「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「すっげ~夕焼け!」

2021年07月17日 | 季節の移ろい・出来事

                                                          

今日も今日とて朝早くから、孫君のソフトボール公式戦の追っかけにいそいそと準備していた。
朝食を始めるころからポチポチ音を立て始めた。降るんじゃろうか、晴れるんじゃろうか、できれば降らないで欲しい。雨に悩まされる一日のスタート。チームの行動や試合会場の動向は逐一ラインで入ってくる。午前7時20分、ついに雨による延期が決定。手持無沙汰をかこつことになる。

雨は降り続く、予定は狂った。ヨシッ!少し溜まっているあれこれを片付けよう。やりゃ出来るのだ??うまいこと雨の一日を活用。全てとは言わないがかなりの部分に片を付けた。そのうち雨が上がった、それも少しの間だけ。再び雨が音を立てる。

そして夕方。今日の日の入りは19時23分。雨は相変わらず、本降りではないものの止みまなしに降り続いている。
その時19時32分。窓の外を茜色に染めてとてつもなく明るくなってきた。ン?火事か?いやいやそうではない。とんでもない見事な夕焼けではないか。コンデジ持って駆け出すと、降り続く雨に肩は濡れ、眼鏡に雨粒が宿る。委細構わずいつもの夕焼けビュースポットに立ってパチリ。

今年初めての見事な夕焼けを見せてもらった。それも世の中を一瞬明るく照らす威力を秘めた夕焼けを。これほどきれいな、心洗われる思いの夕景も珍しい。雨で予定を狂わされ、本人以上に楽しみにしていた試合が流れた落胆の果てが、まさにどんでん返しのご褒美をもらったような得した気分。

ときに自然とは意外な贈り物を見せてくれるものだ。グズグズ悪いことばかりをあげつらっても仕方がない。表も裏もしっかり見て感じて評価するのがいい。とっても上等な雨の一日であった。

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「七色の日!」

2021年07月16日 | 季節の移ろい・出来事

   

今年の後半のスタート文月7月。早くも半ばを過ぎ7月16日を迎えた。
誰が考えたのか「なないろの日」とは、誠にいい語呂合わせである。梅雨の終わりを告げる蒸し暑さの中で、ホッと一息つけるような命名である。7月の「なな」と、16日の「いろ」を合わせた「なないろの日」。

格別何がどうと言うこともないが、自分ではこういった頓智の効いた話を思いつかないだけに、なにかしら一本取られた!という思いに駆られる。
そんな折り、季節を彩るオニユリが、炎天にも負けず厳しい夕立にも負けず、雑草に覆われた足元からすっくと茎を伸ばし、独特の色をアピールしながら見事に咲いている。艶やかな濃いオレンジに黒の斑点をあしらった花弁は、今日の七色の日とはあまり縁がないのが少し寂しい。

♫ クロユリは恋の花 愛する人に捧げれば 二人はいつかは結びつく あ~あ~…… ♪という歌が昔流行ったが、あれは飽くまでもクロユリであって、オニユリではなかったな。
花の姿が赤鬼を連想させることから名付けられた「鬼百合」。恋の歌には少し縁遠いのかも。でも個人的には、ちょっとグロテスクで、ほとばしる情熱を感じさせる花であり、恋を重ね合わせるにはお似合いの花ではないかと思うのだが。勝手な連想をお許しあれ。

ちなみに花言葉は「愉快」「陽気」「華麗」ついでに「賢者」といった明るいイメージである。
背丈は1~2mと大型で、草深い荒れ地の中にあっても、その存在感は確かなものを感じる。それでいて花を下向きに咲かせるというアンバランスを秘めている。なんでじゃろう。

いずれにしてもこの花の咲く時季は、蒸し暑さと、照り付ける太陽の厳しさとダブってしまう。しかし鬼百合に罪はないのだ。草刈り機を掛けるときにはこの花の集団を傷つけないよう心掛け、また来年も
見事な花を付けるよう応援するのみ。せっかくのいい語呂合わせ「七色の日」が「鬼百合」に脱線してしまいました。失礼!!

