ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「ウイークエンド」の山本コウタローさん、逝く

2022-07-16 18:03:29 | うた
先日、山本コウタロー氏が73歳で亡くなったというニュースが流れた。
ああ、また私が若いときによく聴いた歌い手が亡くなってしまったなあ、と残念に思った。

「走れコウタロー」や「岬めぐり」などのヒット曲で知られている山本氏。
一橋大の卒業論文が吉田拓郎に関するものだったのは、有名な話だ。

最初のヒットとなった、「走れコウタロー」は、氏がソルティ・シュガー時代のものだった。
軽快なメロディーは楽しいし、歌の中の当時の美濃部東京都知事の真似をしたセリフはコミカルだったが、競馬に興味はないし、好きな曲ではなかった。

その後、新たに「山本コウタローとウイークエンド」(のちに「ウイークエンド」)を結成して、1974年に「岬めぐり」をヒットさせた。

私の家には、このウイークエンドが出したレコードアルバム5枚のうち、4枚がまだ残っている。



シングルレコードも2枚ある。



実は、私よりも、私の弟がこのウイークエンドのファンだったのだ。
だからか、中学・高校時代にはバンドを作って文化祭などでよく歌っていたが、ウイークエンド同様の3人組のバンドだったなあ。


【弟が買ったウイークエンドの1stアルバムと2ndアルバム】

家にまだ残っているレコードは、弟の買ったものと私の買ったものの両方がある。
だから、「ウイークエンド ビッグ ライヴ’76」というライブアルバムが2枚ある。



当時東京にいた私が買ったものと、新潟にいた弟が買ったものがある、というのがその真相。
学生の私がいた大学にウイークエンドが出演するコンサートがあり、語りも楽しかったので、ライブアルバムを買ってみると、弟も買っていたというわけだ。

ウイークエンドが出した曲で、私が最も好きだったのは、「カリフォルニア・ドリーム」という曲。



カリフォルニアドリーム 心のままに
空にのびる ハイウエイをかける

カリフォルニアドリーム 風にまかせて
果てないこの道を


開放的な曲で、青空と海と車窓から広がる風景が想像できて、聴いていて心地よくなるから、アレンジも軽く、ゴキゲンな曲だった。

語りも楽しかった、と書いたが、山本コウタロー氏は、深夜放送TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」のDJもやっていたと記憶する。
そして、後年は、環境学者・社会学者として、大学の教授となって教鞭を取ったり、講演活動にいそしんだりもしていたというが、そちらの方の活躍については、私はあまり知らなかった。


【ウイークエンドが解散するときのラストアルバム】

先日は、吉田拓郎氏の活動終了のニュースがあり、今度は山本コウタロー氏逝去のニュース。
自分が若者だった頃によく聴いたアーティストたちの終止符の報せが続くのは、なんともさびしい。

でも、彼らが、自分の若いがゆえに揺れる心を歌で支えていてくれたことは、事実なのだ。
当時の歌は、今も残る。
心の中には、何度も何度も流れる。

今、独特の笛の音のアレンジと共に、「岬めぐり」を歌う山本コウタロー氏の声が聞こえる。

岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ

悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう




…合掌。

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吉田拓郎のラストアルバム「ah面白かった」を聴いた

2022-07-05 18:32:32 | うた


先週、吉田拓郎が、自身で「ラスト・アルバム」と位置づけるニューアルバム「ah-面白かった」が発売された。
「フォーク界の若手旗手」とか言われた彼も、もう76歳。
のどに衰えを感じ、2020年のライブツアーを最後にしようと決めていたのだが、この感染症禍でできなかったのだという。

………
私の高校時代に、拓郎は「結婚しようよ」とか「旅の宿」とかをヒットさせていたけれど、なんだか歌の内容が軟弱に感じた。
おまけに、なんだか気が強くて負けず嫌いな言動が目立ち、好きになれずにいた。

