畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

野道を行けば~

2019-05-19 04:13:20 | 自然

 毎日慌ただしく軽トラで山の畑に通っているが・・・。

何回かはトラクターで山の畑に向かい違った風景を見る。速度が違うと見える物さえ違うのです。

 

 例年よりも10日余り遅いと思うのだが藤の花が満開だ。

昔の人々は軽トラに乗るなんて事は無く、毎日歩いて山の畑に通い、風景を楽しんでいたに違いない。

 

 まー、フジの蔓なんて巻き付いて木々を枯らす邪魔者、厄介者。

こんなに満開の花を咲かせる前に、鉈で切られていたに違いない。

 

 タニウツギのピンクの花も盛りになって来た。

田舎の野道、農道はこうしてゆっくりトラクターで行くと色々な表情を見せてくれるのです。

 

 さー、頂上の平坦部、河岸段丘の端に着きます。

向こうには5月らしい、夏雲も顔を覗かせている。さー、畑までもう一走りです。

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連載195「友人の消息」(その2)

2019-05-18 04:33:59 | 暮らし

  (写真好き、カメラ好きだった奴の作品に違いない。名物世界史の先生。授業と言うよりも漫談だった)

          友人の消息(その2)        

 通学途中にある普通高校の文化祭があると、従妹から聞き、途中下車をして見物に行った事が有る。

その時、廊下ですれ違いざまに、いきなり殴りかかられ友達は唇を切ってしまった。

あまりにも突然の事で、反撃するタイミングも無く、殴った男には逃げられてしまった。

二人でその高校を出たけれど、腹の虫がおさまらず、市内を探し回ったが、見つける糸口さえ無かった。


 そんな小さな事件なども経験しつつ、彼は無事に卒業し、私も低空飛行ながら留年することも無く一緒に卒業。

私は無難な職場と思った国鉄に職を求め、彼はその後の進学なども考えたのか、東京に職場を求めた。

その会社は旧日本海軍の出身者が創立メンバーだと言う事も彼らしい選択だと思ったのだが。


 彼に誘われて何回も上京した。銀座の歩行者天国が始まったころで、二人で見物に出かけ、

地上の喧騒を避けて地下のライオン堂ビアホールに逃げ込んで、

その地上の世界とは全く違う静寂な世界に驚いたなどと言う事も鮮明に思い出される。

         (続く)

 

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連載195「親友の消息」(その1)

2019-05-17 04:37:41 | 暮らし

  (討ち死に。つまらない授業がようやく終わったのかな)


        親友の消息(その1)

  工業高校に入り、上越線で通学し始めてすぐに小出から通っていた男と友達になった。

いくつかの科がある中で、私と同じ機械科。しかも4クラスあり、クラス替えもあったが、3年間を同じクラスで過ごした。

 

 理数系、文系共にバランスよく優秀で、工業高校だと言うのに理数系に弱い、

決定的な弱点を持った私とは大違いの成績だった。

 しかし、一点本が好きだと言う事だけは二人の共通点。互いに家が貧しく、

高校に通わせてもらうだけでも有難いような話で、小遣いなども当然不足がち。


 それでも、本が読みたい二人は、毎月交代、交互に「文藝春秋」を買って回し読みなんてしていた。

高校生の分際で、通学途中の列車内で「文藝春秋」を呼んでいるなんて、とんでもない早熟な高校生。

今、電車で見かけたら思わず顔を覗き込むことでしょうが。いや、頭を小突いてしまうかな。


 性格的にも容貌的にも古武士を思わせるような男だった。ただ、唯一弱点はと言えば、抜群の運動音痴。

運動、スポーツが苦手だった私よりも格段に何も出来なかった。

          (続く)

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「フジ」も「アンニンゴ」も花盛りに

2019-05-16 04:18:37 | 自然

 例年、ジャガイモ植えの頃がフジの花盛りになる。

でも、今年は遅い。開花がいつもよりも10日以上も遅くなっているのです。

 

 暖冬小雪と喧伝された今年の冬でした。

なるほど、小雪のために雪消えは早かった。でも、気温地温は上がらないのでした。

 

 山のあちらこちらで「アンニンゴ」が花盛り。

食べる、塩漬けにするのに最適なのは蕾状態の時点。華が開いてからでは遅すぎるのです。

 

 花穂と呼ぶのかな。房状の花がけむるように山の薮を彩っている。

花が散り、柔らかな若い実を結び始めた物の塩漬けもある。でも、そうなると花穂の茎などは固くて美味しくない。

 

 山から下りて駅の近くの畑に行く。

昨年大骨折りをして移植した「ブルーベリー」も驚くような数のつぼみを付けています。

 

 「ちょっと蕾の数が多すぎないか」という声もある。

その言葉に迷っているけれど、実を大きくするためには間引きも必要なのかなー。

 いずれにせよ、例年よりも多少遅くは有るけれど春は確実に過ぎつつある。

寒さのためか、ウグイスの鳴き声も心なしに少なく思える。少し不思議な魚沼の春です。

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五反田に「いと路」と言う名の店ありき

2019-05-15 05:13:05 | 暮らし

 昨日は3月31日に満97歳の生涯を閉じた叔母の納骨式に参列しました。

叔母は若くして連れ合いと死別。以後一男三女を苦労して育てます。(子供心にも可愛かった三女は幼くして病没)

 女一人で、社会保障制度も整っていなかった時代に子育てするのは容易なことでは無かったと想像できます。

そして、五反田に小料理屋「いと路」を開店し20年以上にわたってお客さんに親しまれていました。

   (本文と関係ない写真ですが、菩提寺である普光寺の毘沙門堂に通ずる参道です。)

 

 恵まれたとは言えない、そんな境遇でも持ち前の明るさと聡明さと器量の良さで苦難を乗り越えた。

そんな叔母さんはスベルべがいくつになっても「スベルべ君」なーんて、明るい声で電話をくださった。

 結婚後もそんな叔母さんの明るさに随分と元気づけられ助けられていたようです。

一度、東京で働く友人に連れられ、「いと路」を訪れたことも有りました。

 (参道の奥に鎮座する不動明王。有名な裸押し合いの際は真冬にこの手水鉢(うがい船と呼ぶ)に飛び込み身を清める)

 

 「いと路」だと気づいたのは店の前に立ってから。友人は自分の眼鏡をはずしてスベルべに掛けた。

暖簾を潜ると「スベルべ」と大きな声。でも、少し黙っていると「失礼しました田舎の甥に似ていたもので」と。

 スベルべと言うよりも、友人の悪戯にまんまと叔母を載せてしまったわけです。

もちろんすぐに白状して大笑い。大いに美味しい料理とお酒を楽しんだものでしたが。

    (裸押し合いが開催される毘沙門堂です)

 

 スベルべもそのDNAを引き継いでいるところが有るのだけれどそそっかしいところも有りました。

でも、そんな行動も周囲を怒らせるわけでも無く、「あ、またか」と笑わせる愛嬌だったと思います。

    (毘沙門堂の外見です)

 

 納骨の儀はこの毘沙門堂の裏手のお墓に収めて終わり。

55年ぶりだと言いますが、亡き愛していた夫と、可愛かった三女と一緒になれたのでした。

 その後の会食では涙と笑いの叔母さんの話題で盛り上がました。

スベルべの亡母は叔母さんの長姉です。叔母叔父も亡くなり一人を残すのみとなっています。

 大好きだった叔母に別れを告げる大切な儀式でした。合掌。

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