父の「味噌天」(その1)
父は数え三歳で母を亡くし、厳しい母親に育てられた。
継母は子育てに甘いといわれることを嫌ったのか、
殊の外に辛く当たった部分も有ったように父はポツンと語ったこともある。
ずいぶん小さい頃からご飯ための米研ぎは父の仕事だったようだ。
父はそのことは辛くは無かったが、皆が外の小川の水を使って野菜を洗ったり、
米を研いだりしていた。
父は心無い女性たちに「お、また女ご(女中の意)が来たな」とからかわれるのが、
如何にも悲しく辛かったとか。
そんな育ち方も理由だったのか、明治の生まれの男としては、
台所に立つことも厭わなかった。
でも、辛い思いをしたことからか、母にもそして嫁である妻にも、
食べ物にうるさいことを言った記憶もない。
(続く)