それが変わってきたのは、アルバム「今はまだ人生を語らず」を聴いてからだった。



もっとも、聴くきっかけとなったのは、「それがいい」「拓郎に夢中だ」というコがいて(もちろん同年代の女性だ)、そのコから何回も聞かされると、気になってしかたなかったということだったのだが。
ただ、ひねくれ者の私は、すぐには買わなかった。
よく聴きもしないで、あんな軟弱な歌い手の曲なんか聴くものか、と思っていた。

結局買ったのは、そのアルバムがリリースされてから2年以上もたってから。
池袋にあった古レコード店で見つけて思い出し、購入して聴いたのだった。
出だしからノリがよく、アレンジも印象的な曲が続いた。
「ペニーレーンでバーボン」
「人生を語らず」
「世捨人唄」
「おはよう」
…もうここまで一気に聴かされると、それまでの拓郎のイメージが変わった。
非常に男っぽい!
なるほど、あのコが推していたのも分かる!
そう思ったのだった。

それ以来、何年もアルバムが出るたびに購入し、彼の歌を聴いてきた。
また、エッセーもよく出版されていたので、「俺だけダルセーニョ」とか「自分の事は棚に上げて」などの本も、買って読んだものだった。

そんな彼の曲は、10年間くらい聴かなかったこともあった。
だが、自分が50代に近づいたころから、10歳近く年上の彼がまだがんばっている姿に、どんな歌を歌っているのか知りたくて、また楽曲を購入するようになった。

その拓郎も、もう76歳。
のどがもたないとは聴くが、“ラストアルバム”とは、非常に残念だ。

そのアルバム「ah-面白かった」を購入し、聴いた。
CD等と一緒に入っていたライナーノーツには、全9曲について、1つ1つ書かれている文章があった。



1曲1曲じっくり聴きながら、それに合わせてライナーノーツの文章を1つ1つ読んでいった。
ただ曲を聴いているだけではわからない、拓郎の思いが、歌と文章の両方を一緒にすることで、よりはっきりと響いてくるものがあった。
それによって、KinKi Kidsの両名や篠原ともえとの出会い、小田和正との付き合いなどに対しても、人生を通じて感謝の思いをもっていることが伝わってきた。
感謝の思い、ということでは、最後に、母への思いも綴られていたのが印象的だった。

このアルバムの各曲が、それなりにいいなあ、と思った。
だが、このアルバムの曲たちが発表されても、これらがコンサートで披露されることは、もうないのだ。
そのことをとても口惜しく思った。

若い頃から、レコードやCDをたくさん買い、たくさんその曲を聴いてきた。
そのヒーローの一人が引退する。
寂しさと、それに合わせて自分の年齢も同様に上がっていることを、今まで以上に痛感した今回のアルバムであった。
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日かげの道を選んで、「陽陰者」(吉川団十郎一座)というアルバムがあったことを思い出した

2022-06-29 21:39:23 | うた
「日なたの道を」。
これは、今となってはちょっぴり懐かしい「カムカムエヴリバディ」でよく聞いた言葉。



人生で歩ませたいのは、確かに日なたの道。

だけどねえ、こんな真夏日には、「日なたの道」なんて、とんでもない。
ましてRUNに出たなら、なおさらだ。

梅雨明けが発表されてすぐにこの暑さ。
まだ6月だよ。
カンベンしてよ。

そう思いながらも、週に一度くらいはRUNの習慣を続けたい。
今日は10kmを走ると決めていた。
けれども、走り出す前に気温を見たら、すでに32℃。



熱中症警戒情報も出ているし、無理はできない。



それで、日なたと日かげの道があれば、もちろん日かげを選んで走るようにした。



日かげを選んで走っていたら、ふっと歌が浮かんできた。

どうせ おいらは しがねえ日陰者
流す涙は 誰にも見せたくねえ


突然、頭の中に浮かんできたのは、吉川団十郎一座の「日陰者」という曲。

これって、1976年ころに出されたライブアルバムLP「陽陰者」に入っていた曲だったよな。



アルバム名は「陽陰者」だけど、収録されている曲は「日陰者」だった。
おのれの貧乏な生まれ育ちを嘆く歌ではあった。

すると、走りながら、気持ちはそのアルバムに入っていた曲に気持ちが移っていった。
吉川団十郎一座といえば、「ああ宮城県」がヒットしたよなあ。
宮城県民は元気が出る歌だった。
このアルバムでもその歌の最後には、「宮城県、バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」と万歳三唱もしていたっけ。

