非暴力運動の指導者としての実績は語るを待たない。

そのガンジーが、生前愛用していたというあのトレードマークとも言うべき『丸ぶちメガネ』・『懐中時計』他多数の遺品が、このほどニューヨークでオークションに出されたという。
当然ながらインド政府は猛烈な反発。 オークション開始直前になって、遺品の所有者が出品停止を申しでたが受け入れられず、オークションは進められた。

結局、インドの大実業家が、約1億7000万円で買い取り。インド政府に寄贈し今後公共の場に展示されるという、これまでのガンジーの功績に、最もふさわしいかたちで落ち着いた。賞賛の拍手を送る。

それにしても、人間の欲望とは果てしないものだなーと思う。 “怒るというより、笑っちゃうねーこれは…” どこかで聞いたセリフがふと頭をよぎる。お金になることなら見境がなくなる…人間の弱さ恐ろしさ、そして“さもしい”限りだ。

「非暴力は暴力にはるかに勝ると、敵を許すことは罰するより雄雄しいと信じる」 という言葉をどこかで聞いたくらいで、普段は、ガンジーという人の理念や具体的な教えも多くは知らない。
これを機会に少し仕入れた「マハトマ・ガンジー」の言葉を、今後の考え方の参考になれば…と願って幾つか並べてみる。

「『眼には眼を』で行けば、しまいには全世界が盲目になってしまう」
「目的をみつけよ。手段はついてくる」
「明日死ぬかのように生きろ。永劫永らえるかのように学べ」
「何かを信じておきながら、それに生きないーーそれは不誠実というものだ」
「敵と相対するときには、その敵を愛で征服しなさい」

まだまだ他にたくさんある。が、当面、先ずはこの言葉がホンの一部分でも身に付いたら次へ進むことにしよう。

         ( 写真: ガンジーと糸車・・某HPより拝借 )
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「ベビーロック」

2009年03月11日 | つれづれ噺
「ベビーロックが壊れた…」と、カミサンが言う。 はて、なんのことじゃろう??
正式には「ベビーロックミシン」といって、断裁した布の端などがほつれないように、縁かがりを専門とする小型ミシンのことである。…と、薄々知ってはいた。

我が家にやってきて30年はたっただろうという。「めったに使わないから、ながもちしたんよ…」と笑う。
「修理しようかねー」「必要ならね…」「3万・4万も出して新品買うの馬鹿らしいし…」「必要なんじゃろ…」「もう縫い物頼まれるのを全部断ろうか…」「お前さん、本当に断りきれるか…」

早速ネットで価格調査、3~6万円と出ている。取り敢えず修理見積もりへ走る。1週間過ぎた今日、「修理代3000円で治りましたよ」との電話。 案ずるより産むが易し、大喜びで持ち帰る。

我が家には、37年前カミサンと一緒にやってきた、「足踏み式、工業用ミシン」が納戸にドッカリ座って御座る。
その当時のガッチリした安定タイプ。今のパソコンデスクの2台分は優にある大型骨董品である。が、カミサンの手に掛かると、現役バリバリで働いてくれる。そのミシンの上にちょこんと乗っているのが、ベビーロックミシン。

この頃では、小学校に持参する雑巾でさえ、タオル地の色とりどりの出来上がりが売られている。手提げ袋なども家で縫って持たせるのはほんのわずか。今時の若いお母さんでミシンなど使いこなせる人は少ないんよ…と言う。

今や、赤ちゃんのオムツは紙製品、縫ったり洗ったりは一切なし。着る物・持つ物みな既製品が唸っている。
縫ったり、かがったりするヒマがあれば子供と一緒にテレビを見て馬鹿笑いをしている方がいい。のかな…?
この頃の嫁入り道具の中に、ミシンって入っているのだろうか。

こんなこと一つをとっても、エコに逆らい、人間関係の希薄さは助長される…あまり面白い世の中ではないなー…とボヤく向こうから、ミシンを使わない娘に代わって、小学校に入学する孫の手提げ袋を縫う骨董品工業用ミシンの音が聞こえてくる。 アーア…どうすりゃいいんだ?? 人様に何も言えやしない…。

          ( 写真: 37年になる工業用ミシン・30年のベビーロック )
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アーカイブ随筆 6

2009年03月10日 | 趣味・・エッセイ
「沈丁花の咲く頃」 1977年4月号 工場ニュース やぶにらみ随筆デビュー!!。

『 厳しい寒さが峠を越し、女性の白粉(おしろい)を思わせる沈丁花のほのかな香りに乗って、ようやく春が顔を見せようとしている。
 長い冬眠から醒めようとする虫や動物たちに代わって、今度は我々人間がなかなか目を醒ましにくい季節になってくる。

 子を持つ親にしてみれば、入園・入学・進学・就職……何とも落ち着かないのもこの季節の特色である。

 ある人は、合格発表の校庭に土下座して感謝感激を身体一杯に表す。またある人は、グッと下唇を噛みしめ、次の機会へ、あるいは他方への夢を馳せ、静かに校庭に背を向ける。悲喜こもごも、まさに春の一つの断面を見る。

 しかし、いずれにせよ両者とも本領を発揮するのはこれからである。結果などはまだまだ遠い先のことである。 自分の人生模様に、どのような色を添えるか、ということの方が遙かに大切になってくる。

 我々は今、その絵筆を握っている最中である。情報過多と言われ、綿密な管理体制の下ではあるが、菜の花に舞う蝶を愛で、四季折々に咲く花を愛する気持ちのゆとりだけは忘れずに、一歩一歩確かな足取りで生きたいと思うこの頃である。』