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「一斉挨拶運動」

2021年07月15日 | 地域活動

  

我が住む町には高校・中学校、そして二つの小学校、計4つの学校がある。
それぞれの校長、教頭先生は地区社会福祉協議会の理事さんであり、校長先生は常任理事という社協の執行役員をお願いしている。そんなつながりもあって、学校と地域の蜜月な良い環境が育っている。

今日は、中小三校による協育ネット協議会の呼びかけで一斉挨拶運動が行われた。学校支援団体や民生委員さん、そして社協の面々、自治会役員、保護者・先生方などが一緒になり、登校時間帯にそれぞれ通学路の要所に立って互いに挨拶を交わす。そんな活動である。

中でも中学校生徒会の委員は、決められた担当場所に立ち、登校する中学生はもとより小学生にも、通りがかるクルマのドライバーにも「おはようございます」の声を掛ける。中学生の彼はその小学校の卒業生であり、後輩たちを優しく見守るという構図が出来上がる。実に爽やかな微笑ましい光景ではある。

世知辛い世の中を反映して「知らない人に声を掛けられたら要注意」などと教えなければならないこともあって、ごく単純な「おはよう」「さようなら」の挨拶さえ出来ない、しない、そんな子が増えているのは確かである。「あそこのおばあちゃんはうるさいから、ちゃんと挨拶して通ろう」とか「あの角の爺さんには大きな声で挨拶せんと叱られる」などといった、世間一般の指導者が少なくなった。と言うか、そういった世間のお師匠さんを排除してしまう世の中に変貌したのかもしれない。ヘタな口出しをすると保護者から逆ねじを食うおそれがある。

それにしてもこんな生活の基本、人間としての原点、とも言える挨拶さえ、地域の人が中心になって教えなければならない子供社会をどう考えるのか。そんな難しいことは「こども庁」を創設しようとしている人たちに訊けば分かるのだろうか。いやいや、やはり地域で生きる、地域で生きてきた人、の知恵を借りるのが大きなハズレはないのかもしれないねー。

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「我が家は美術館?」

2021年07月13日 | 家族・孫話

      
      

久しぶりに、県またぎで里帰りした倅一家。コロナに怯える日は今も続き、自由な振舞いは制限される。
とは言いながら、じいちゃんの畑ではスイカが熟れ、トマトは赤く色づいている様子などを見せると、矢も楯もたまらなくなるらしい。小2で8歳のお姉ちゃんと、4歳の妹。ことと次第によってはオンナのバトルも勃発。

そんな二人が勇んで帰ってきて先ずは畑を一巡り。「夕方の蚊に刺されると痛いよ」の注意も耳に届かない。数分後家に入ると3・4か所が赤く腫れている。ほらね!!そんなことにはお構いなし、よく熟れたスイカを一つハサミでチョキン!大事に持ち帰り真っ二つにして冷蔵庫へ。

夕ご飯もシャワーも済ませ、真っ黄色の甘いスイカを頬張ったら一段落。さてここからチビッ子芸術家の活動開始。「お絵描きタイム」の始まり始まり。
何か月分も取ってあるカレンダーの裏に、色鉛筆で描き始める。お姉ちゃんの方はさすがにテーマがあるようだ。「今日はねー神様と地獄を描きたい」とイメージしたものを絵にしていく。ここでも時々「これな~に?」「おばぁちゃんよ!」「おかしくない?」「いいの!」小競り合いが。

そうしてこうして出来上がった全ての絵は、リビングの壁という壁や和室の障子にまで展示しなければならない。「ワタシここがいい」展示の場所取りもシビアである。そこはじいちゃんの出番で、双方納得のいくショバ割(場所割)で何とか収める。
そして家の中を見渡すと、あちこちに色んな絵が展示されている。「これはね、私の神様なのよ」というお姉ちゃんの絵はなかなかのものである。と、ジジバカ丸出しでお恥ずかしい。

こんな幼い我が家の美術館、次に里帰りするまでは展示品の入れ替えなどしないまま、大事にしておくのだ。

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「追っかけ!!」

2021年07月11日 | スポーツ・観戦

         
    