「みにくいアヒルの子」というのも入っていたなあ。

みにくいアヒルでも
いつかは なれるさ
きれいな白鳥に


その歌もよかったけれど、自分は、アルバム最後に入っていた「母ちゃん」という曲が、素朴で好きだったなあ。

ああ母ちゃん 長生きしろよ
オレが結婚するまでは


この曲は、東京で1年目の学生生活を終えようという頃、NHKFMの夕方の歌番組にリクエストしたら、採用してもらえた思い出がある。
ただ、その日のラストの曲だったので、最後までは流れなかったことも覚えている。

「日陰者」のように暗く悲しい歌もあったけれども、ライブということもあって、感情豊かで気持ちを明るく元気にさせてくれる歌が多いアルバムだったなあ…。

日なたの道を走れず、日かげの道を選んだから思い出した「陽陰者」の歌たち。
「カムカム…」が放送されていたときは全く思い出さなかったのに、こんな暑い日に走っていて思い出すなんて、面白いものだなあ。
もう46年も前の歌たちなのに。


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平和を求めて歌うミュージシャンたちがいる

2022-06-21 21:39:38 | うた
「歌うことしかできないから」
COVID-19感染症やロシアのウクライナ侵攻で、閉塞的な空気が流れる中、こういうセリフを言って、「何かできないか」と考えた。
その結論が、「歌うことしかできない」。
そんなことを、先日さだまさしが出演した番組で語っていた。
その彼が、最近歌っている歌が、「キーウから遠く離れて」。



そして、ウクライナ侵攻については、こんなふうな話もしていた。

止められることだったのかもしれないと思うと、なぜ止められなかったのか、ということと、我々には何もしてあげられないというもどかしさを感じています。
僕は歌を作ることが仕事なので、歌を歌って表現しています。


そして、今夜のNHK「クローズアップ現代」は、「いま音楽にできること 桑田佳祐66歳 “同級生”と平和を歌う」と題した放送があった。

桑田佳祐と同じ1955年~56年に生まれた「同級生」の大物ミュージシャンたちによるチャリティソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」が紹介されていた。



桑田佳祐、世良公則、CHAR、野口五郎、佐野元春らが参加して結成されたバンドが発表した曲が大きな話題を呼んでいるという。
桑田と世良の親交がきっかけとなって、ウクライナ情勢や長引くCOVID-19感染症禍の中で、音楽でできることをしようという考えが根底にあったという。
番組では、桑田との独占インタビューを通して、今回のバンドや曲のことについて話が進んでいった。

興味深かったのは、桑田が、自分なりに和訳して、ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」を弾き語りしたことだった。
「50年も前にこの曲を聴きながら、今になってこの歌を自分で歌いたくなるとは思わなかった。」
そう言いながら、後半には、インタビューした桑子アナにハモリを依頼し、その場でギターを弾いて自分訳の「風に吹かれて」を歌う姿は、伝わってくるものがあり、印象的だった。

歌は、やはり、いい。
その歌を歌って、自分にできることをしたいと思うミュージシャンたちが、いい。

「時代遅れのRock’n’Roll Band」の歌詞には、

No More  No War

という言葉がある。
歌は、本来やはり平和なときにこそ、似合っているものだと思うのだ。
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「みなみらんぼうべすとこれくしょん 人生と旅」、松山千春「君のために作った歌」「こんな夜は」を久々に聴く

2022-06-20 20:45:37 | うた
1970年代後半というか、昭和50年代前半というか、その時代が自分が最もよく曲を聴いていた時代だった。
あの頃、洋楽は、私には詩が理解できず、何を歌っているのかわからないから、好きにはなれなかった。
素直に自分の思いを詞や曲に表すフォークとかニューミュージックとか言われたジャンルが、好きだった。
そして、多感な若い時代ゆえ(?)、自分の気持ちを代弁してくれるような歌い手を求めていた。
だから、今風にいえば、LPレコードを買って、自分だけの「推し」をもつのがあの頃の当たり前だった。

