座長になり懸命に過ごすうち 三十が目の前に来ていた
不思議な気がする
女座長に密着取材という番組の申し込みには驚いたけど 宣伝にもなるのだしと気持ちを切り替えた
今は結婚して旅館の若女将になっている友人へ 電話すると喜んでくれた
わたしは今も彼女が舞台に立つ道を選ばなかったことを少し残念に思っている アイデアとかも豊富な人だった
大切な友人の一人だ
テレビ局の人について来た人がある 二時間ドラマの脚本家だと言う
髭面 黒いサングラス 見るからにうさん臭い シナリオ・ライターは知り合いにいないけど テレビや雑誌で見る脚本家は もっとこざっぱりしているわよ
ぬっと無駄にでかいし 取材だと言って 座員から話を聞いていた
妙に鋭い視線をぶつけてくるので 体を切り裂かれているような気持ちになる
直接には話しかけてこないけど 胃に穴が開きそうだ
いい加減にして!と叫びそうになる
「座長 調子悪くない?顔色悪いような―」 「花琴ちゃん ありがと
次は迎え橋の先だから そうしたら少し休めるわ」
娘役が得意な小柄な相手が心配そうに見上げるのへ 「ここが終わり次第 あちらへ来ればいい そう言ってもらってるの」
ここの後 十日ばかり次の舞台まであいている
それなら早目にきたら と友人が言ってくれていた
あの脚本家もそこまでは追いかけてこないだろう
溜め息ついて向きを変え歩きだすと
「迎え橋って そこがパトロンさんなわけか」
腹立たしいほど知ったかぶりの声が かかった
「?」
「よせやい カマトトぶるのは 声かけられたら断れない売女揃いじゃないか 役者なんてのは 色恋を欲の算盤ではじきやがる」
こいつ 殴ってやろうかと思ったけど こっちの手を怪我しそうなんで 踏みとどまった
「この都藤のご贔屓には そんなケチな了見の方はいやしません 花扇は男など必要としておりませんのさ
てめぇの汚い心で醜い世界でっちあげるのは そちらさんの勝手 どうぞ ご自由になさいませ」
ついでに あっかんべ~もしたかったが我慢した
なんて嫌な奴なんだろう
男なんて そんな暇ありはしない・・・
この世界 早く結婚する人もいるけれど
旅役者って そんなふうに見られるものなのかしら
情けない 悔しいわ
啖呵をきっておきながら ひどく弱く脆くなっている自分を感じていた
次の仕事先の迎え橋 そこへ荷物を届けたら数日自由にして良いと 言ってある
わたしは逃げこもうとしているのだった
橋よ 橋よ いやな相手には 塩まいておくれ 渡らさないでおくれ
渡りながら呟いた
若女将である友人は その脚本家の話を聞くと
「近くに殴りやすい木刀は無かったの 埋めるにいい穴とか」と物騒なことを言う
で 脚本家の名前を言うと真顔で言う
「うちの旦那あの人なんか異様に物書きや芸能人の本名に詳しいんだけど 予約受けてるわ
どうしよ ブッキングでしたって断ろうか?」
「だって宿の信用問題でしょ 部屋にこもって出ないようにするわ」
心配そうな顔に笑顔を作った
「ごめん 逆さ箒のおまじないを その人の部屋に隠しておくわ」 真面目な顔して どっか面白い友は 変なイタズラは得意でもある ちょっと不安になった まさか・・・ね
若女将の旦那 英一郎さんは「ひっかかるな」と思案ありげに言ったとか 英一郎さんは日頃は趣味「奥さん」というくらいに 若女将の陰にいてサポートに徹している
妻である若女将は彼が怒りかけた顔すら見たことがない―と言う
穏やかな人なのだ
その日も英一郎さんと若女将とで 用事片付けがてら 開店した場所へ一緒に行こうと誘ってくれた
出しなになり子供が熱をだし 病院へ連れていくから 「用事は百合子 悪いけれど 私の代わりに片付けてきて」 若女将が拝んだ
用事済ませて 宿へ戻り先に小さな荷物持って車を降りた
例の やな奴が 唇歪めて こちらを見ている 後から車を降りトランク開けた英一郎さんと わたしを見比べた
「たいした荷物だ 貢がせるのは色恋に入らないってか」
「い・・・」 いい加減に!と殴ろうと手をあげた わたしをひょいとどけ
大きな背中が目の前いっぱいになる
そして嫌味な脚本家は尻餅をついていた
「安く見ないで貰いたい 妻の親友に手をだす男ではない だいたい妻に対しても百合子さんにも失礼だ 全ての男が 君の父親と同じではない
せせっこましい了見はあらためたまえ!
