畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

除雪機の発達と暮らしと

2014-12-27 05:58:00 | 暮らし

 先日は、除雪機の出動が遅れて駅前は大混乱。
通勤者の自動車が道路の片側を埋め尽くすような事態になった。

 個人的に除雪に対する苦情を市当局にはしないのだけれども、さすがに状況を見かねて電話。
担当者に急がなくても良いけれど、実態を見に来てと話すと、すぐに担当業者を伴って跳んできてくれた。

 あまり細かいことは言いたくないのだけれどもどうも、降雪量と除雪作業の関係がちぐはぐ。
「業者任せの業者ペースでは無いか」と指摘したけれども返答はのらりくらりの言い訳ばかり。

 この日は、朝に一回除雪車が来て作業し、これは日中のこの日二回目の除雪。
ま、まだ大丈夫だと思われるタイミングだけれども、先日の電話が効いたのかなー。



 タイヤドーザーが道路全体の雪を片側に押し付けて寄せると、次はロータリー型除雪車。
田舎と言っても、そう雪捨て場所が有るわけでも無く、決まった場所に投げるから雪の山が出来る。



 たちまち、横断歩道の標識の倍以上の高さの雪の山が出来る事となる。
いずれ、日を置かずダンプカーで搬出せざるを得ないでしょう。



 この駅前道路を含む市道が、国道並みの幅に拡幅される前は、現在のこの歩道が市道の幅だった。
それでも、普通自動車などは行き違いも出来たしそれなりの暮らしは出来ていた。

 でも、生活が便利になったと言うか、通学のために電車に乗る高校生を自動車で送迎する時代。
そのため、駅前は通学電車の時間帯には送迎のための自動車で混乱するほどですから時代も変わったものです。



 これは後に「56豪雪」と名付けられた昭和56年の大雪の光景でしょう。
右の家は、その後道路を挟んだ左側に移転したのだけれども、屋根にはその家のお母さんの姿。

 家に向かって歩くのはピンクの手編みの防寒着のふーどを冠った下の娘。
向こうの我が家の前には、上の娘と若き日のスベルべママのすがた。



 おー、家の前には亡父とスベルべママが立ち話をする姿も見えるぞ。
昭和56年の光景に間違いが無いとすると、この年は最終的に5m近い積雪になったはずです。

 昭和40年代に入るまでは、国道さえ冬季は雪で交通が閉鎖されていました。
いわゆる無雪道路になったのは、スベルべが20歳代になってからの事です。

 先日もその頃の雪の話を紹介しましたが、我が家の屋根も瓦葺きで当然人力除雪。
日中、この道に屋根雪を落とすと、自動車の通行が出来なくなってしまいます。

 そこで、若き日のスベルべ夫婦は朝四時に起き出して除雪車が来ることを確認してから雪下ろしをしていました。
雪下ろしで一汗かいて、家に入り入浴。そして朝食の後に平気で出勤する日々でしたね。

 文明文化の発達と、それにともなって失ったものの大きさにも考えさせられてしまいます。
単なるノスタルジアでは無くても、人は便利さと引き換えに失うものも大きい何て思うこの頃です。
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カーちゃん晩ご飯まだー?

2014-12-26 05:01:24 | 食べ物

 朝五時半からホーム除雪で奮闘し、二時過ぎに帰宅。
年賀はがきを仕上げて、しばし読書。


 読む本は先日取り寄せた「我田大」氏の著書「美味いが野菜」です。
さて、野菜とその美味しい食べ方を見ていたらお腹が空いて来たぞ「ご飯まーだー?」。



 読んでいた「美味いが野菜」にもふさわしい、我が家の野菜料理の大皿。
キャベツ、ニンジンの甘さが舌に優しい。



 「またー!」なんて、飽きられた言葉がカーちゃんの口を突く「鮭のアラと大根の煮物」はトーちゃん製。
これがね、また飽きの来ない美味しさなんですよー。



 ほら、ヘルシーな「オカラ料理」。
洒落で包丁の要らない、簡単な「キラズ」なんて言い方もオカラには有るようですが。



 年末で、お歳暮のハムのセットも良く届く。
軽くフライパンで焼き目を付ける程度に焼いて食べます。



 そして、御飲み物はときたらこのお酒。
先日、長岡の酒屋さんに焼き芋と「雪の下大根」を一本お届けした際に頂いたもの。



 大根一本と、お酒一本の交換とは「ワラしべ長者」のようなお話。
ほら、何流かは分からないけれどこの難しい書体の字は「つるはとぶせんじゃくのゆき」と読むらしい。



 夫婦二人でお酒から始まった夕食もたけなわになった。
そこで酔いの気持ち良さに、水を差すような天気予報。まだまだ雪は降り続きそう。
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雪が一休み