10年以上前にレコードから電子データに変換したが、あまり聴いていなかったものがある。
あの頃の自分が好きだった「推し」の曲を聴いてみたくなったので、埼玉でいろいろと作業をしたときに、そんな曲を流してみた。
代表的なものを2つ。

1つめは、みなみらんぼうの「みなみらんぼうべすとこれくしょん 人生と旅」。



「ウイスキーの小瓶」とか「人生は回転木馬」、「空っぽな心で」などを聴いて、うんうんとうなずいていた時代があったと、懐かしかった。
一番のお気に入りは、B面の最後の曲、「別れのバス」。

もう泣かないで さよならしましょう
最終のバスが すぐ駅を出ます
もう少し僕が 大人だったなら
君を幸せに できたかもしれない

こんなところは、自分の数少ない(?)経験の情景とダブっていたせいかもしれない。
別れてしまうのは、自分が未熟だったから。
そんなことを考えたりしていた。
若かったからね、感情がまっすぐだったんだよ。
だから、「ウイスキーの小瓶」の詩にあこがれてか、安いウイスキーもよく飲んだものだった。

2つ目は、松山千春の「君のために作った歌」「こんな夜は」。
前者は、デビューアルバムで、後者は2枚目のアルバム。



これらのアルバムは、いずれも「季節の中で」がヒットする前のもの。
デビューアルバムの中で特に気に入っていたのは、「大空と大地の中で」。
スケールが大きく、いかにも北海道人が作った歌だと思った。
松山千春を知ったのは、当時の一番の友人が北海道の十勝地方出身だったせいで松山千春を強く意識していて知っていたから、よく話を聞いたものだった。
その友人も、いかにも北海道人らしい大らかさを持っていた。
学生時代を終えて、しばらくは連絡が取れたのに、いつからか手紙も宛先不明で返ってきてしまうようになってしまった。
彼は、今頃どうしていることだろう?
生きているのだろうか…?

そして、2枚目のアルバム「こんな夜は」。



この中の曲たちを久々に聴きながら、しみじみと聴いてしまったのは「父さん」だった。
若者が、少しずつ齢をとっていく父親を歌った歌だった。

悲しいです 時の流れが
貴方をかえていくことが
小さく見える あなたのそばに
いつも僕が 父さん
貴方の明日に 幸あれと
貴方の明日に 幸あれと


私にとって、この歌を聴いていたころは、20代前半で、父は50代だった。
でも、この歌のような感覚があったということが思い出された。
この歌をきちんと聴いたのは何十年ぶりだろう?
もう、自分がその「父さん」の年齢を超えてしまっているのだ…。


昔の、若い頃の自分がよく聴いていたアルバム曲。
たまにはこうして聴いてみるのも、自分の人生を振り返ることになって、いいのかもしれない。
そんなことを思った時間だった。
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やっぱアリス、いいわあ!

2022-05-20 21:40:04 | うた
昨夜10時、NHKの音楽番組「SONGS」を見た。
昨日のゲストは、われわれには懐かしいというか、うれしいアリスの登場だった。



いつもこの番組では、MCの大泉洋のちょっと饒舌な話し方が気になるのだが、昨夜はミュージック界の大御所(?)的な3人組を前に、それはちょっと控えていたようだった。

番組の構成もよかった。
最初に「冬の稲妻」を歌って場が盛り上がった後、アリス結成からの10年間の軌跡や、中国からの招きで行った上海でのコンサートを紹介した。
3人のバックには、何十人かの昔からのファンの人たちがいて、その中には上海コンサートまで行った人も2人いた。
成田からチャーター機に乗って、初めて中国本土で行われる上海のコンサートに、200人くらいも行ったというのだから、当時のアリスの人気・勢いが分かる。
そのアリスが、売れるようになるまで時間がかかった話も、すでに知っていたとはいえ、苦労話は、今聞いても面白いものだった。

