悪夢のような水害から二年四カ月余りが経過した。
百年に一度発生するかしないかと言う大水害だった。
マックスと朝の散歩で堤防延伸工事現場の近くを通る。
これはきっと、今回の延伸工事の測量の基準点になった杭でしょう。
新旧堤防の接続部分です。
一昨年の水害では、この先の堤防欠落個所から大量の泥水が逆流した。
この先の地形が、山が魚野川の両側から川に迫り細くなっている。
そのため、大量の水が流れをせき止められた形になって、津波のように我が家を襲ったのでした。
新堤防の工事部分がくぼんでいるが、そこを埋めて新堤防の完成でしょう。
でも、当初の説明よりもまだ先端が短く、計画通りとは思えない。
二期工事でも発注されて完成と言うことになるのでしょうか。
堤防の下に、「丁張り」と呼ばれる赤白のいたが設置された。
別の工事件名で、堤防の下部を守る護岸が設置されるようです。
旧堤防の下部にも「丁張り」が見えるから、堤防下部の補強工事も大規模の様子。
なお、「丁張り」の下にコンクリートブロックが見えるが、
これは水害の年の冬に、積雪を突いて急遽行われた簡便な護岸工事だと思われます。
スベルべの素人考えでは、重機を使って魚野川本流の水流の方向を変えたら良いと思うのだが、
国交省は何の思惑か、河川の水流の方向変更には手は付けないようです。
でも、川の流れの変化って長い間には随分変わるものですね。
子供の頃、そう五十年ほど前には新堤防の延伸先には、川船の船頭の竿も川底に着かない深い淵が有った。
そして、この写真の先の中州と堤防の間にも深い淵が有って大きな鯉が泳いでいるのが見えたものです。
国交省の方針で、川砂利採取が禁止されてから、川の地形変化が自然任せとなり、
大きな「瀬」や「淵」の無い平坦な河川を作り上げて行ったように思える。
国交省の功罪は別として、川が大きな変化をしたことだけは事実です。
魚野川の向こう、右岸も堤防延伸工事が施工中でずいぶん伸びています。
左右両岸の堤防は本流、魚野川からの大量の水の流入は防げるでしょう。
でも、いずれも工事の終点近くにある、魚野川の支流「大沢川」と「芋川」から大量の出水が有った場合、
堤防によって流出が妨げられる恐れも有ると考えられる。
いずれにせよ、人間は長い歴史の中で災害と戦って生きて来ている。
大地震と大水害を経験したスベルべは無責任ながら、自分が生きている間には大災害が無い事を祈るのみ。