先日は、除雪機の出動が遅れて駅前は大混乱。
通勤者の自動車が道路の片側を埋め尽くすような事態になった。
個人的に除雪に対する苦情を市当局にはしないのだけれども、さすがに状況を見かねて電話。
担当者に急がなくても良いけれど、実態を見に来てと話すと、すぐに担当業者を伴って跳んできてくれた。
あまり細かいことは言いたくないのだけれどもどうも、降雪量と除雪作業の関係がちぐはぐ。
「業者任せの業者ペースでは無いか」と指摘したけれども返答はのらりくらりの言い訳ばかり。
この日は、朝に一回除雪車が来て作業し、これは日中のこの日二回目の除雪。
ま、まだ大丈夫だと思われるタイミングだけれども、先日の電話が効いたのかなー。
タイヤドーザーが道路全体の雪を片側に押し付けて寄せると、次はロータリー型除雪車。
田舎と言っても、そう雪捨て場所が有るわけでも無く、決まった場所に投げるから雪の山が出来る。
たちまち、横断歩道の標識の倍以上の高さの雪の山が出来る事となる。
いずれ、日を置かずダンプカーで搬出せざるを得ないでしょう。
この駅前道路を含む市道が、国道並みの幅に拡幅される前は、現在のこの歩道が市道の幅だった。
それでも、普通自動車などは行き違いも出来たしそれなりの暮らしは出来ていた。
でも、生活が便利になったと言うか、通学のために電車に乗る高校生を自動車で送迎する時代。
そのため、駅前は通学電車の時間帯には送迎のための自動車で混乱するほどですから時代も変わったものです。
これは後に「56豪雪」と名付けられた昭和56年の大雪の光景でしょう。
右の家は、その後道路を挟んだ左側に移転したのだけれども、屋根にはその家のお母さんの姿。
家に向かって歩くのはピンクの手編みの防寒着のふーどを冠った下の娘。
向こうの我が家の前には、上の娘と若き日のスベルべママのすがた。
おー、家の前には亡父とスベルべママが立ち話をする姿も見えるぞ。
昭和56年の光景に間違いが無いとすると、この年は最終的に5m近い積雪になったはずです。
昭和40年代に入るまでは、国道さえ冬季は雪で交通が閉鎖されていました。
いわゆる無雪道路になったのは、スベルべが20歳代になってからの事です。
先日もその頃の雪の話を紹介しましたが、我が家の屋根も瓦葺きで当然人力除雪。
日中、この道に屋根雪を落とすと、自動車の通行が出来なくなってしまいます。
そこで、若き日のスベルべ夫婦は朝四時に起き出して除雪車が来ることを確認してから雪下ろしをしていました。
雪下ろしで一汗かいて、家に入り入浴。そして朝食の後に平気で出勤する日々でしたね。
文明文化の発達と、それにともなって失ったものの大きさにも考えさせられてしまいます。
単なるノスタルジアでは無くても、人は便利さと引き換えに失うものも大きい何て思うこの頃です。