番組では、昔のヒット曲が次々と披露された。
なつかしい…!
アリスのヒット曲の数々は、私自身の学生時代と重なる。
最初にファンになったのは、大学1年生当時の「遠くで汽笛を聞きながら」だった。



この歌には、あの当時の自分が強く共感できるところがあった。
新潟に帰省した際には、弟が弾くギターに合わせて2人でよく歌ったものだった。

その後に、ヒットをねらった「冬の稲妻」が見事に当たって、一挙にメジャーになった。
それ以降は、「涙の誓い」「ジョニーの子守歌」「チャンピオン」と、大ヒットが続いた。
私自身も、出る曲、出るアルバム、それぞれ気に入って次々に購入したものだった。



彼らの歌は、サウンド的にカッコよさがあり、歌の中には気持ちのストレートな繊細さが表れるものも多かった。
そんなところが、若い自分の心情によく合った。

昨日の番組での会話を聞いてみて思ったのだが、カッコよさは谷村新司が、ストレートな気持ちは堀内孝雄が、それぞれ担っていたのかもしれない。
そして、間に音楽をよく知った矢沢透がいることが強みだったのじゃないか、とも。
番組の中でもふれていたが、堀内は谷村に対するライバル意識が強かった。
それを和らげてくれるような矢沢の存在があった。
3人の適度な距離感が、なれ合いではない緊張感を生み、よい音楽を生んできた。
そんなことがよく分かった。

その3人が70歳を超えて、また3人での活動を続けている。
昨年出された「告白」という曲は、この番組内でも歌われたが、最近の私のお気に入りでもある。



「あなたが好きだ あなたが好きだ」というフレーズで始まるこの曲は、長年サポートしてくれたファンへのお礼の歌でもあるという。
これを初めて聴いたとき、「アリスサウンド」そのものだと思えた。
何年、いや何十年たっても変わらない魅力があることを聴かせてくれた。
彼らの曲を聴くと、元気が出てくる。
実にうれしい。

やっぱアリス、いいわあ!
若い頃も、そして今も。
アリスを好きでよかった。
そう思わせてくれるいい時間だった。
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65歳になって、「人生が二度あれば」(井上陽水)を聴く

2022-03-18 22:03:18 | うた
二月に65歳になった。
あれ?
そんなシチュエーションの歌があったぞ。

そうそう。
井上陽水の「人生が二度あれば」だ。
久々に聴いてみる。

1番の歌詞を追っていく。

父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ 
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯吞みに写る 
自分の顔を じっと見ている

人生が二度あれば
この人生が二度あれば


この歌が世に出たのは、1972年。
アルバム「断絶」のなかの1曲だった。



今から数えると、なんとちょうど50年も前の歌ではないか。

自分が若いときに聴いた歌なので、この歌を歌う若い世代の側にいるつもりでいた。
なのに、今はしっかり「歌われている」年代の65歳になってしまった。

あの当時この歌の歌詞を新しい感覚で聴いていたのに、今その年齢になって聴いてみると、「そんなじゃねーぞ!」と反発したくなる。

確かに、顔のシワは増えたかもしれないし、仕事に追われてはいなくなったが。
でも、湯呑みに写る自分の顔をじっと見て人生を振り返るには、まだ早過ぎるという感覚だ。
だけど、50年前の65歳って、こういう「完全な高齢者=老人」だったのだよなあ。
決して自己弁護しているわけではないが、50年後の今では、65歳は高齢者の仲間入りの年齢でしかなくて、完全な老人とは言い難い。
これが、時代の移り変わりというものか。

そして、この歌の2番では、64歳になる母のことが歌われている。
歌われるその母親像は、さらに昔を感じさせる。

子どもだけのために 年とった
つけもの石を 持ち上げている


「子どもだけのため」「つけもの石」
これが母のイメージだったということだ。
そして、さらに、

子どもを育て 家族のために 年老いた母

と、母の人生を憐れむように歌う。
ここには、世に出て働く母のイメージはない。
ひたすら家庭内でおさまる母だ。

今、若い人たちにこの歌を聴いてもらっても、きっと感じるものは少ないだろうなあ。
でも、あの頃は、この歌も、若者の心を代弁する歌だったのだが…。

この歌があったことを思い出し、改めて聴いてみて、時代が大きく変わっていることを改めて強く感じた私であった。



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「Triangle」(SMAP)が17年後の今また話題に

