夢見るババアの雑談室

たまに読んだ本や観た映画やドラマの感想も入ります
ほぼ身辺雑記です

平岩弓枝著「魚の棲む城」新潮文庫

2006-12-13 21:41:50 | 本と雑誌

平岩弓枝著「魚の棲む城」新潮文庫
大抵の時代劇や小説では悪役を振り当てられることが多い田沼意次を理想に燃える人間として描いたもの

解説 島内景二氏の「さわやかに凛として生きる男と女の心の真実 あるいは心の理想を描き尽くすもの それが 本物の大衆文学なのだ」

この言葉が 心地よい

日頃はいい役が多い松平定信 この作品では 悪人です

白河侯と田安 この二人の名前は 藤沢周平先生の ある作品を 思い出させます


「迎え橋」

2006-12-13 12:59:23 | 自作の小説

窓から赤い橋が見える さらさら流れる川にかかっている

朝晩霧で覆われるこの町の名物である橋

渡るにたやすく けれど越えがたい橋

女は溜め息をつく

多分生きている限り あの橋を渡ることはない

女には帰っていい家がないのだ

仲居の仕事だけ

働けなくなったら その時は行き倒れだろうか

嫌になって飛び出した家

息が詰まりそうだった 全部捨てて振り返りもせず

いつか居着いたこの場所

もう十年になる

玄関にバスがつき 団体客が降りてくる

ぎくりとした 優麗女学院同窓会

―まさか?!―

そんな偶然があろうはずがない・・・

長いようで短い十年

25才になったはず

捨ててきた娘

ショートカットの髪

さ~っと蘇る面影を無理に閉ざす

大広間での食事の用意 姿を捜すのは よしていた

ただ他の仲居の会話から 娘と同じ学年 その年頃の旅行なのだと 判った

「おケイはまだ?」

「温泉つかってたからさ」

「好きだよね~温泉」 「ストレス溜まるんだろうしね 学校の先生は」

「優麗女学院の教師かぁ わかんないもんよね~」

そこにいない人間の話をしているのだった

「ごっめん~いや~いいお湯だわ~ また後で入らなきゃ」乾き切ってない髪をバレッタであげている

その声! 料理を とり落としそうになる

部屋の端から 見つめずにいられなかった

「わ~美味しそう お腹空いた~」 エンジ色の縞柄の丹前が よく映る

あのコなのだろうか?

近くに寄るのは怖かった

ただ気になる

賑やかな若い娘達

その中で一人の声だけを拾おうとしている

近くへ寄る危険は冒せなかった

「で古巣の教師になった気分は?」

「あはは~校長先生は元気だし 旧悪を知る 元担任のオン・パレード

生徒と先生方のニックネーム較べ合いこしてるわ」

「家庭科の先生 元気?」

「趣味の絵手紙をよく書いておられるわ」

―母校の教師に では あの子は まっすぐに育ったのだ 挫けることなく

やがて席を外し 庭へと下りるのが見えた

池のほとりに うずくまっている

少し低い声で背後から話しかけた

この辺りは暗い 顔ははっきり見えないだろう 「お客さん大丈夫ですか」

「少し飲み過ぎたみたい 醜態晒す前に 出てきました」

「ほな お冷やでも お持ちしましょ」

コップに水を入れ 氷 スライスしたレモン

グラニュー糖を入れて戻る

「有難うございます」受け取って ひと口飲んで

「この味 母が来客の酔いざましに作ってたのと同じです 気分が悪い時にも作ってくれました」

ぎくりとしながら尋ねる「お母様はお元気ですか」

味わうようにコップの中身を飲み 少しして答えた

「母はいなくなってしまいました

父の子がお腹にいる・・・そう怒鳴り混んだ女性を 家に住ませるようなこと 父の両親が言い出して わたしは その頃 全寮制の学校に入ってて

母はその生活が耐えられなかったようです

夫の浮気相手に下女みたいに 使われて

一度寮まで会いにきて 何か言いたそうにしていて

お小遣いくれて

そしていなくなりました

でもね 父の赤ちゃんが お腹にいるって 嘘だったんです

家に入り込んで 奥さんの座につく為の

それまで態度がはっきりしなかった父が 母がいなくなってから 漸く避妊に失敗したとは思えない 親子鑑定すると言い出し 探偵にさせた素行調査で 女に他の男がいることも証明して

でも もう遅いのに―

父は後悔して 随分 母を捜したようですが 見つかりませんでした 母をいじめた おじいちゃん おばあちゃんも たて続けに亡くなり 父は今も一人です

あ すみません 変な話して」

「お母様を お恨みになったでしょう」

「いや~よく我慢したなって思いますよ 結構気の強い人だったし 父が可愛いばかりに おじいちゃん おばあちゃんも極端だったから」

娘は明るく笑った

「いいお嬢様だこと もし お母様がいらしたら 随分 嬉しく あなたを誇りに思われるでしょう」

「だったら 嬉しいな わたし 頑張ったんですよ」

「きっと 胸張って生きなさい―自信を持って そう おっしゃるでしょう」涙が溢れて言葉が出なくなる前に 急いで女は続けた「ああ仕事が途中でした ひと足先に戻っていますね 庭へおいでだと お友達に声を かけておきましょう」

「有難うございます」

仕事を終えて女中用の寮に戻りながら 泣きっぱなしであった

その頃 娘は玄関ロビー近くの壁で 歓迎スタッフの写真を 強い視線で眺めていた

この旅館の紹介サイトにもあったのと同じ写真

携帯電話を取り出し「ええ 間違いないと思います」

聞き違えるはずのない母の声

あの酔いざましの味

―やっと見つけた 暗い中でも 右手の甲の丸い火傷の跡を 娘は確かめていた

最後は母への扱いに 悔恨の言葉を遺して死んだ おじいちゃんとおばあちゃん

出来心の浮気―一度だけだったらしいが―を 悔やみ続けた父

父は返事を待ちかねていたのだろう

もう橋の向こうのビジネス・ホテルに来ていると言った

朝 旅館へ向かう母を車内で待つ・・・と言う

母が戻ってくるかどうかは 分からない

まずは 父の口説きと泣き落とし お手並み拝見 成果を信じて待とう

霧が流れる 流れ千切れて晴れていく 水色の空の下で 生垣の山茶花の

濃い緑が映える 生垣添いの細い道を抜けて車道へ姿を表わす和服の女性は 駐車している車のナンバープレートの地名に気付き 足を止めた

降り立つ男の姿を注視し 息を呑む

くるり翻そうとした身体を止めて 必死の面持ちの男

命がかかっているかのように・・・・・

十年離れて暮らした夫婦の間に どんな会話があったものか それは娘には分からない

心配して旅館の外へ出た娘に父親は 呆れるほど嬉しそうな顔で Vサインをしてみせた

橋を渡り 女は自分の家庭へ戻っていく

それは迎え橋 橋を渡る時 赤い欄干が 優しく微笑むように輝いた