ひょんなことから地方紙「越南タイムス」に連載をはじめさせて頂くことになった。
ちなみに新聞名の「越南タイムス」は越後の南と言う事からの命名でしょうか。
「越南」は「ベトナム」の漢字表記で有ることは周知の通り。
でも、決して「ベトナムタイムス」では無く、あくまでも「えつなんタイムス」ですからね。
連載のきっかけは三年前にさかのぼるでしょうか。
あの忌まわしい「新潟福島豪雨」の被害取材に記者が来られ、その後社長がゲラ刷りを届けにお見えになられた。
その際に、「雑文を多く書きためているので良かったら使って下さい」なんて話したのでした。
その後も我が家の農天市場の裏に有る「ジュンベリー」を売りこんで記事にして頂いたりしてお付き合い願っていました。
「越南タイムス」には、過去も現在も達筆の先輩諸氏が連載をしておられ、現在も続いています。
現在の執筆者が高齢などを理由に連載を終えられる事になり、その後にスベルべが書くと言う事になりそうなのです。
気軽に引き受けたのは良いものの、先輩達の書いたものを見ると、心が少し萎縮してしまいます。
これから、時間を見つけては気合を入れ、書きためた文章の加除訂正に勤めようと覚悟しています。
ちなみに過去に連載されたと言う故「大島月庵」先生の画集を引っ張り出して眺めました。
見事な筆遣いで雪国、魚沼の暮らしを紹介されています。
これは吹雪の中の登校です。
そうだそうだ「盆踊り」なんて今と違って人が幾重にもなって踊ったっけ。
はざ木と呼んだ、立ち木などを利用した稲の天日干し風景です。
しかし、目を奪われたのは後ろの古民家。
形は違うけれども、昭和32年10歳まで暮らした我が家に造りが似ています。
我が家は中門と呼ぶ玄関などのある部分が「千鳥破風」と呼ばれた形式でもっと高くそして尖って見えました。
そして、寄る歳月の波に揉まれて中門は大きく前方に傾き迫力のある姿だったように覚えています。
田舎暮らしでは当然の、自家用の柿の木も、甘柿、渋柿と二本有り、家の前には池と言う普通の家でしたね。
おっと、また話しが変な方向に。表は初雪でうっすらと白くなった今朝です。