2022-03-11 20:41:24 | うた
SNS上で、この曲についての投稿が相次いでいるということを知った。
解散してしまったSMAPが、17年も前に歌っていた曲だが、最近、デジタルシングル部門で3位になったという。
この曲には、こんな歌詞もある。

破壊でしか見出だせない 未来の世界を愛せないよ

大国の英雄(ヒーロー)や戦火の少女
それぞれ重さの同じ尊ぶべき生命だから

こんなところが、ロシアのウクライナ侵攻に心を痛める人々の共感を呼ぶようだ。

作詞作曲は、市川喜康さん。
2004年に制作したとのこと。
「Triangle」とは「トライアングル」、三角形の意味だ。
銃を構える人、
銃を突きつけられる人、
そして、それを見ている自分
…の三角形。
先の2者と自分は、辺でつながっている。

市川さんは、この歌に願いを込めていた。
「傍観者になってはいけない。同じ地球上に住む人が、銃を突きつけられていたり、構えていたりする。
みんながトライアングルでつながっている中で、同じように僕らの心に突きつけられていると感じないと変えられないということだろう。」
「大きい小さいにかかわらず、自分ができることをやろうとみんなが思うようになれば、世界は少しずつ変わっていくのではないか。」

この歌の最後には次のような詞で結ばれる。

精悍な顔つきで構えた銃は
ほかでもなく
僕らの心に突きつけられてる
そう、怯えるキミの手で


今、ウクライナのことは、やはり他人ごととは思えない。
自分なりに何ができるのだろうと考える毎日でもある。

歌は歌でしかないが、この歌は確かに私たちに突きつけているものがある。
私たち一人一人がただの傍観者であってはいけないことは確かなのだ。
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3月だ 「どこかで春が」と感じる

2022-03-01 20:18:07 | うた
3月になった。
いよいよ春がそこまで来ているなあという気分になった。
今日は、雪ではなく降ったのは雨だったから、なおさら。
風も少し強かった。
庭の中の雪どけも進んだ。

ふと浮かぶ、小学校で歌う歌。

どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 鳴いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 そよ風吹いて
どこかで春が 生まれてる


みなさんご存じ、「どこかで春が」。

ちょっと調べてみると、この歌の詩は、大正時代の後半に作られ、百田宗治(ももた・そうじ)という人が作詞したものに、草川信(くさかわ・しん)という人が、曲をつけたのだという。
その名前の響きが、ちょっぴりいいぞと思ったりする!?(苦笑)
草川信は、様々な童謡の作曲に当たっている。

ゆりかごの唄(北原白秋作詞)
夕焼小焼(中村雨紅作詞)
緑のそよ風(清水かつら作詞)

これらは、私たちにもなじみの深い歌だ。
いい歌を作った人だったのだなあ、と思った。

ところで、「どこかで春が」の歌詞で、もともとは「そよ風吹いて」ではなかったのだとか。
「東風吹いて」だったらしい。
「東風」は「ひがしかぜ」ではなく「こち」と読むことは、多くの人が知っているだろう。
早春に吹く東寄りの風のことだ。
だから、意味としては「東風吹いて」がふさわしいのだろう。

まあ、「そよ風」でなく「東風(こち)」でもいいのだけれど、「そよかぜふいて」でこの歌を知って歌ってきた身としては、「こちふいて」だとずいぶん歌いにくいと感じる。

でも、雪解けの水が屋根や雨どいを伝って、水路に注いでいるし、ロウバイが咲き出したし、たしかに春が生まれている気がする。



かつて、この歌をたくさんの子どもたちと歌っていたことを懐かしく思いながら、本格的な春の訪れを待ちわびる、3月の始まりである。


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「遠い日」(フォーリーブス)のシングルEPレコードを手に入れて

