畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

ウルトラマン参上!

2019-05-24 04:16:25 | 野菜

 ウルトラマン参上って古いですねー。

ウルトラマンではなくてカボチャ「ウルトラ万次郎」の苗が入荷したのです。

 

  ネットで注文したのは確か2月のことだった。

記憶が定かで無くなり、注文、注文確定のメールを探す始末だった。

 

  色々な手段で宣伝されているのでご存知の方もいらっしゃると思います。

なにしろ、最大で一株100個も収穫できるのだという宣伝なのです。

 昨年は専用受粉樹と一組をセットで購入し植えてみたのでした。

結果は・・・・。猛烈な暑さで結実しても落ちてしまったりで話半分どころか10個ほどの収穫にとどまった。

 

  昨年は試しとばかりに1セットだけ購入して植えてみたのでした。

暑さで上手くいかなかったけれど、蔓の伸び具合などで好感触を得たので2セットに増やしてみたのです。

 

 昨年作ってみようと思い立ったのは、近所の方の畑を借用していた方が一昨年亡くなられたから。

地主さんは耕作の意思も無く「原野に戻っちゃうのかなー」なんて言われたので借用して植えてみようと思ったのです。

 10アール、一反歩近くの広さがありそうです。我が家の山の畑の近くでもあり、ついで仕事で耕しました。

二回耕しましたが、「ウルトラ万次郎」の成長とともに雑草はまた生え茂ることでしょう。

 でもねー、「休耕地の救世主」なんて言葉にも惹かれます。これ農業委員会の諸氏見ていろよー。

一株100個、二株で200個!宣伝通りにできたら、皆さんにも進呈しましょうかねー。

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強風下でトマトを植える

2019-05-23 04:54:44 | 野菜

 忙しい一日でした。午前中はキュウリを植えた後ケーブルテレビ「魚沼農業日記」の収録。

午後は会議で15時半までつぶれてしまった。

 でも、天気予報は翌日の久しぶりの降雨が予報されて、野菜の植え付けにはチャンス。

一人で、トマトの苗を軽トラに積んで山の畑に向かったけれど、降雨の前兆なのか風が強い。

 

 相変わらず、雑草に囲まれた我が畑。除草薬なんて嫌いで使いませんから。

おっと、向こう側のコンテナには植え付け予定の無い、バジルまで積んできちゃったぞ。

 

 トマトの畝は7本準備した。一畝21本入るので140本余り植えられる。

でも、忙しすぎて苗の総本数を数えなかったら、少し足らない。足らない分は芽欠きした枝で増やそう。

 

 支柱は先日数えて準備し、配置してある。

畝の中の土は雨が降らないので、砂漠のよう。如雨露で水を撒いてから植え付けます。

 

 何とか、運搬してきた分だけは植え付けが終わりました。

本当は支柱を建てて、紐で縛って固定したいのだけれど、宵闇が迫ってきて断念。

 水だけはたっぷりと根元に散水し、帰宅したけれど帰ったら18時半を過ぎていた。

でも、もう一度ハウスに向かって、中の苗類に散水し、扉を閉めてから帰宅したのでした。

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ジャガイモの土寄せを急がなければ

2019-05-22 04:50:45 | 

 さて、気温がなかなか上がらかった春もようやく温かくなってきた。

ジャガイモの葉が大分伸びてきて、土寄せのタイミング到来です。

 

 例年だと後方に見えるフジの花が満開の頃に植えるジャガイモ。

でも、今年は雪消えが早く、それに合わせて植えたから、早い植え付けだった。

 

 頃は良し、と、ばかりに土曜日で子守も必要ないので夫婦二人で土寄せ開始。

伸び始めた雑草を退治する中耕の意味もあり、このタイミングでの土寄せは欠かせない。

 

 こうして、しっかりと根元に土を寄せたら、次の土寄せは機械でする。

畝建て機でタイミングを見計らって土寄せをしたら、上手くいったら一度で済む。

 

 ほら、真っ直ぐなジャガイモの畝に土寄せが進む。

最後に機械で仕上げるために、畝は真っ直ぐでなければならないのです。

 

