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夢見るババアの雑談室

たまに読んだ本や観た映画やドラマの感想も入ります
ほぼ身辺雑記です

「恋結び」

2006-12-07 12:37:05 | 自作の小説

添ひとげる 覚悟を眺む 月一つ

女は夜 駆けていた

抱えるのは包み一つ わずかな着替えと 少しのお金を持って・・・

―あの人が行ってしまう!―

上方へ明日出るのだと届いた文

旦那様の言いつけで・・・

文を言付かった相手は夜まで手渡してくれなかった

「清(せい)さん 清さん」 女の声に戸を開けた男は 息を呑んだ

「今夜は返しゃあ しねぇぜ」 引き返すんなら今のうちだ そう男は目で言った

女は身体ごと ぶつかっていった

翌朝 男は 女が仕立てた着物を身につけ 女が縫った着替えに 女からの餞別を懐中に 長屋を出て行った

女は縫い物を教える先生の手伝いをしながら 針仕事とで 二人の間にできた子を育てながら 男の帰りを待った

一年が二年 二年が五年になった頃 女は男を諦めた

―上方で所帯を持ったかもしれない―

清一の成長ばかりが楽しみだった

7才になった頃 自分が死んだら一人になる子供の事を考えた

―何にむいているだろうか?―

色白の優しげな顔立ちは 父親によく似ていた

ふっと自分の血を思う 女の早くに死んだ父親は大工をしていた ―大工の棟梁なら 知った人がいる!―

女は子供を そこへ預けた

「お母ちゃんは死んだと思って 頑張るんだよ」

それが本当に最後になった

女は 川が氾濫し大水に飲まれた

上方の店を譲り 江戸へ戻ってきた男は 女が死んだことを知る

ずっとほったらかしにした自分の薄情が 悔やまれてならなかった

―すまねぇ― 女のことを忘れたわけではない 用事が済めば 江戸へ戻れると思っていた

それが何年もがかりの大仕事となり 女に出した文は届かず・・・ 行方も判らず

上方から離れるわけにもいかず いつしか男は諦めていた

―死んじまったのか おめぇよう―

手に入れた家を少し手直しすることになり 大工に入ってもらった

棟梁はまだ若い 「あっしは養子なんでさ」 親父が寝込んじまったもんで―

爽やかに笑う

男っぷりが良かった

仕事が早い 腕が良い きびきびした動きは 見ていて気持ちがいい ただ時々溜め息をついた

頼んだ仕事が終わる日 礼も兼ねて 食事に誘った

この若者と別れがたく思うようになっていたのだ

「おめぇさん なんか胸に抱えていねぇかい?」

はっとしたように男を見上げた若者は 「いけねぇ おいら まだまだ修行が足りねえや」 照れたように笑った

太い溜め息一つ

「惚れた女がいるんでさ」

相手は棟梁の娘 こっちが跡を継いでることで 話を娘に無理強いすることにならねぇか― 他に惚れた男がいるかもしれねぇし

と柄にもなく くよくよ言いだせずにいるらしい

「俺っちと所帯をもっちゃあくれねぇか」 それだけの事が言えねぇのだと言う

それに あっしは父(てて)なし子なんでさ

今まで清一なんて ありふれた名前だと 気にもとめずにいた男は 胸が騒いだ

「おめぇさん 歳はいくつになる?」

「二十四になりやす」 「おっかさんは深川の長屋住まいじゃなかったか 名前を おゆき 針仕事の得意な・・・」

清一も顔色が変わった

「若い頃の名は 清太郎と言った」

あれは上方へ仕事で立つ前の夜

戻り次第 夫婦になるつもりだった・・・

そこまで話して 男は畳に手をついた

「すまねぇ・・・」

長い静かな時間の後 男は言った

「心底惚れた相手なら その手を離しちゃなんねぇ」

悔いが残らねぇように 思いっきり ぶつかってみねぇ

五つ年下の女房に頭が上がらない それが微笑ましい夫婦の姿が それから間もなく見られるようになった

気の早い鶯が鳴いている