昨日までのぐずついた空模様が一転、朝から厳しい陽ざしがグラウンドに選手の陰を映し出す。
早くから日程を教えられていた今日の大会、と言うことは「出来たら見に来てね」との意思表示と受け止め、こちらも行く気満々になっていた孫君のソフトボール公式大会。近郊の24チームが集結。8時の開会式、次いで第1試合は8時20分には始まる。それに間に合うようにいつもより少し早起き。
タオル・ウチワ・冷たい飲み物・カウントゲージ・折りたたみ椅子、日除けの傘、その他応援グッズ一式を引っ提げて、約15km先の会場に駆けつける。

カーッと照りつける陽ざし。マスクでムンムンした空気を吸い込みながら汗を流して必死の声援。
予選リーグ初戦は5対4で辛勝。孫君が投手を務めた第2戦は1対0で惜敗。どの試合もみんなどっちに転んでもおかしくない笑いを誘うシーソーゲーム。単純なエラーを犯した側が涙を飲む。予選リーグが1勝1敗では、午後からの決勝トーナメントには進めない。
ヒットを1本も打たれないまま敗戦投手になった孫君に「よくやった!」の声をかけて、午前中で退散。

もしも午後からの決勝トーナメントに進めば、優勝までには3試合闘うことになる。この熱さの中、選手はへばる。それを保護者が氷水タオルで首筋を冷やしたり、ウチワで風を送ったり。甲斐甲斐しい手助けで子ども達は精一杯のプレーをする。しかも、こういった大会に参加する場合、必ず数千円の参加料が要る。今どきの用具は値が張る。グラブのハイクラスは7万円。バットでも3・4万円という。

半端な気持ちでは親御さんも付いてこられない。それでも、少子化の中でなんとかチームを運営出来ているのは、野球というチーム体験をさせることで、集団生活に慣れさせる意図があるのだろう。今の世の中、人並みに楽しい小学校生活を過ごさせるための様々な投資が要るようだ。

追っかけも老体にムチ打って暑さに負けない体力を付けておかなければ、試合日程も教えてもらえなくなりそうだ。それにしても本格的な暑さ到来である。気を付けなければ。

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「雨雲の集団!」

2021年07月09日 | ビッグニュース

               
                  今朝早くに山口県東部をゆっくり移動した雨雲集団

梅雨の末期。何事も末期を迎えると、一瞬のきらめきを見せて果てる、とよく言われる。
今年は格別に速かった梅雨の入りが、当初はまんべんなく雨を降らせ、空梅雨でもなく、ほどほどの雨量で農家には穏やかな雨期であったはずである。それでも間もなく迎える梅雨明け宣言に備えて、梅雨前線が末期の一暴れを繰り返すような大雨の襲来ではある。

他人事ではなく今朝は当地の上空に雨雲集団が停滞。1時間に100mm近い豪雨をもたらした。それも中国山脈の懐近くの山間部が大雨の中心で、瀬戸内海に面した海岸線はお陰様で、バケツをひっくり返すような大雨は割と短時間で収まった。近くの国道の一部が約20cm冠水したとの報道はあったが、大事には至らなかった。ただ、山陽本線線路上に停止した貨物列車が朝から夕方まで動かなかったのを見ると、雨災害の大きさが窺い知れて神妙な気持ちにさせられる。列車は全面的に運転見合わせであった。

埼玉や東京などから「豪雨お見舞い」も頂いたが、割とのんびりした返信が出来たのは有り難かった。
一方で、1時間に100mm近く降った地区にも数人の知人がいる。全てに電話連絡したところ、本人の明るい声で「何事もなく過ぎました」と聞かされて、安堵の胸を撫で下ろしている。

それにしても、バケツをひっくり返したような雨。10m先が見えなくなるような雨。みるみるうちに地面に水が浮き上がる雨。こんな雨を久しぶりに体感したが、まさに逆らえない魔物ににらまれて身動きできなくなる恐怖を感じるとは、こんな状態を言うのかと改めて思い知った。何をどのようにしてでも、兎に角自分の生命を確保する最低限の方策は、日頃から考えておかなければならないことを痛感。

これ以上の被災者や損害を出さないためにも、1日も早い平生が戻ることを願いたいのだが。

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「同じ赤ヘルなのに」

2021年07月08日 | カープ一喜一憂

            

かつて日本プロ野球界を湧かせに湧かせた『赤ヘルブーム』といえば、広島カープであった。
野球殿堂入りを果たす名選手の全盛期であった。強かった。面白かった。その再現が、リーグ3連覇を成し遂げた2016・2017・2018年の3年間である。その後の3年間は、さっぱりいけん!!

