「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「同級生の電話」

2022年06月16日 | 幼馴染の動向

                          

夕食後のリラックスタイムにスマホの電話が鳴った。いつも通り先ずは発信者の名前を確認した。恐れていた同級生の女性の名前がそこにある。
別の同級生から、彼女の不幸な近況を聞かされていた。知らなきゃよかったかもしれないが、そういった情報は誰かがいち早くこの耳に入れてくれる。

いつも元気はつらつ人一倍やる気満々の彼女だっただけに、落ち込んでいるであろう相手に元気なオレがどんな声を掛ければいいのか、自分でも不思議なくらい迷いを生じていた。それでも「電話しようかな、最初にどんな言葉をかけるのかねー」などと思い悩みながら今日まで来てしまった。

まさか彼女から先に電話が来るとは思っていなかった。「モシモシ、ケンちゃん元気?アタシよわかるじゃろ」その声は明るくて何事もなく普通に、久しぶりの幼馴染に呼びかける例の調子である。先ずはこちらが呆気にとられて「オッ!元気じゃったの?」と返すのがやっと。
そこからしばらくは、彼女の近況をひたすら聞く立場を貫く。

今年の始め、東京在住の愛する長男君をコロナで失ったという。自分より先に息子を亡くした同級生にかける言葉を探す。次に「私ね、肺がんでステージ4と診断されて、一度はあきらめた人生じゃったんよ」と自ら元気な声でのたまう。オッ、これはその後の治療で劇的な恢復を果たしたなと感じられてこちらも俄然元気が出てきた。ますます話が弾む。「いい先生との出会いがあり今を生かされている。これからの人生は一切の欲無し、周囲への感謝だけで生きて行くよ」と。

生まれた家が近くでまさに幼なじみ、小学校も中学校も高校も一緒。毒づいたり自慢し合ったり思い出は山ほどある。中学校同窓会の常連であり、ムードメーカーだった彼女。どうかするとお互い男友達にも似ていて男女の垣根がなかったような。
まだまだ元気でいて欲しい。最後に「その元気さで行くとアンタが同級生みんなの最後を見届けてることになりそうじゃね、まだまだこれから、楽しもうね」と笑って電話を終えた。

まさに人生色々、百人百通りのドラマがある。何事にもめげずに前を向く生き方、参考になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雨、花に寄り添う」

2022年06月14日 | 季節の移ろい・出来事

  

庭に咲くアジサイが満開を迎えた。たった一株ずつの白とピンク。清楚に静かにしなやかにそして逞しく。
梅雨入りの雨が花びらを葉っぱを濡らし、寄り添うように水の粒を作り、色どりを添える。
あまり喜ばれない梅雨の長雨も、時に花も葉っぱも空気もそして人の心をもしっとり潤してくれる。季節の動きを眼で肌で感じている。

そんな花と雨の中、久しぶりにゆっくりと友を訪ねた。
何をやっても一歩も二歩も人の前を行くのが似合う、リーダーでありパイオニア的存在で有り、時に利かん気の強いガキ大将であり、優しい兄貴であったりするような、同い年のやり手さんである。

今日の場合は、互いに80歳を超えたこともあって、話題の中心が体調の現状推移に始まって、健康維持のノウハウを出し合うという、年配者おなじみの情報交換となった。が、そこには腹を抱えて笑う付け足しがあったり、とんでもない比喩が飛び出したり、飽きない長話は続いた。この時間は精神衛生上大切なものであり、どこにぶつけることもないカープの首脳陣批判や選手個々の発憤を望む共通の話題を最後に退出した。いま思い出しても吹き出すような話題がいっぱい。

中でも、と具体的な説明を加えるのもやぶさかではないが、あれもこれもいっぱい面白おかしく話し合った。お陰で少しのストレスを発散できたということで佳しとしよう。
ただ一つ、病院を訪れたときの待ち時間の長さと、病院の言う「予約時刻」のいい加減さには閉口する。こればかりはなんとかならないかと気色ばんではみたものの所詮患者という立場の弱さで如何ともし難い、という結論に至った。これがもし5年若かったら、院長を相手に談判の一つも練り上げるところだったかもしれない。しかしそこが「年を取ったね~」と感じるところであり『医者と弁護士と警察とは仲良く付き合うのが世渡り上手だよね』という話に落ちついた(笑笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「壮観!」