2014-12-25 04:33:27 | 自然

 一旦冬型の気圧配置が治まり、雪が止んで気温も上昇。
山の急斜面、地震で崩れ落ちたあたりからはすでに雪崩が始まっています。



 雪が消えると、もっとも早くゼンマイや独活が顔をのぞかせるところ。
そして、カモシカたちも早い緑を求めて餌を探しまわるところです。



 昭和56年の貴重な航空写真です。
あの年は、一週間も降り続いた雪が、止んだとたんに一気に雪崩となって滑り落ち線路を埋め尽くした。

 右下方に、古い駅舎や跨線橋が見えます。そして、山の上の平らな部分に我が家の畑がある。
航空写真で見ると、テーブルマウンテンのような河岸段丘の地形が良く分かります。



 これは雪崩の直後に線路を埋め尽くした雪をようやく片付けたところです。
ホームにはまだ背丈ほどの雪が残り、電柱に付けられたビームと言う鉄骨の上にも雪崩の名残がある。



 別の角度から見た航空写真です。
当時の国鉄では、雪崩危険個所の調査のためにヘリコプターをチャーターしていました。

 何時もだと、雪が降り止み気温が上がると、急斜面の雪は落ちてしまう。
あの大雪崩の年は、0度前後の気温と降雪が一週間も続き、その間に積った雪が一度も落ちることなく、
大量に斜面に降り積もった結果でした。

 「災害は忘れた頃にやって来る」の言葉を忘れてはなりません。
こんな、雪崩の危険個所はここ魚沼の地にはいくらでも存在していますから。
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柿の赤さが雪に映えます

2014-12-24 04:56:19 | マックス

 雪が降り始めると、周りは墨絵のようなモノトーンの世界になります。
その中で、取り残した柿の実が雪に映え、鮮やかな朱色に近い色を見せてくれる。



 雪舟か宮本武蔵の絵になんだかこんな絵が有ったような・・・・。
墨絵の中に一色だけ、赤色を入れるなんて手法が有ったような・・・・。



 降り続いた雪が珍しく止み、雪雲が途切れた日の柿のある風景。
この柿は妻の実家の古木。結婚した当時も今と同じ位に大きかったからかなりの年数の古木です。

 柿の木は地表から2メートル近い部分が膨らみ、接ぎ木の痕跡をはっきりと残しています。
義母は、昔の人は知恵に長けていて、根元をネズミの食害から守るため、「マン柿」と言う種類を台木にしたと言う。



 雪国で庭木を植えて愛でると言うことは大変な労苦を必要とする。
一本の松の木を囲うのに、何本もの杉丸太を使っています。

 兼六園の雪囲いは有名だけれども、あちらよりも数段雪の多い魚沼の庭木は管理が難しい。
囲い用の丸太を夏季に片付けておく場所、スペースも半端なものではありません。

 この柿は随分取り残しが有るけれど、近年柿はさほど食べられなくなっていますからね。
これは「八珍柿」と言う種無しの渋柿で、焼酎を使って渋抜きをするか、干し柿にして食べます。

 義母が一人暮らしを続けていた時代は、スベルべが樹上に昇り収穫したりしていました。
籠にロープを付けてサルのように昇り、籠一杯に柿を詰めてはロープで、するすると下ろしていたものです。
そんな事をしていた時代は随分遠い昔の事になってしまいました。
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師走の大雪

2014-12-23 04:50:08 | 自然


 昨日で積雪は1m数十センチで、この辺りでは特別驚く雪の量では無い。
しかし、それが師走12月の事となると、ちょっと珍しい大雪と言う事になります。
(写真は運休連発のJRの線路



 駅名標も次第に埋もれて行きます。
昨日は、早朝出勤してすぐにホームの除雪。しかし、降り続くので午後にももう一度除雪。



 電車の運休もともかくとして、月曜日で通勤者の自動車が来るのに除雪車が来ない。
一番電車は出たものだから、慌てた通勤者で駐車場の入り口をふさぐように駐車した輩がいた。



 その後、日中も降り続くものだから後続の通勤者は駐車場所を求めて右往左往。
我慢のおが切れたスベルべは、道路の除雪を管理する市役所に電話を入れることになった。



 駅前の道路は臨時の駐車場と化してしまった。
これでは除雪車が来ても除雪作業は出来ませんね。

 個人的に市役所に除雪方法について注文を付ける電話などしないスベルべです。
でも、昨日の場合通勤者が押し掛ける前に除雪作業が着手されていたならば防げた混乱ですからね。

 ジェントルマンのスベルべは怒鳴りつけるようなことはせずに、穏やかに現場を見て下さいと依頼。
すぐでは無くても良いですよと言う言葉にも関わらず、結構早めに駆け付けてくれましたね。

 でも、駅の前広場の管理はJRと地方自治体で管理に微妙な意識のずれが有ります。
電車を使用する人のためのものと思うか、市民の利便性を確保するかの意識の違いでしょう。
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