ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

明日は、12月8日

2011-12-07 22:53:51 | ひと
12月8日。
真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったのが、70年前。
ジョン・レノンが暗殺されたのが、31年前。
そんな歴史的なできごとがあった日。
だけど、自分にとってみると、5年前の伯母の命日、というのが、12月8日の一番大きな出来事と言ってもよいと思う。

一時は、同じ家に同居していた伯母と従姉。
やがてかつてのわが家の隣に、小さな家を建てて、伯母と従姉の親子2人は移り住んだ。
そんなことがあって、隣同士だったから、気楽に行き来していたものだった。
隣に行っては、平気で上がり込んで、菓子などをいただいたものだった。
さらに、伯母のことで最近よく思い出すのは、「食」のことなのだ。

伯母は、朝早くから自転車に乗って、魚の行商に出かけるのだった。
帰ってからは、夕方畑仕事に出かけ、野菜などを作っていた。
夏は、スイカを作っていた。
遠くから来た私の友達に、そのスイカをふるまってくれたものだ。
ふんだんに食べられることを、彼らはうらやましがったものだ。
だから、自分が作った訳でもないのに、なんだか鼻が高かったものだ。
同じ夏の新潟の食べ物と言うと、「なす漬け」がある。
伯母の作ってくれたなす漬けは、うまかった。
母の作るものより、数段上の味がした。
母も、それは認めていた。
私は、学生時代の夏の帰省では、なす漬けで、新潟のうまいご飯をさらにお代わりして食べるのが楽しみだった。
秋のものというと、同じ漬物でも、なすのように単品で漬けるのではない、複数の具材(?)が入っている、みそ漬けが好きだった。
新潟や山形では、菊の花を食べる習慣がある。
伯母が作るみそ漬けには、その黄色い食用菊とシソの実などが入っていた。
少しくらいは大根やニンジンも入っていたが、この菊とシソの実のみそ漬けが、本当においしかった。
新米の季節に、さらにご飯が進んだものだ。

でも、そのような何気ない食べ物でも、今となっては手の届かないものになっている。
伯母が亡くなると同時に、様々な出来事ばかりでなく、おいしかった食べ物のことも、すべて今となっては幻となってしまった。
そのように食をはじめとして様々なことで、幸福な気分にさせてくれた伯母。

明日、12月8日。
まる5年になる命日を迎える。

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