「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「再びの夢はいつ?」

2021年05月18日 | カープ一喜一憂
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「ありがとう、ご苦労さん」

2021年05月15日 | つれづれ噺

                                                                      
                    更新が決まった我が家の仲間

今年に入って、時々ストライキを起こして使用者を悩ませてきた、エコキュート温水器。
朝起きた時、キッチン壁面にある給水スイッチの液晶画面に「エラーNo40」などという表示が出てきて、夜間の温水動作が不調でお湯が沸いていない。
温水器本体のドレン抜きや、ヒートポンプのドレン抜きなどちょっと手をかけてやると、取り敢えずはご機嫌を治し復旧する。その夜はちゃんとお湯を沸かして湯量目盛りは満タンを示す。安心してまた使う。

1週間、1カ月、ご機嫌麗しく働き続けてくれる。「治ったのかな?」と思ったとたんに「そうはいかないよ!」とばかりにストライキを。また手をかけ声をかける。機嫌を治す。この繰り返し。
ふと遠い昔を思い出す。相手のご機嫌に振り回されるのも恋のうち。などと勘違いしてせっせと手を加えたのだったか、加えなかったのだったか。

そんなストライキの回数がだんだん多くなってきた。ちょっと手を当てるとすぐに愛想が戻る。でもすぐに愚図る。いよいよ限界かな。
懇意の我が家のメンテナンス一級建築士に相談した。すっ飛んで見に来てくれたが、予想通り「そろそろ限界みたいですよ」とつれない返事。無理もない設置からかれこれ20年近い。北側のあまり日の当たらない場所に静かに佇んで、じっと生活を支えてくれたのだ。

いさぎよくお役御免を言い渡そう。いま更新しておけば、次の更新は私たちじゃなく誰かがやるのだろう。気持ちよく「ご苦労さん」と送り出そう。とはいうものの、50~120万円の大仕事だ。でもこれこそが年を取るということ、家財道具も人間も。仕方がない、これが生きていることの証でもあるのだ。

長年付き合って来た身の回りの生活用品。その長さと比例するように愛おしさは募るばかり。そしていつかは別れが待っているとは、ちと切ないねー。

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「海のある風景」

2021年05月14日 | 地域活動

        

手がけている地域活動の一つに、広報誌作りがある。
「〇〇社協だより」というA-4版4ページの、地区社会福祉協議会のお報せ的な機関誌を、年間3回発行している。そのトップタイトルの横に、地域を象徴するような小さな写真を載せている。

地区内で見られる四季折々の風景であったり、神社仏閣を追っかけたり、学校の校碑や校舎を撮ってみたり。52号を迎えるうちの半分以上に携わっている身には、そこそこ写真ネタも尽きかけている。
でもそんなことを言ってられない。何か目新しいシリーズを、などとつい普段から欲張りの眼で見渡している自分に気付く。

幸いなことに、山を背負い、JRと国道を挟んで穏やかな瀬戸の海に面する自然は、色んな風景を見せてくれるし被写体も少なくはないはずである。「長年やっているとネタが乏しくなる」そんな言い訳は他でも何度か耳にして来た。写真展に応募するほどの芸術性は置いといて、最も望ましいのは報道性である、といっぱしげに思ってはいる。季節の旬を一瞬先取りして小さな1枚に託す。

今日も小さな所用の帰り道、国道沿いの幾つかある船だまりで、頑丈なクレーンを積んだ工事船が岸壁の補修工事をしているのが目に留まった。取り敢えず撮っておこう。この姿勢が大事なのだ、と半分自分に言い聞かせながら、芸術性とは無縁の現場写真をパチリ。もっとも、いつもデジイチを持ち歩くわけではないので、急遽スマホで。これが意外に、と言っちゃ失礼だが、ちょろいコンデジよりよっぽどきれいに鮮明に撮れる。かくして次号のタイトルスナップは「海のある風景」にでもしようかな。

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「何が何してなんとやら」

2021年05月11日 | ニュース・世相

                                         

就寝前のひとときを、一人静かに楽しんでいることがある。下戸の私には寝酒を楽しむといったような風流はない。
パソコンを開いて、ひいきの株式の値段をチェックしてみる。ありゃ~~と先ずは嘆くこと多し。
たまに、それこそたま~~に、イヒイヒなんてほくそ笑むこもある。滅多にないことだが。

それも夕方のニュースの「今日の株の値動き」に出てくる「日経平均株価」の上がり下がりで、おおよその見当を付けてパソコンを開くのではあるが。
時には、日経平均の下落に逆らって頑張っている日もある。どっちにしたってパソコン画面とにらめっこの、当たらない予想屋の掛け声みたいに、想像を掻き立てて楽しんでいる、というのが本音である。