2022年06月13日 | 晴耕雨読

              
                 今年の青梅の収穫。粒の小さいものは処分したのに……

ついにこの季節の定例作業を半ば催促されて、里の梅もぎに行ってきた。
二人作業で約3時間。もいだね~(笑)太りの遅い小粒なものは処分して帰ったというのに、あるね~。我が家の二階に広げると50kg強。壮観である。

なんで半ば催促されたのか。本来ならこの梅もぎの前段に、梅の木の下に生い茂る雑草を刈り取るという大仕事があるのだ。
それを「今年は左肩に負担がかかってはいけないので」という義兄の思いやりで、草刈のプロに頼んできれいに刈り取ってくれた。そこまでしてくれなくても草刈り機を使いこなすくらいは、リハビリの「普段の生活で可能な限り肩を使う」という条件を満たす格好の作業範囲ではある。
しかし、齢80、手術後完璧ではない妹婿に無理はさせられない。という介護施設生活の義兄の気持ちを汲んで甘えて、草刈りはプロに任せた。

梅林の下刈りは完全に終わったものの、なかなか梅もぎに来ないのを心配した草刈りをしたプロが「そろそろ梅もぎしないと落ちてしまうよ」と義兄にご注進に及んだ。こちらも姉の法要などの日程もあってすぐには梅もぎに行けなかったがおおよその予定は組んでいた。しかし、せっかくの催促を無にしちゃ悪いと思って、急遽、今朝から準備万端整えて、里の梅林目掛けて乗り込んだ次第。

もいでもちぎってもあるは、あるは。這いつくばったり伸び上がったり。
すぐ近くのヒノキの枝から、縄張り嵐を追い出そうとでも言うように、ウグイスが見事なさえずりで威嚇するのか応援してくれるのか。兎に角きれいな声が耳をくすぐる。そばを流れる清流ではカジカガエルが「ボチボチやりんさいよ~」と優しく唄ってくれる。季節としては満点である。

が、問題はこれだけの青梅をどうさばくか。「ウメにうなされる」と嘆く山の神の手助けにと思って、青梅プレゼント外交を展開するのだが、イマイチ、レシピが出回っていないのと、使い道が限られているようで手助け外交もなかなか功を奏さない。
ただこれからしばらく、家じゅうが甘酸っぱい青梅の香りに包まれる。功罪相半ば、梅の壮観である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戯れて汗」

2022年06月12日 | 家族・孫話

  

9歳の誕生祝から一夜明けた朝、元気はつらつの姫孫希さんと妹の奈那ちゃん。
くっきり影を刻むような強い陽射しの中で、ジャガイモ堀りをしたくてウズウズしながら、ジジのお出ましを待っている。

面の皮と同様に?皮膚が薄くて弱いのか、畑仕事を迂闊にやるとすぐに様々な蟲にやられるジジ。畑へのお出ましにも相応の準備に手間が掛かる。今年は、彼女たちの従姉妹である2歳の子も特別参加で、一団と賑やかなジャガイモ掘りになった。
2月に植えて約4ヶ月。今年は天候に恵まれたのだろう、うまい具合に頃合いのいいジャガの豊作であり、子ども達の歓声も一段と大きい。早い話がこの歓声と「じいちゃんのジャガイモおいしいよ」などと言う声に励まされて、手をかけ汗をかくのだ。

左肩のリハビリにも、自然の生活の中で肩の回転を慣していく、という概念から行くと絶好の作業ではある。しかも日差しに煽られて、帽子の下には汗が粒をなす。孫とたわむれて汗をかき、50kgを超える大小のジャガイモを収穫。昨日の四十九日法要の疲れとは異なる疲れでシャワーが心地いい。

そんな作業を午前中に終えて、午後からプロ野球交流戦の最終戦18試合目の対西武戦を、期待のキの字もないまま見ていたら、まさにその通り。あれよあれよという間に10点。カープが取ったのならいいが、カープの投手は完膚なきまでに叩きのめされて早々にテレビから離れる始末。

