紀子妃の胃の調子、百合子妃が亡くなった事などは
「今月、三笠宮妃殿下が101歳で 薨去 されました。
殿下と共に大変な御長寿であったわけですけれども、私は今年の1月にお目に掛かったのが多分最後で、また昨年の私の誕生日には、宮邸までお越しくださってお話をしたりいたしました。
そのようなことからも大変寂しい気持ちであります。
何と!百合子妃が去年の殿下のお誕生日に宮邸まで行かれたとは!三笠宮家と秋篠宮家には絆があるんですね。会われた時、どのようなお話をされたのでしょうか。
次に、上皇、上皇后両陛下のことですけれども、上皇后陛下が骨折されました。
私もそのことを聞いて非常に驚いており、早いご回復を願っておりました。
その後、恐らく最初にお目に掛かったのが10月20日のお誕生日だと思います。
その時は車椅子だったのですけれども、この前三笠宮妃殿下がお亡くなりになった後、お悔やみに仙洞御所に上がった時は 杖 をつかれてはいましたけれども、立って迎えてくださいました。
私の印象ではとても回復が早いのではないかと思い、 嬉 しく思いました。
また、上皇陛下とは、ここ1月半ぐらいの間に2回ぐらい、私が御用地の中を散歩している時に偶然お目に掛かるということがあり、短い時間ですけれどもお話をしたりすることがありました。
上皇后陛下のリハビリは非常に大変だと思いますけれども、より回復され、そして上皇陛下と共に健やかに過ごしていただくよう願っております。
こちらも具体的にいついつ上皇后と会われた、上皇陛下とも会われたとあり、秋篠宮家と上皇ご夫妻の繋がりが密である事がわかります。
上皇陛下は何とおっしゃったんでしょうね。「アーヤ?元気なの?そう?」みたいな会話でしょうか。
上皇后陛下の驚異的な回復は、今後のリハビリ分野で活用されないでしょうかね。
妃殿下の体調は
完全に元の状態に戻っているかというとそうではないと思います。ただ、随分と回復して、通常の活動を行えるようになっております。以上です。
マスコミとしては、何か言質を引っ張り出したかったんじゃないかと。つまり天皇のように「疲れが残り」とか言われればそれをネタに「悠仁殿下の進学が」と書けるわkですから。
その質問に対して殿下は、「通常の活動を行える」しかし、「完全ではない」とおっしゃるだけに留めました。
これは、余計な事を言ってマスコミの餌食になる事を避けた為と思われます。「以上です」って言われたらもう質問のしようがないですから。
成年皇族となった悠仁殿下について進路問題など話し合ったのか。
長男が今年の9月に18歳になり、民法の定める成年年齢によって成年となりました。
ただ、私もずっと20歳の成年という認識できておりますし、2022年の4月からですかね、施行されたのが。その18歳の成年というのにまだ慣れていない、周りも慣れていないこともありますし、高校の在学中です。
そのようなことから、今一つ私としては実感が湧いていません。
恐らくこれで成年式があると成人になったんだな、ということを感覚的に分かるようになるのではないかと思っています。
多くの親が思う事を殿下も思っていらっしゃるんだなと感じています。早く成年式を見たいですよね。
それでこの18年間の思い出で何かあるかということだったと思いますが、本当にあっという間に18年は過ぎるものだなと強く思っているところです。
子供の頃というのは1年がすごく長く感じるように思います。
私も小学校の6年間だけはとても長かったように思います。
ただ年齢を重ねるにつれて、どんどん時間が短く感じられるようになって、親の立場で見ると、本当についこの前までチャイルドシートに乗っていた子供が、もう成年なのかと思うと実に時の流れが速いということを実感いたします。
ほんと、ついこの間まで小さな殿下であらっしゃったのに、いつの間にか背が伸びてりりしいプリンスになられた。
そのような中で、いろいろな思い出を作ってくれました。国内の旅行をしたことも度々にありましたし、海外もブータンだけですけれども、一緒に行ったのもとてもいい思い出です。
その中で、特に強く印象に残っているのは、もうだいぶ前になりますが、長男が小学校6年生ぐらいの時のことです。
学校では、例えば地震があったりとか緊急時に親が引き取りに行って、連れて帰るという、その練習があるんですね。
たまたまある時、妻が用事があって行けなかったことがあり、私が代わりに引き取りに行きました。
学校で子供を引き取ってから、具体的なことは忘れましたけれども、ある一定の距離は徒歩で帰らなければいけないのですね。
私もそうしたのですが、残念ながら私は空間認識が非常に悪いんです。
いつもエレベーターを降りても大体逆に行くようなことが多くて、方向が定まらないから、息子を引き取ったのはいいけれども、道を歩いて、二つに分かれた所をどっちに行っていいか分からないのですね。
そういうようなことがあったもので、ほとんど帰り道は長男に手を引かれて、彼が行くままに従って行ったということがありました。
その時に随分成長したんだなということを感じました。それが一番強い思い出ですかね。強く印象に残っていることでしょうかね。
なんて素敵なエピソード!悠仁殿下が小学校6年生の時に、殿下の手をとってずんずん歩いていく姿が目に浮かぶようです。親子が逆だなときっと殿下は苦笑されたと思いますけど、こういう時にも悠仁殿下の頼もしい部分に胸をつかれたのでは。
何となく想像できちゃう悠仁殿下と殿下の関係。歳をとってから生まれた子というのは、ある意味親の道しるべになったりするものですから。