ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

キノコ採り

2009-10-23 18:19:42 | 自然・季節
朝、出勤するとき、職場玄関の松の木の植え込みにキノコをいくつか見付けた。
ハツタケやヌメリイグチに見えたので、休憩時間に近寄って確かめてみた。
残念ながら、ハツタケに見えたものは、触って傷をつけてみても、傷口が青くならなかった。ということは、ハツタケではないということ。
でも、ヌメリイグチは、本物。間違いなかった。
ついでに、職場の人と二人で、あちこちを見まわしながら敷地内と周辺を散策(?)した。
すると、アカマツの多い辺りで、コケの生えた湿気の多い所に、いくつかのキノコを発見した。
ヌメリイグチやアミタケ、そして正真正銘のハツタケ(上の写真)などがあった。
驚いて二人で、キノコ採りを始めてしまった。
懐かしいなあと思いながら、短い時間、キノコ採りを楽しんだ。
こうして、採ろうと思ってキノコを探すのは、ほぼ40年ぶりだった。

私が子どもの頃、集落のある海岸近い松林からは、とてもたくさんのキノコが採れた。
ヌメリイグチは、当時住んでいた集落では「ババタケ」とか「ウマガチャ」と呼んでいた。
アミタケは、「ノノメ」とか「ヌノメタケ」と呼んでいた。
40年くらい前には、松林には、住民がよく入った。枝落としや松葉かきなどを行っていた。
だから、キノコを育てるための上質な(?)コケがよく育っていたのである。

一番おいしいキノコとして、「キダケ」というのがあった。
コケの下に隠れて、人の目にはなかなかふれない。発見しにくい。
コケがいつもよりも少しふくらんだように見える。そういうコケの下に、キダケが生えているのであった。
密集して生えているキダケを見つけては、喜び勇んで採ったものだった。

しかし、やがて、当時の新潟県の「100万トン米づくり運動」などで、松が切られ、松林がどんどん切り開かれて畑になっていった。
さらに、切り開かれない松林も変わっていった。
住民が今までのような松林の手入れをしなくなってしまったのだ。
それまでは、松の枝や葉は、風呂の焚き付けに使われていた。松葉は堆肥にも使われた。
風呂は、薪でたいていたのだが、その頃からガス湯沸かしによることが多くなっていった。
手入れがなされなくなった松林は、荒れたりなくなったりして、キノコが生えるような環境はなくなってしまったのだった。

ヌメリイグチあたりは、ちょっとしたところにも生えやすい。そのせいか、今の世でも結構見かけることが多い。
生えるための環境として、まず、松の木があること。そして、下にコケが生えていると、なおよいようだ。今回、それを再確認した。

とはいうものの、今の世では、さすがにキダケは採れない。
私にとって、キダケは、40年来見ていない「幻のキノコ」になっている。
やはり手入れの行き届いた広い松林、上質なコケ。
それらなくして、キダケは生えてこないのだろう。
一度失われた自然は、簡単に取り戻せない。
秋に身近なキノコにも、そのことを感じさせるものがある。
コメント
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