5勝13敗。12球団中ダントツの最下位。6つあった貯金はとっくに使い果たして借金2。セリーグ同士の戦いではさほど感じなかった弱さ・脆さ・不甲斐なさ・集中力の欠如・ファイティングスピリッツの欠如。首脳陣による選手の力量観察眼の欠如だけでは語れない選手の、ファンに対する甘えが見える。
ひいきの引き倒しにならないよう優しく応援するのもいい。しかし・・・・・・・・・ゴチャゴチャ言うのならファンを辞めろってか。なるほどね~。カープのテレビをあきらめて「さて巨人は」とみればこちらも1イニングで9点取られてる。やっぱりここは一つ辛抱して7月半ばまでカープを応援してみるか。カープファン同士で戯れて、喜びの汗をかくなら構わない。しかし、戯れて結局悲しみの泪汗はサマにならない気がするね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「四十九日法要」

2022年06月11日 | 家族・孫話

           

四つ違いの姉が急逝してから40数日が過ぎた。本来の四十九日法要はこの16日に当たっているが、数日をとりこして、多くが集まりやすいという今日、例によって創価学会友人法要で儀式を執り行った。時節柄、親戚一同に声を掛けるわけにもいかず、葬儀のときと同様に、残された二人の兄妹を中心に、甥や姪、それらの子供たちなどごく限られた人数ではあったが、それなりに立派な法要だったと思っている。気がかりな一仕事を終えて、正直なところ大きな深呼吸をしている。

次は間を置かず、納骨、永代供養申請などが残されている。
これら一連を精一杯手厚く進めて、仏の歩む道を迷わさない状態を作っていかなければ、お役目を果たしたと胸を張ることができない。今しばらく粛々と。

その一方で今日は姫孫希さんの9歳の誕生日であった。早くから6月11日は岩国のじいちゃん・ばあちゃんとお祝いをしたいと約束させられていた。
彼女にとって大伯母さんに当たる人の四十九日法要の後の食事会が、バースデーパーティの一次会となった。そして本番とも言える二次会は、BBQと母親手作りのケーキに9本のローソクを灯し、総勢6人でのお祝いをした。

亡くなった姉も84歳という生涯であり、病で苦しむでもなく、一人静かな旅立ちではあったが、人生を全うしての結果なのだから、ある意味お祝いに近い見送りではある。となれば、これから長い長い人生を迎える若い命の誕生祝いとごっちゃになっても、そんなに悪いことでもないだろうとの判断で、法要とお祝いを同時進行させた。そんな特異なバースデーパーティも、将来の思い出し笑いのネタになるのかもしれない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「時の記念日」

2022年06月10日 | 思い出話

              
                 我が家の初生り、茄子・・・おいしそう

6月10日、時の記念日は毎年この月の今日と定められている。
これは、昔むかしの大昔、天智天皇が671年4月25日に「漏刻」と呼ばれる水時計を建造し、はじめて太鼓や鐘の音によって時刻を人々に知らせたという「日本書紀」の言い伝えに基づいている。というのが定説のようである。ということは今さら言うまでもないことと思いながら蛇足までに。

今ひとつ蛇足を。天智天皇と聞くと咄嗟に思い浮かぶのが百人一首である。
『 あきのたの 刈り穂のいほの とまをあらみ わがころもでは 露にぬれつつ 』
百人一首のイの一番に出てくるのがこの歌である。
 秋の田を守る田の辺の番小屋は、もとより仮小屋なので屋根なども苫がまばらであるから、隙間から
 露が漏って、我が袖は濡れに濡れている。それに只一人で守っているのはさても侘びしいことだ。
直訳をするとこうなるが、実は「天皇の身で有りながら誰一人訪れてはこない。愛しい人も来ないのは実に寂しくて、泪が流れて袖が濡れてしまう・・・」などと人歌に歌に意訳するのではなかったかね~。

ま、こんな蛇足は取り敢えず置いといて。小学校の3年だったか4年だったか、「時の記念日」で作文を書かされたことがある。苦い思い出ゆえに記憶に残っている。
当時は遊び場と言えば学校の校庭はもちろん、畑も田んぼも自由自在の遊び場であった。ひとたび仲間がつるんで遊び始めると終わるのは際限がない。せめて日の暮れる夕方が家に帰る時刻で、それ以外は時刻だの時間だのといった概念がなかった。つまり体内時計であったり、日の出、日の入りが時間を示す概念であった。「時の記念日」と言われて「時ってなんじゃ?時間が流れるってどういうこと??」みたいな小理屈を書いたら、先生からは「分かりにくいよね-」と半分褒められたが、家では親父に「こんなことを書くな!」と叱られた思い出がある。時間って何もの?今もって時々、その昔の概念に引き戻されることがある。