さて今日は。いったいどこで何が起こったのか、皆目見当も付かないまま昨日に比べて、日経平均909円の値下がりを目の前に突きつけられるのだ。潤沢な資金があって「ヨシッ!買いだ!!」と投資できれば、反動の値上がりを狙えるのであろうが、そこは悲しいかな、貧乏人の悲哀をモロにかぶっている。

もともと、パチンコに行って第三国の外貨調達に加担するよりは、居ながらにして遊べる楽しみも加わる掛け声ばかりの予想屋を楽しむのも悪くない。大きな損をしようにもそれほどの原資がない。
それにしても、何が何してなんとやら、わけわからんままに一日の値下がりが909円は大きいよね~。明日明後日に期待して言い夢でもみようか。

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「2枚のはがきが」

2021年05月10日 | ニュース・世相

           

2枚の葉書が届いた。1枚は「新聞投稿見ましたよ~」とのお褒めの絵手紙。
1枚は、本来なら待ちに待ったお誘いの葉書であるはずなのに、なんと、今さら言うまでもなくコロナに押されて「今年度も中止せざるを得なくなりました」というお断りの葉書である。

岩国工場定年退職者の会という、昔の仲間と旧交を温め、思い出話に花を咲かせる大切な時間が失われてしまった。もっとも、こちらはそんな気軽なつもりでも、相手にとっては「こいつだけは苦手な奴だ」とか「イヤな奴だったね~」と思っている御仁もいるに違いない。まあそれでも、生活と人世をかけて数十年同じ釜の飯を食った仲間じゃないか。そう思えばまた違った感慨も出てくるだろう。
などと、飽くまでも能天気で出かけられるから、楽しみな会だったのに。
なかなかというか、一向に衰えを知らぬコロナにはほんと、楽しみの全てを奪われる思いがする。

昨年に続いて今年も中止となると、いわゆる高齢者の集まり定年退職者の会としては、2年という空白は長いよね~。さて3年ぶりに再開するときにはいったいどれだけの仲間が減っているのだろうか。せめて自分は減る方の仲間に入らず、減った数を確認する立場に回りたい、と思うがこれとて保証の限りではない。いつ、どこで、何が起きるやら。

一方、定年後しばらくしてからお知り合いになったたサークルの先輩から寄せられる絵手紙は楽しい。
季節に合った題材を葉書いっぱいに描き、少しの隙間に目いっぱいの言葉が並んでいる。月に一度顔を合わせているときは絵手紙など頂かなかったが、サークルが休止になってから、折に触れ時に沿って近況報告代わりのご挨拶を頂く。ほんわかほっこり、気持ちを緩めてもらっている。

同時に届いた2枚の葉書。哀と楽。人と人のご縁の面白さを改めて思い知らされ気がしている。

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『恩師は92歳」

2021年05月09日 | 思い出話

                                              

季節の味を味わって頂こうと、久しぶりに恩師の家を訪ねた。
ここでいう恩師とは、学生時代に教えを請うた、教師と生徒という関係とは少し違う。
完全に大人になって、父親となり、我が子の保護者としてPTAのTとして学校に出入りするようになってからの、言うなれば社会人としての恩師である。

出会いはかれこれ36年前になる。当時の年令は56歳で、それはそれは元気のいい、ハンサムでかっこいい校長先生であった。こちらは、他になり手がなくて渋々引き受けたPTA会長さん。
学校の経営者であり教職員の面倒を見ながら、児童・生徒の教育の充実。そんな多くの矢面に立つ校長という立場と、児童・生徒と保護者を代表するという立場で、時に口角泡を飛ばす場面もあったのか、なかったのか。

全体的には、年の離れた兄貴みたいな感覚で、可愛がって頂く中で色々奥の深い人世勉強をさせて頂いた恩師ということになる。
授業中に居眠りする児童が増えた時は、スポーツ少年団などの指導者を集めて「練習時間の制約」「帰宅時間の厳守」という大義で、丁々発止。間に入ったPTA会長は慎重な判断を迫られる。八方走り回って校長の意図するところを繰り返し説明して、双方納得のもとに放課後の練習を「勝つために」ではなく、「児童の体力増強」「運動神経の発達」という目標転換をさせたこともあった。

その陰には、1年間かけて日没の時刻を調査した克明なグラフが出来上がっていた。このグラフに合わせて練習の開始と終了を指導者自身に決めさせる。そんな芸当もさら~っと出来る経営手腕と説得力を併せ持つ、師と仰ぐにふさわしい社会人の中での先輩であった。

久しぶりの訪問でも元気の良さと、確かな記憶力は衰えを知らず、昔話に花が咲く。
御年92歳。愛妻は施設に。目下一人の生活。そんな不遇を一切感じさせない、どうかすると青春のかけらがどこか身についているようなスマートさと、屈託のなさが、訪れる者を安心させるようだ。

