この場所は何年も訪れることは無しに過ごしていました。
あの、7年前の中越地震で崩壊した村々を訪れることが好奇心ではいけないと自分を戒めていましたから。
きっと、この養鯉池も崩壊し、そのご復旧されたものと思います。
この地域は独特の軟弱な路盤構造の上に成り立っていますから。
今年は猛暑と少雨、そして、霜が遅かったことが紅葉には幸いしました。
遠く見える穏やかな稜線はきっと旧守門村の「鳥屋ヶ峰」でしょう。
眺めているうちに沢から霧が立ち上ってきました。
そして、霧の彼方に小千谷市の端に位置する「塩谷」集落が見えます。
ここも中越地震では大きな被害の有ったところです。
ここに、会社で使っていた下請けの豪傑社員が住んでいました。
彼は、地震発生後家族を心配し、警察、消防の監視の目をかいくぐり暗闇の中、家に帰ったとか。
彼の話によると、想像を絶する大規模な地殻変動が有ったそうです。
「昔、この山の向こうに○○集落が有る。と、言われていたのに今はそれが見えるようになりました」
木沢からの風景流の流れが早くなり、集落は再び霧に隠れてしまいます。
その、豪傑の彼も今は山を降り、小千谷市の死骸に近い位置に家を新築しています。
何事も無かったかのように見える山懐に抱かれた村も離村者が多かったはず。
美しい棚田の風景で知られた、旧山古志村は地震など無かったかのように静かな佇まいです。