要するに生まれてから、80年という月日が流れて、80歳という高齢者になったのよ。それが時間の流れっちゅうもんよ。てな調子で、あまり考えないことにしている。ややこしくなるから。

それより、4月の半ばに初挑戦で植えた茄子の株が、我が家の菜園で2ヶ月を過ごすことで、見事な初生りを見せている。2ヶ月間という時が茄子の株を太らせ、実を付けた。これが時間の経過っちゅうもんよ。そううことにしておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「熱中症vsコロナ」

2022年06月09日 | ニュース・世相

              

地元の小学校からスマホメールが入った。
『気温・湿度が高くなる中で、熱中症は命に関わる重大な問題となるため、体育の授業や登下校の際にはマスクを外す指導をするよう改めて通知がありました。それを受けて、今後も体育の授業や登下校の際、熱中症対策のためマスク着用を控えるよう指導して参ります。ご家庭においてもご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。ただし、新型コロナウイルス感染症対策のため、マスクを着用したいとお考えのご家庭はそのまま着用されても構わないことを申し添えます。』校長名で、文部科学省からの通達があったというお報せであった。

地域活動のお役目柄、学校支援員も兼ねていることからこういったメールはしょっちゅう入って来る。
今回の場合、登下校でのマスク着用なしを地域の人にいぶかしい目で見られてはいけない、という校長先生のいち早い対応だったのであろう。
ということは、熱中症から身を守るためには、コロナ感染がある程度落ち着いたという判断なのかねー。確かにコロナ感染数値は下がり勾配にあり、熱中症は上り勾配である。

熱中症対策か、コロナ感染対策か、まさにゴジラとモスラが対戦するように、どっちが優勢でも困ったものではある。一方が確実に相手をノックアウトする闘いならまだガマン出来るが、頭上で熱中症とコロナが闘うのを下から見上げているようなもので、人間様はどちらが勝とうが負けようが、どっちにしてもよ~く注意して、双方から我が身を守る方策を身につけなければならないのだ。

外国人の受け入れ制限も撤廃され、観光客を待ち望む声も大きくなり、かつてのコロナの怖さを忘れかかっているかのようである。子ども達に、あの暑さの中マスクを強要するのもね~。大人だって辟易するのだからなんとかして上げたいなと思う。私にも間もなく4回目のワクチン接種がやってくる。これでコロナとおさらばして、熱中症対策専一に。1日も早くそうなって欲しい。

熱中症vsコロナの闘い、あまり見たくないよね~。露・中・米、つまらぬ覇権争いを止めて、互いの武力と権威をもって熱中症もコロナも退治してくれりゃいいのに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「多忙を前にして」

2022年06月08日 | 晴耕雨読

     

庭のアジサイ「墨田の花火」が、もっともっと花開き、家の西側に植えた日除けのアサガオがもっともっと枝葉を詰める頃になると、俄然忙しい季節を迎える。そしてホンの少しでもナメた真似をしたり、手を抜いたりするとたちまち皮膚科に走り込む危険性を秘めたお仕事が待っている。

梅の下刈りがその一つ。鈴なりの青梅を収穫するためには先ず足元の安定が欠かせない。なんせこの時季はどこを見ても盛り上がる草が足下を隠してしまう。その上、あまり好きではないあの長いニュロニョロが顔を出したり、大きな口を開けたりする。それらを、あのガソリンエンジンの急回転草刈り機の鋭い刃と音で安全安心を確保して、梅の木の下に近づく。そうして二つ目の忙しさの梅もぎ(梅ちぎり)が始まる。40~50kgに及ぶ収穫をどう処分するか、そんな忙しさが控えているこの6月初旬。

ホンの束の間のゆとりで心穏やかに過ごすはずなのに、パリーグ相手に完膚なきまでに叩か広島広島カープの野球を見せられると、心穏やかなわけがなくなる。イライラは頂点に達し、いっそ阪神を応援しちゃろうかと思いたくなる。それにしても弱いね~。監督采配もさることながら、選手個々に火の出るようなファイティングスピリッツが感じられないのが腹立たしい。もっと覇気を見せておくれよ。と嘆いても弱い者は弱い。1点も取れないまま、今夜も延長10回サヨナラ負け。ア~~ア ユーウツ!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「無罪放免!」

2022年06月06日 | 健康イチバン!