2022-02-24 20:46:19 | うた

昔聴いた歌が、不意によみがえって頭の中で繰り返されたり口ずさんだりしていることがある。
そういう歌は、たいがい自分が若い学生の頃に聴いていた歌である。

今日に限って あなたへの
手紙を入れる封筒が 見つからなくて


最近の自分の脳裏に、こんなフレーズが浮かんでは消えていた。

この歌は、遠い日のものだよなあ…と思いながら、「そうそう、この歌は『遠い日』という歌だ」と思い当たった。
どのくらい遠いかというと、今から40年以上前になる。
当時布施明が「シクラメンのかほり」を大ヒットさせて日本レコード大賞を取るなどしたが、その歌を作ったのは、小椋佳であった。
あの当時、小椋佳ブームが起こっていた。
小椋佳自身が歌う歌はもちろん、彼が作った歌を歌いたい人も多かった。
熱唱型の布施明が、しっとり歌う「シクラメンのかほり」は、その代表的な曲であった。

さて、「遠い日」は、小椋佳ブームの1975年に、小椋佳が作詞作曲して、フォーリーブスが歌った曲だった。
作詞者名は、葉月多夢となっているが、これは小椋佳の別名だ。

フォーリーブスといえば、ジャニーズ事務所の歌って踊れる若い4人組だった。
ジャニーズ事務所といえば、今も派手なダンスを見せたりするが、フォーリーブスもステージでバック転をやったりして、いかにも若いアイドルグループであった。

そのフォーリーブスが、いっさい踊らずに歌だけで勝負したのが、この「遠い日」であった。
あのフォーリーブスが派手な動きを見せずに、歌唱力で勝負していた。
時には、4人の中でボーカルを代えて歌っていたのを思い出す。

いつでも聴けるようにしたいなと思って商品検索してみたが、デジタルミュージックとしては引っかからない。
そこで、EPレコードとして検索してみたら、見つかった。
金額も手ごろだったので、ポチッと押してレコードで購入した。
ほどなく送られてきたレコード。



レコードジャケットは、何とも懐かしい4人組の写真だった。
もう、このメンバーのメインボーカルだった青山孝は20年ほど前に亡くなっているのだよなあ…。

さっそくレコードを聴いてみて、懐かしい歌に触れることができた。
1975年秋の歌であり、私が自宅浪人のころ発売されたものだった。
いかにも小椋佳の作詞作曲と感じさせるものだった。
だが、小椋佳は、この曲を自身で歌ってみせたことはなかったのではないかと記憶する。



ところで、「遠い日」がA面で、B面は?と思って見てみたら、「バイバイ?」という曲だった。
さすがにB面は知らないなあ、と思って、聴いた後に作った人の名前を見たら、驚いた。
作詞:奈良橋陽子 作曲:武川行秀 
と書いてある。

えっ!!?
「ナラハシヨウコ」「タケカワユキヒデ」だって!?
このコンビって、あのゴダイゴの「ガンダーラ」や「モンキーマジック」を作ったコンビじゃないか!!
彼らが売れたのは、ドラマ「西遊記」がヒットしたからだ。
そこで使われた曲がヒットして、ゴダイゴは人気グループとなったのだった。
そのコンビが、3年も前に組んで楽曲を提供していたとは。



おまけに、よく見ると、「遠い日」も「バイバイ?」も、「演奏―トランザム」とあった。
トランザムは、この2年後に「ああ青春」や「ビューティフルサンデー」(田中星児の方がヒットした)でブレークしたバンドだ。
これまた懐かしい!!

小椋佳、奈良橋陽子、タケカワユキヒデ、トランザム…。
フォーリーブスの曲だったのに、こうも懐かしい名前が次々と出てくるとは…。
いかにも、「遠い日」の自分に会えるような気がした。

40年以上前のEPレコードをゲットして、なんだかとてもノスタルジックな気持ちになった。
曲からも、ジャケットからも…。
あえて注文して手に入れて、よかったよ………。
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