昔を思い出し、懐かしく感じるなんて自分自身の老いでしかない。
これは小学校の卒業記念で、こんなクラスが二つで90人余りが一緒に卒業。
先日、この小学校一年生たちに「焼き芋」のサービスをするために出かけたがなんと14名。
少子高齢化の現実、見本みたいなもの。早晩地域が消滅してしまうかも知れないと言う。
その三年後、いくつかの小学校の卒業生が一つの中学校に入った。
今でも覚えているけれど、同学年は324名で7クラスだった。
この地域のお定まりで、修学旅行は東京。花のお上りさんの初東京だったなー。
そして、県央の工業高校に進学する。
今では、公的な建物を初めに隙間なく大きな建物が出来たけれども、この頃は水田に囲まれていた。
建前上は男女共学だけれども、実際の高校三年間は一学年上に女性が一名在籍したのみ。
男ばかりの教室なんて、殺風景で休み時間なんてこんなもの。
よほど、前の時間の授業が面白くなかったんでしょーねー(笑)。
でも、そんな中で唯一みんなが居眠りしなかったのがこの先生の授業。
最初の授業で「あ、僕の授業はメモしなくてよいよ、テストの内容は教えるから」の言葉に度肝を抜かれる。
一応担当は「世界史」何だけれども、世界史の話なんて出てきやしない。
最初から、最後まで漫談なんだものー。
でも、最後の別れの言葉は今も忘れられません。
「君たちも生きていれば、きっと死にたくなるほど辛いことにも出会うだろう。その時は僕を思い出し、僕のところに来なさい」
先生は、工業高校の生徒たちに世界史なんてあまり意味が無い。もっと別の事が大切と思われていたのだと思う。
居眠りをしているスベルべ少年ではありません。
頭髪の濃さはともかくとしても、凛々しい眉はとても自分と思えない(笑)。
一生懸命にでも下手くそな機械の図面を書いている所ですよ。
その高校三年の春かなー、奈良、四国、京都を訪れた修学旅行の一こま。
肝心の親友が写っていないのは、彼がこの写真を撮ったからに違いない。
この女高生たちは、シャッターを押したであろうその物おじを知らない親友がナンパしてきた。
関東地方のある共学校のグループで、今思えば良くぞ、その学校の男子達ともめ事にならなかったものだ。
最初の夜、四国の高松で出会い、その後は奈良、京都とほぼ同じ行程。
団体バスを降りると、お互いを探しだし駆け寄って集まったものでした。
最後の京都の夜では集まって住所入りのプレゼント交換。
誰のプレゼントが誰に亘るのかは神のみぞ知るスリルに満ちたイベント。
今でも思い出すと胸が高鳴りますね、会って見たいなー、お互いにお爺さん、お婆さんになってしまったけれど。
でも、もっとも残念ことはこの事を仕掛けた親友が病の床に付き、スベルべを認知さえしてくれない現実です。