               
                    スマイルがお似合い

今日は脳内検査の必要があって、岩国医療センターでCT検査を受けて来た。
改めてCTの講釈など必要ないと思いながら、ちょっとなぞってみたくなって、自らの防備録のつもりで振り返ってみた。

英語で言う「 computed tomography」の略称がCTだそうで、日本式に言うとコンピューター断層撮影となる。その心は、放射線などを利用して物体を走査しコンピューターを用いて処理することで、物体の内部構造を画像として構成する技術、あるいはそれを行うための機器。のことを言うのだそうだ。
これ以上のことは自分でも飲み込めていないし、段々奥が深くなって入り込んだら抜けられなくなりそうなので、ハイここまで!ということに。

問題は、何故脳内検査の必要があったのか、CT検査を受けることになったのか。ということ。
ひとつには、肩の故障による手術・入院など非日常的な生活が長かったのと、体力消耗などでそれなりの検査が必要となった。そんな検査の結果、思いも寄らぬことに、脳の一部に血栓が見られると診断された。これがもしも広がるようであれば即除去手術となることを医師から伝えられていた。

今日が実質3回目となるCT検査であった。4月には白濁した血栓の様子がこの目にも認識できた。5月の検査では、白濁の跡が線状に細くなっていた。そして今日のCT結果では白濁が消えており、「血栓が完全に無くなりました。治療も手術も必要ありません」という力強いお言葉を頂いた。経過観察は3ヶ月に及んだが、自然治癒ということで無罪放免となった。

但し、これは一つの小さなクリアであり、今ひとつ気がかりを抱えている。どちらかというとノー天気な性格は、病気に負けて落ち込むことはないんじゃないかな、などと思ってはいるのだが、少し神経質になったり気を配ったりする年齢であることは承知している。

いずれにしても、元気がイチバン!スマイルな毎日を過ごしたい、と思ってはいるのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自治会の活動」

2022年06月05日 | 地域活動

         

6月の第1日曜日は、原則として我が住む自治会の清掃作業日となっている。この作業が習慣化し定着してからさて何年になるのだろう。
自治会長さんが輪番制で毎年変わる自治会が多い中で、我が自治会も輪番制で1年こっきりの会長制度が長く続いた。それがようやく昨年度の役員会の中で、高齢化や独居家庭が増える自治会の将来を見越して、画期的な改革が提案された。それが自治会長任期の複数年化。つまり再任を妨げないという会則に変更され、自治会体制として半歩前進したと思いたい。

そんな自治会で今年も清掃作業が行われた。各自の敷地に沿う道路にある土砂やゴミの溜枡のどぶさらえ。そして団地公園と自治会館建設用地の草取り。いわゆる環境美化の二つがメイン作業である。

そもそも自治会っていったい何者なの?
明快な答えも持っていないし、当っているかどうかさえ不安であるが、少しだけ考えるところはある。
但し、考え方はそれぞれだから、個人的見解は先ず置いといて、ごく一般的な風潮を見ると、自治会・町内会という最も身近な組織は、若い人たちからは敬遠される存在みたい。それが子育てを経験して、学校に通い始めたりすると、周囲の助言や手助けなどが徐々にわずかな有難味として感じる人が多くなる。それでも必要性を感じない人は必ずいる。

逆にお年寄りにとっては、遠い親戚より近くの他人と言われるように、互助組織であり、気持ちをほぐすご近所さんということになるようだ。これも人それぞれ、一切関わりを持たない生き方を望む人もいるので、一概には言えないが一般的にはそんな感じかな。
若い人たちだって、親御さんの住んでいる場所に自治会や町内会があって、周囲の人たちと互助の精神でゆったり暮らしてもらう方が、孤独な一軒家暮らしより安心していられのではないか、などと余計なことを思ったりする。

いずれにしても、飽くまでも世間一般の感じとして受け止めた極めて個人的な見解なので、強制するものでも同調を求めるものでもないことを強調しておきたい。ただ、どこで生きても何をしても協調する気持ちを僅かに持つことは無駄ではない気がする。協調を忘れてヘタな口を滑らせて孤立する不如意を何度繰り返してきたことか。反省すべき半生ではある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい