「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「歩留まり」

2021年05月03日 | 季節の移ろい・出来事

           
                 たわわに生った梅の実                 風雨にさらされて落ちていく梅の実

6月に収穫する故郷の梅林に実る青い梅。虫食いや傷のない大粒の形の良いものから、我が家の各種保存食品に加工される。
そうして選ばれた後の小梅は、隣接する荒れ地に蒔いておく。蒔いておくと言えば聞こえはいいが、適当にばらまいておくというのが本音である。

2年3年4年たつうちに荒れ地のあちこちから小さな梅の芽が出てくる。草刈機に掛からない大きさになったものは、そのまま成長させることもある。
とても元気がよくて順調に成長した若木は、成木にならないうちから見事な花を咲かせる。そのままの勢いで咲いた花の数だけ実を付ける。

ところが、ここからが問題である。指先ほどの小さいころには、枝もしなるほどの多くの実が付いている。成長するとともに雨は降る、風は吹く。そのたびに実が落ちる。今の時点で半分とまでは行かないが3分の1は落ちてしまう。歩留まりの悪い話しである。

この現象は、まさに人間社会の5月と似たところがある。
就職戦線を突破して、夢を描いて4月に入社した新人諸君。1カ月を過ごしてGW連休を迎えて、振り返ると自分の思い描いた仕事をさせてもらえない。想定した内容と現実が違いすぎて辞めたくなってしまう。現実に辞めてしまう。いわゆる5月病と呼ばれる厄介な贅沢病である。
雇った側の企業にしてみれば、なんと歩留まりの悪い話しである。

企業の業績がよくて、一度に多くの採用をすると、その広き門を通り抜けた分だけ早期退職者が多く出る。どうかすると8月9月までに半数近く辞めていくことも経験してきた。厳しさに打ち勝たなくても、格別な努力をしなくても結果的にいい目を見ると、こういった反作用が生じるようだ。

多く生りすぎた梅の実が、雨や風で落とされるのも自然淘汰なら、1年も持たずに辞めていく新入社員もまた自然淘汰と言うのだろうか。植物の社会も人間社会も甘いことばかりではないようだ。

胸躍らせて神戸の自動車大学に進学した孫君は、コロナの影響で学校も学生寮も一時閉鎖で帰宅している。かなりのストレスを貯め込んで戻って来た。気の毒だが、再開まで辛抱強く待つしかない。

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