ところ変わればなんとやら。今、世界のプロ野球を興奮させているのは、やはり「赤ヘル」である。誰あろう大谷翔平選手その人である。本場アメリカの野球界の話題を独占している感じの、あの二刀流は本当に赤ヘルがよく似合っている。新聞に載った颯爽たる赤ヘル選手の写真を見ると「カープがまた何かやってくれたのかな??」と思ってよく見ると、カープとは全く違うアメリカ「ANGELS」の赤ヘルである。胸のマークはCではなくAだ。

昔からAクラスとか呼ばれて優秀。その点Cは、Cクラスなどと呼ばれてBよりも下位を示す。AとCの違いでここまで差がでるものか。
今年のカープは昨年よりもっとひどい有様。昨年はヤクルトが絶不調から抜け出せないまま最下位を受け持ってくれた。今年のヤクルトは大進撃。となると、テールエンドを定位置として抵抗を示す気概が見えてこない今のカープに何を求めようか。求めちゃいけんのよ、ただひたすら応援するんよ、それがファンというものよ。そうなん???

但し、今夜は3点のビハインドをなんとか逆転で勝った。久しぶりの同一カードを勝ち越した。この勢いが明日につながるか?答えはノー。勝負事の『流れ』『趨勢』『勢い』という目に見えない力強い味方をたぐり寄せる眼力が首脳陣にないから。そんなものがあれば、今日のレフト先発は中村翔成を使うはずである。昨夜の彼の代打ホームランで、明らかにカープの勢いの風向きが変わった。いい方向に吹き始めた。そんな機微を的確に受け止める頭脳マネージャーがいないかね~。やっぱり愚痴か。

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「モグラ対策」

2021年07月06日 | 晴耕雨読

   

    

農作業の難しさに直面している。などと云ったら、専業農家の人に嗤われるかもしれない。でも正直なところここ数年困っているし、対策に悩んでいる。
何を?って。地中を縦横無尽に徘徊するモグラ君である。夜行性、肉食系、地中生活など、人の目の届かないところで、ミミズなど動物性タンパク質を求めて、畑中を穴ポコだらけにする。

タネを撒いて芽生えたものや苗を植えたものを直接食い荒らす、などといった被害ではないが、畑の至る所を掘り返すので、根付こうとする野菜が根付けなくなる。つまり、成長の途中で枯れてしまうこともある。今年のスナップ豆やグリンピースは、根っこに太く長い空洞を作られて、成長を止められた。ホンの数えるほどしか実が付かなかった。実が付くまで成長しなかったのである。

これは紛れもなくモグラの仕業が判明。地中深くに空いている通り道の空洞に10分くらい水を流し込んでみたりした。モグラが嫌う匂い薬剤を買って撒いてもみた。いずれも空振り。どこかの地中であざ嗤われているに違いない。

そういえばかつて、農業をしていた同級生が「田んぼのあぜ道にモグラが穴を開け、あぜが壊される」と困っていた。その対策は、ホームセンターにある「モグラ板」という硬質プラスティックの板を埋め込んで凌いだ」ということだった。「よしオレも」早速あぜ板と杭を購入。コンクリートと畑の間を約20cm堀り上げて、あぜ板を打ち込み杭で倒れ防止をして完成。少しの投資と、流れ落ちる汗の労力で、取り敢えず対策を施した。

ただね、敵もさるもの潜るもの。またどんな知恵を絞って新たな場所に新たな空洞を開けるのか。
イタチごっことは聞いたことがあるが、このたびは相手がモグラだからモグラごっこか。そんな呑気なこと言ってるヒマはない。こちらも次なる手を考えて『モグラ叩き』と行きたいところだが。果たして?

