雪が降り始めると、周りは墨絵のようなモノトーンの世界になります。
その中で、取り残した柿の実が雪に映え、鮮やかな朱色に近い色を見せてくれる。
雪舟か宮本武蔵の絵になんだかこんな絵が有ったような・・・・。
墨絵の中に一色だけ、赤色を入れるなんて手法が有ったような・・・・。
降り続いた雪が珍しく止み、雪雲が途切れた日の柿のある風景。
この柿は妻の実家の古木。結婚した当時も今と同じ位に大きかったからかなりの年数の古木です。
柿の木は地表から2メートル近い部分が膨らみ、接ぎ木の痕跡をはっきりと残しています。
義母は、昔の人は知恵に長けていて、根元をネズミの食害から守るため、「マン柿」と言う種類を台木にしたと言う。
雪国で庭木を植えて愛でると言うことは大変な労苦を必要とする。
一本の松の木を囲うのに、何本もの杉丸太を使っています。
兼六園の雪囲いは有名だけれども、あちらよりも数段雪の多い魚沼の庭木は管理が難しい。
囲い用の丸太を夏季に片付けておく場所、スペースも半端なものではありません。
この柿は随分取り残しが有るけれど、近年柿はさほど食べられなくなっていますからね。
これは「八珍柿」と言う種無しの渋柿で、焼酎を使って渋抜きをするか、干し柿にして食べます。
義母が一人暮らしを続けていた時代は、スベルべが樹上に昇り収穫したりしていました。
籠にロープを付けてサルのように昇り、籠一杯に柿を詰めてはロープで、するすると下ろしていたものです。
そんな事をしていた時代は随分遠い昔の事になってしまいました。