そうだ、年令に関係なく生きている限り、こざっぱり、清潔感を漂わせ、周囲に安心感を与える生き方を。と、幾つになっても良き恩師であり、佳き先輩であることには間違いない。今日も素敵な時間を持てた。

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「新緑と清流そしてドジ」

2021年05月08日 | 晴耕雨読

   
          奥が梅の木、手前が生い茂る雑草                前日の雨で滴るような緑と、真っ白い清流  

何かと忙しさに追われる中でも、雑草は遠慮なく伸びる。
故郷の小さな梅林で鈴なりに生った梅の実を見ると、やはり欲が出てきて、なんとかこのまま収穫期を迎えさせたいと思う。
ところがこの季節、梅の木手前の空き地や梅の木の下には、それはそれは見事というほどの雑草が生い茂っている。
足の踏み込み場もないとはこんなことを言うのだろう。何はともあれ時間のやりくりをして草刈りに出かけた。梅の木の下刈りは欠かさずやっている年中行事である。

作業に入る前には、この難敵とも言えるビフォー写真を撮った。そして刈り終わってきれいになったアフター写真を撮り、苦労の跡を残しておこう。と張り切って草刈り機のエンジンをスタートさせた。
半分近く刈ったところで、軽い汗を拭きながら給水タイム。

目の下には、やがて錦帯橋の下を流れる錦川の支流で、普段は緩やかな流れなのに、前日の雨で水かさを増して急流となった根笠川が、岩にせかれる滝川の如くごうごう音を立て、真っ白いしぶきを上げている。川を縁取る岩肌には、これまた水も滴るような緑が垂れ下がって、しばしの途中休憩には贅沢な風景を提供してくれる。これは絵になる、後でカメラに納めよう、と思った。これが今日の間違いの始まりであった。

作業することかれこれ2時間。完璧なまでに草刈りを終えて道具をクルマに積み込み、さてあの清流と緑のコントラストを撮ろうと、散々ウロウロしてそれなりのものが撮れた。よし帰ろう。
肝心な草刈りアフターの写真を撮るのを忘れた。あれこれごちゃごちゃやっている間に、肝心なことが抜けている。この頃よくある話しである。

「きょうはね、オレはね、これだけの仕事をしたんよ」と、皆さんに見て頂こうと、張り切って汗流したのに。あまりにも素敵な風景に見惚れ、次に来て梅もぎをする頃にはカジカガエルが、もの悲しげな声でヒョロロロ~~と鳴くんだろうな~、などと思いを馳せたのが大間違い。

でもまあ考えてみれば、自分が手を下して苦労したことなど他人に分かってもらえず、逆に失敗したところだけがクローズアップされるなんて話しは、これまでどれほど多く体験してきたことか。まあそんな三枚目人世がお似合いだね~、と改めて思ってみた。ちょっと飛躍しすぎかもね。

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「ついに来たか、その時が」

2021年05月05日 | カープ一喜一憂

順位

チーム

1

阪神

31

22

9

0

-

2

巨人

33

17

11

5

3.5

3

ヤクルト

31

14

13

4

2.5

4

中日

33

13

16

4

2

5

広島

33

13

17

3

0.5

6

DeNA

35

9

22

4

4.5

ついに来たかな、その時が。などど考える輩は本当のファンではない。
弱いときだから、負けが込んでる時だから、なおさら力を込めて応援するのが本当のファンの姿である。などときれい事を言ってる場合じゃないぞ、いまのカープさんは。

打てない守れない、好投手は見殺し。序盤に1点でも先に取られたらもうお終い。跳ね返す力など失ってしまう。なんとか頑張ってもせいぜい追いついて同点止まりの引き分け。勝ち越しが1つでもあるときの引き分けは勝ちに等しいこともあるが、負け越しが重なっている時の引き分けは負けたのと同じ。

GWを挟んだ魔の9連戦。初戦を勝って幸先良し!と思った塗炭の連敗に次ぐ連敗のドロ沼へ。
中心打者だ、日本の4番だと言われる高給取りが、101打席振りのタイムリーヒット!!と新聞で賞賛されるに至ってはなにをか況んや。久里投手に続いて森下投手も敗戦投手にさせてしまえば、大型連敗は理の当然。目下6連敗。どこまで続くぬかるみぞ。

ついに来たかその時が。あれだけの大借金を抱えたDeNAが、持てる実力を発揮し始めた。最下位に低迷するチームではない。となれば、今度大借金を抱えて最下位に沈むのはどこか。今日なんぞ午前中にあれだけ降った大雨が午後になって上がらなければよかったのに。そうしたら中止となり、負けなかったのに。お天道さまにも見放された感がある。