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「7月 大惨事!」

2021年07月05日 | ビッグニュース

             

そろそろ梅雨が明けて欲しいな、今年の梅雨明けはいつごろかねー。などと話題になる梅雨明けが待たれる季節。この頃になると、必ずと言っていいほど日本列島あちらこちらで、取り返しの付かない雨を原因とする大災害が発生する。

時まさに、2年前の九州豪雨災害や3年前の中国地方豪雨災害の追悼式が行われる今、新たに熱海地方を襲った線状降水帯と呼ばれる集中豪雨で、見るも無惨な大災害が発生した。身の縮む思いでテレビ画面を眺める。なすすべ無しの土石流が猛烈な勢いで、全てを飲み込みながら海を目指して下ってくる。
実に恐ろしい光景が現実に起きた。

レーダー観測や気象衛星の発達で、雨の降る場所やおおよその降雨量がピンポイントで予測される現代である。それでもなお、想定外の被災や失われる命の多さに愕然とする。愕然としながらも「あなたは、本当に早めの避難を心掛けていますか」と正面切って問われると、即座に「はいそうです!」とは答えにくい。
気持ちのどこかに「我が家は大丈夫。それがダメなら家もろともに」「この地方は過去にそんな災害はなかったから」「どこに避難するたって遠すぎて移動することそのものが危険よ」などと、色んな理由を付けてあまり動きたがらない。これが人情であり、命に対する甘えであることも自分自身ではよく分かっている。

「早めの避難」とは、「早めに命を守る行動を」とは、いったいどういうことなのか?そんな理屈を言う前に、豪雨予報が出たら安全な場所に逃げることを言う。と決めつけられそうであるが、一宿一飯の恩義に預かる大切な場所。あまり早くから行けるわけもなし、雲行きや予想雨量など、可能な限り具体的な情報を得て次の行動に移る。これが一般常識ではないでしょうかね~。でも、災害が起きて逃げ遅れれば命に関わるし、多くの人に迷惑をかけるし。つらいところである。

「7月中に降る雨量が、今日一日で降る大雨でした」という予報士さん。7月中に降る雨の量って、どこにどれだけ降ったことを言うの?これは止めて欲しいねー。午前中〇mm午後から△mm降りました、の方が具体的で分かりやすいですよ。

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「後輩の訃報」

2021年07月04日 | つれづれ噺

         

「夫 〇〇儀 六十七歳で永眠いたしました」という訃報はがきが届いた。

夫君は、年の離れた会社の後輩で、若いわりに鼻っ柱が強く、時に理屈っぽく、忖度という言葉は彼の辞書にはなかったのではないか。ざっと振り返るとそんな男であった。どちらかというと少し融通が利かない部類で、誰もかれも簡単に寄り付くタイプではなかったような。それが彼の持ち味であり、その性格の全てが疎まれるわけではなかった。言うなれば数少ない熱血漢でもあったのだ、と今になって思う。

そんな彼が、我が意が通らず何かと弱気になったときなど、直接我が家にやってきたこともあった。一見反目し合う先輩と後輩のようであるが、部分的に何故かウマが合った気がする若い衆の一人である。
生涯を共にすると決めた女性に出会ったとき、いち早く我が家に伴って「結婚披露宴の司会を」と頼まれたのは、まだ記憶に新しいが、実際には40年も前の話になる。

そんな彼が、病魔に取りつかれていたのは風の便りに聞いてはいた。それにしても67歳とはあまりにも若い永眠。すぐに電話でお悔やみの気持ちを奥方に伝え、事情の詳細を訊いた。奥方も私のことは記憶にあったらしく、亡くなる前の3年くらいについて詳しく教えてもらった。
ただ、亡くなったのは昨年12月だとのことで、報せようかどうしようか、迷っているうちに時が過ぎてしまって……ということだった。

このご時世、葬儀も告別式も他人が参列できる状態にはないので、報せが早くても遅くても同じようなものではある。これもまた、コロナという諸悪の根源が、人間関係まで遠ざけてしまうのであろう。
兎に角、こういったごく普通の人と人とのつながりを正常に戻すためにも、一にも早くコロナを撲滅しなければならない。心優しき後輩の冥福を祈るばかりである。 合掌

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