この年の初め、岩国工場の機関誌編集委員会が従業員投稿を募集した。
折りもおり、可愛い甥っ子が大学受験に失敗。捲土重来を期していた彼に、何らかの激励の言葉を贈りたい…という叔父の気持ちが「やぶにらみ随筆」という形として投稿のきっかけになった。
“沈丁花の咲く頃” まさに随筆創作活動の原点、処女作である。(いくらか割り引いてご判読ありたし)
いつもこの時季になると、あの当時の甘酸っぱさを思い出し、自らに檄を飛ばす材料になっている。
ちなみに、沈丁花の花言葉は、咲く時季にふさわしく「栄光」「不滅」などとなっている。

        ( 写真: 今が見頃、ほのかな甘い香りの沈丁花 )
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「土寄せ」

2009年03月09日 | 家族・孫話
冬撒きの豆類や、タマネギ・ニンニクなどの根菜が芽吹き、一気に伸び始める春まだ遠い時季の大切な農作業に「土寄せ(泥寄せ)」というのがある。

特にスナック豆とかグリンピースなどの豆類の根っこは、それこそヒョロヒョロ。ツルをを伸ばしてオロギに巻き付かせるまでには、人の手で根っこの周りに土を寄せて盛り上げ、根っこを完全に土で補強する。その周りに適度な肥やしを与える。その努力が実って、4月5月に美味しい豆ご飯やビールのツマミが頂ける。

小学2年生と幼稚園年長の孫兄弟を見守る今のジジ・ババは、まさに新芽を吹きかけたヒョロヒョロ状態の豆の根っこに、土寄せ作業をしているのによく似ている。

スキーの大会も、今シーズン最後に近い昨日、記録に残る公式大会に孫兄弟がエントリーした。
兄ちゃんはすでに時速60㎞近いスピードに乗って滑降するスラロームは何度か体験。メダル経験もある。

今回は、半べそかきながらお父さんから仕込まれた弟カー君は幼稚園生の部。兄ちゃんは小学低学年の部に出場。コースや旗門の数も長さも年齢には関係なく同じコースを滑るのだという。
カー君にとっては旗門を確実に通過できるかが大問題。練習を重ねた甲斐あって、19人中、旗門完全クリアーは二人だけ後は失格。タイムもよかったので初出場金メダル。大きな副賞も手にして意気揚々。

兄ちゃんは、どうしても越えられない3年生の壁があって、銀メダル。何の不足もない上等な成績なのだが、金メダルにはしゃぎ回る弟に華やかさを譲って、静かに振る舞う。それでなくとも口数の少ない兄ちゃんは、早くも来年を見据えている様子。

静かに雪辱に燃える兄。底抜けに明るく喜ぶ弟。この好対照を的確に捉え、どっちにも偏らず、どっちをも自信過剰を抑え、どっちの喜びも同じようにしっかり受け止めてやるのが、周囲の大人の責任だろう。
スキーを履かなければ近づけない場所のコースなので、直接の応援は出来なかったが、華やかな祝勝晩餐会が我々の仕事。 
これからもしっかり土寄せして、風に倒されないよう幹を守ってやろう。目は離せない…。

       ( 写真: ターンで雪煙を上げる兄ちゃん(左)。奴さんと評価されたカー君(右) )
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「春ムード満開」

2009年03月07日 | 季節の移ろい・出来事
今年最初の桜(ソメイヨシノ)開花予想が、4日に気象庁より発表された。日本列島大半の地域で、例年より早く開花しそうな勢いであるという。 そこで、「花の回廊・歩いて楽しい桜並木」の全国ランキングを拾ってみた。
これは、桜の名所を紹介するガイド本や資料に登場する桜並木を中心に、写真家・旅行作家など、桜の名所に詳しい人たちによって評価されたものである。

圧倒的評価で第1位に選ばれたのは、秋田県の「角館武家屋敷通り」である。みちのくの小京都と呼ばれ、武家屋敷から通りに大きく枝が垂れ、黒板塀に映えるシダレザクラ400本、そのうち162本が国の天然記念物なのだという。それはそれは見応えがあるそうな。
次いで、岩手県・「北上展勝地」。3番が、大阪市・「造幣局桜の通り抜け」。4番が東京都・「千鳥ヶ淵緑道」。そして、京都市・「哲学の道」と続く。ソメイヨシノなど500本が咲き乱れる哲学の道は、定番スポットながら疎水沿いの景色は趣深いものがあるという。

7番目が埼玉県・「長瀞の桜並木」。北と南の二つの桜通があり、SL列車が並行して走る区間もあって見事である、と書かれている。

格別、ひいき目に選出したわけではないが、秋田・京都・埼玉などといえば、このブログを通じて、少なからぬ激励や応援メッセージをちょうだいするお仲間の住んでおられるところである。自然に目がいっても不思議ではない。 

そして我が町、岩国錦帯橋の雲海を思わせる桜並木の評価や如何に…。
総評の一番最後に、3行記事として「このほか、山口県岩国市にある錦帯橋近くの桜並木などを推す声もあった。」たったのこれだけ。
でも物は考えよう。今回の対象総数は80カ所にも及ぶ。その中から一応、錦帯橋の桜並木という名前が出ただけでもヨシとしよう。そして我々住民が、いつかはベスト10の仲間入り出来るよう応援しなければ。

出来ることなら、新聞の花回廊ランキングを目で追うだけでなく、足腰丈夫なうちに、責めて数カ所の桜見物を、毎年春の定例行事に組み込まれるといいだろうなー…。

         ( 写真: 遠くに錦帯橋を望む桜並木。絵になるよなー…昨年4月撮影 )
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