 スベルべママが初の本格的な農作業で疲れ、腰が痛むという。

スベルべは連日の畝作りで、疲れ果てて足腰が限界に近づいている。

 昨日は後ろに見えるトマトの畝を作った。140本は植えられるでしょう。

一昨日は、ゴーヤとインゲン豆の畝を作った。その前はピーマンの畝。もう何十畝も完成しているのです。

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連載195「友人の消息」(その4終わり)

2019-05-21 05:44:58 | 暮らし

 (1964年!体育館も小さいがその後大きな新体育館が出来、バドミントン部などがお家芸になっている)


           友人の消息(その4終わり)


 その後も、帰郷の都度実家よりも先に我が家に来て、帰京間際まで滞在し「いくら居ても良いけれど、

両親にも顔を見せて帰りなさい」なんて私の母に諭されたりさえしていた。


 その後、叔母の店に一人の若い女性が手伝いに入った。彼はすぐに彼女を気に入ったらしい。

しかし、例の性格で調子よく彼女を連れだすことなど出来ない。

「切符を貰ったけれど、二枚あるから一緒に行きませんか」なんて、

不器用な見え見えの音楽会への誘いなどもしていたらしい。


 ある時、居酒屋周辺に再開発の波が寄せてきて閉店、移転することになった。

事情は分からない。たまたまタイミングが無かったのか、彼にその話は伝っていなかった。

彼は、その女の子が嫌って教えなかったのだと思ったらしい。

傷ついた彼はあんなに親しく付き合っていたと言うのに、私には連絡さえくれなくなった。

武骨でシャイな男が、初めてとも言うべき恋で落ち込んだことは分かる気もする。


 そのまま、何10年もの月日が経ってしまった。

ある日、彼が還暦を前に病気で亡くなってしまった事を知った。

後悔の念が沸き上がる。どうして、再度声を掛けられなかったのだろうかと。

 せめて、彼の仏前にお参りに行きたいと思いつつ、果たせぬままに日ばかり過ぎている。

そう遠くも無い彼の実家は、彼の弟が守っていると言う。

ここの所毎年春のお彼岸にはお参りに行こうと、思いつつ何年もただ過ぎ去っている。

             (終わり)

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連載195「友人の消息」(その3)

2019-05-20 05:00:55 | 暮らし

 (50年前は学校の周りは水田がほとんど。今は水田など影さえ見えない)

       友人の消息(その3)

 通学途中にある普通高校の文化祭があると、従妹から聞き、途中下車をして見物に行った事が有る。

その時、廊下ですれ違いざまに、いきなり殴りかかられ友達は唇を切ってしまった。

あまりにも突然の事で、反撃するタイミングも無く、殴った男には逃げられてしまった。

二人でその高校を出たけれど、腹の虫がおさまらず、市内を探し回ったが、見つける糸口さえ無かった。


 そんな小さな事件なども経験しつつ、彼は無事に卒業し、私も低空飛行ながら留年することも無く一緒に卒業。

私は無難な職場と思った国鉄に職を求め、彼はその後の進学なども考えたのか、東京に職場を求めた。

その会社は旧日本海軍の出身者が創立メンバーだと言う事も彼らしい選択だと思ったのだが。


 彼に誘われて何回も上京した。

銀座の歩行者天国が始まったころで、二人で見物に出かけ、地上の喧騒を避けて地下の、ライオン堂ビアホールに、

逃げ込んで、その地上の世界とは全く違う静寂な世界に驚いたなどと言う事も鮮明に思い出される。 


 その頃、五反田で居酒屋を経営していた叔母がいて、彼に話をするとすぐに探し当て常連になっていた。

ある時、上京し、夜になって飲みに出かけることになった。

居酒屋の暖簾をくぐる前に、彼は私に自分の眼鏡をはずして掛けさせ、私は不審に思いつつ暖簾を共にくぐる。

「あらっ、〇〇!」と叫ばれたが、その時はすでに彼の悪戯に気付き、わざと返事はしなかった。


 「すみません、あまりに田舎の甥に似ていたもので」なんて謝る叔母。

そこで、やおら眼鏡をはずし名乗ってみんなで大笑いしたものだ。

         (続く)

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