やれば負ける今の不振と、1点か0点で終わるチームの状況をどう考えるのか。首脳陣総辞職くらいの気迫と厳しさを見せないと、カープ女子からも、大勢のオールドファンからも見放されるよ。勝てないなら、負けない努力をすることだ。決して好きではないが、巨人というチームの「そこまでやるか?」というほどのえげつない投手交代。一切の隙を見せない勝負手を見せてみなさいよ。

ここでやぶにらみ的理想のオーダー提案を。
1番 西川、2番 菊池、3番 松山、4番 長野、5番 鈴木、6番 小園、7番 中村奬、8番 坂倉。これくらいの思いっきりの良さでチャレンジしてみりゃいい。どうせスタンダードじゃ勝てないのだから。

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「山笑う季節」

2021年05月04日 | 季節の移ろい・出来事

         
                    遠く岩国城を望む 

様々な広葉樹が新芽を吹いて、黄緑色の小さなドームが無数に盛り上がっている。山が笑い、日に日に動きを見せるお城山。その頂上にドンと座る岩国城。季節を選ばず、いつ見ても心安まる風景が広がる。中でもこの季節は、見応えのある、おらがお国の自慢である。

不特定多数の人との出会いを避けるため、ここしばらくは花見の小宴を除いて、意識して避けてきた錦帯橋周辺、吉香散策散策ではある。
明日は大雨が降るとの天気予報で、今日出かけておかないと、ツツジやボタンの花もフジの花も見られなくなる。そんな焦りもあって、今日わざわざ多少の人混みを覚悟で出かけてみた。

錦帯橋下川原の駐車場に溢れるクルマの群れを見たら、やはり来なきゃよかったなどと思いながら兎に角ここまで来たのだから、と目的地の公園内駐車場に行った。あの駐車場の観光客はいったいどこで遊んでいるのかな?と思うほど吉香公園は空いていた。意外だなと思いながら、ゆったりと山笑う風景をカメラに納めた。
そこまではよかったが、ツツジもボタンも、フジの花さえも、花という花はほとんどが終わりを告げていた。数年前までの自分の感覚だけで「吉香公園の花の見頃は5月初め」と思い込んでいた。それが大間違い。

そっか~、今の公園じゃ見るもの、心慰めるものなど何もないから人も少ないのだ、と自分に言い聞かせ自分で納得。
こんなドジをすれば山も笑うわけだ。早い話が「何やってんの君は」と山に笑われて帰って来たというお粗末。GWも残り1日となった。

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「歩留まり」

2021年05月03日 | 季節の移ろい・出来事

           
                 たわわに生った梅の実                 風雨にさらされて落ちていく梅の実

6月に収穫する故郷の梅林に実る青い梅。虫食いや傷のない大粒の形の良いものから、我が家の各種保存食品に加工される。
そうして選ばれた後の小梅は、隣接する荒れ地に蒔いておく。蒔いておくと言えば聞こえはいいが、適当にばらまいておくというのが本音である。

2年3年4年たつうちに荒れ地のあちこちから小さな梅の芽が出てくる。草刈機に掛からない大きさになったものは、そのまま成長させることもある。
とても元気がよくて順調に成長した若木は、成木にならないうちから見事な花を咲かせる。そのままの勢いで咲いた花の数だけ実を付ける。

ところが、ここからが問題である。指先ほどの小さいころには、枝もしなるほどの多くの実が付いている。成長するとともに雨は降る、風は吹く。そのたびに実が落ちる。今の時点で半分とまでは行かないが3分の1は落ちてしまう。歩留まりの悪い話しである。

この現象は、まさに人間社会の5月と似たところがある。
就職戦線を突破して、夢を描いて4月に入社した新人諸君。1カ月を過ごしてGW連休を迎えて、振り返ると自分の思い描いた仕事をさせてもらえない。想定した内容と現実が違いすぎて辞めたくなってしまう。現実に辞めてしまう。いわゆる5月病と呼ばれる厄介な贅沢病である。
雇った側の企業にしてみれば、なんと歩留まりの悪い話しである。

企業の業績がよくて、一度に多くの採用をすると、その広き門を通り抜けた分だけ早期退職者が多く出る。どうかすると8月9月までに半数近く辞めていくことも経験してきた。厳しさに打ち勝たなくても、格別な努力をしなくても結果的にいい目を見ると、こういった反作用が生じるようだ。

多く生りすぎた梅の実が、雨や風で落とされるのも自然淘汰なら、1年も持たずに辞めていく新入社員もまた自然淘汰と言うのだろうか。植物の社会も人間社会も甘いことばかりではないようだ。

胸躍らせて神戸の自動車大学に進学した孫君は、コロナの影響で学校も学生寮も一時閉鎖で帰宅している。かなりのストレスを貯め込んで戻って来た。気の毒だが、再開まで辛抱強く待つしかない。

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