気になる好きなコをいじめたい 泣かせたい 悪口言っても振り向いてほしい― 小学生ならまだ可愛いが 格好悪すぎるというものだ」
「・・・」
「百合子さんは家族と同じだ」
穏やかでも怒ると怖い 迫力があることがわかった
英一郎さんが言うには あの脚本家の父親が旅の女役者に狂い 借金してまで貢いだ挙げ句 捨てられ 自殺した 借金を返す為 働き続けて 母は死ぬ
だから女役者は皆同じ と 恨みだらけで見るのだろうと
「お客に手をあげるなんて いけない事です」 照れて英一郎さんは笑った
案外この二人 似たもの夫婦では・・・と思ったのは夜のこと
若女将はお客様への挨拶に各部屋を回っていた
「当館の者が お客様に手をあげたとか 誠に申し訳ありません」若女将は あの脚本家に頭を下げた
「客を選ばないと宿の値打ちが下がりますな」
若女将は ころころ笑った「本当に お客様のおっしゃる通りですわ」
「分かっているなら話は早い 叩き出すんですね」
「そうされても かまわないと?」
「なにっ?!」
「お客様 私にとって百合子は身内も同じ
とやかく言われるのは私共に アヤつけるのも同じことです
百歩譲って 同じ客と言い張られるなら 他の客のこと とやかく言いあげつらうのは マナ―違反でございましょう」
「・・・」
「さて貴方様も仮にも物書き 職業が同じなら人間性も一緒などという考え方が理屈に合わないのはお分かりでしょう
仲良くなれた頃に転校する子の寂しさが分かりますか? 座長というのは大変な仕事です
私は友人として花扇が「百合子」という人間に戻れる場所をいつでも開けておいてあげたい 嫌な事を申し上げました
こんな宿泊まれないと思われましたら 他の宿を手配致しますので いつでもご連絡下さいませ
それでは失礼致します」
後で そのやりとりを仲居さんから聞き わたしは泣きそうになった
若女将は一言も言いやしなかったから
人を庇って自分が矢面に立つ性格は 学生時代から変わってないのだった
クラスの反省会かで一人に非難が集中した時 「私達は そんなに偉いの?完璧なの? みっともない事するのなら 悪いけどイチ抜けるわ」
なんて強い人だろうと思った 級友のほとんどを敵に回しても
やがて芝居が始まり25日間
あの脚本家は余程暇なのか 毎回毎日舞台を見ていた 何を考えているのだろう
気にしないことにする そんな余裕はないのだ 時々テレビの取材の人が来る事もあってか いつも以上の入りだった
座員皆へ大入り袋が配られ 最後の日は二段重ねの豪華な弁当も出た
舞台が終わると「ご苦労様でした また来られる日を 今から首を長くして待っております」 挨拶をして宿へ戻っていく
座員は彼女の事を旅館の名前ではなく 近くの橋の名をとり{迎え橋の若女将}と呼ぶのだった
後を追った私は 彼女が脚本家に話しかけるのを見た
「ひと月近く芝居をご覧になっていかがでしたか? 人は悪くとろうとすれば 幾らでも悪く見ることもできましょう
そういう考え方 生き方も必要かもしれませんがつまらないと思うのですよ
楽しく生きるも不幸を求めて生きるも その人しだい また一つの選択ではあるのでしょう
私はしあわせになれる方がいいです」
女のわたしでさえ見惚れる艶やかな微笑残し影は遠ざかっていく
脚本家は ただ考えこんでいるようだった
できるものの荷造りを済ませ 湯に入り 宿へ戻り 朝まで覚えず眠った
出発を見送りにきた若女将は あの脚本家から手紙を預かってきていた
「車に乗ってから読んでほしいのですって」 「素直じゃない男だ」と英一郎さん
「あら 何 貴方?」軽く睨む若女将に 「経験者なんで 恋わずらいのバカ男はひと目でわかる」
「バカ男ねぇ」
じゃれ合いの痴話喧嘩など始めそうな雰囲気だった
そして手紙の中身は
[まず謝っておきたい 僕は無礼だった 何も見えていなかった こんなにも美しい女が 男がいないはずがない 日本中至る所で 男を騙し 貢がせ巻き上げているに違いない そんな思い込みがあった
そして ただ反感を募らせ ことあるごとに機会を捉え侮辱することに執念を燃やしていた
君の友人のご主人にひと目で見抜かれる底の浅い・・・情けない男だった
直接謝れず手紙で逃げている
あなたが あなたに恋をしていたのだ
あれだけひどい事を言い ひどい態度もとり続けた
役者 都藤花扇としても 百合子という一人の女性としても好きだ
恋をしていると自分に認めてから 楽になった
もし迷惑でなければ
君から 困りますの言葉がない限り 今度は恋する男として あなたを追いかけるつもりだ あなたをモデルにしたヒロインが登場する小説を書き始めた 完成したら送るので読んでほしい]
やっばり勝手な男だと思う
それなのに本の完成と 恋する男として どんな追いかけ方をしてくれるのか 楽しみにしはじめているのだった
橋よ 橋よ 今度は 楽しく渡ることが できるだろうか また来る日まで それまで さよなら 橋よ・・・