初めての外泊。
試験外泊。
家で土日を過ごす。
何もなく無事に過ごせればいいのだが。
そう思いながら、土曜日午前10時半、妻とともに、娘を病院に迎えに行った。
外出となると、娘は、目もとや頬に化粧して待っていることが多い。
なんとなくアンバランスな印象を受ける化粧なのだが、本人は外出する時の当たり前のこととして、行っている。
家について、娘がいつもまずすることは、仏壇に手を合わせること。

これは、病気前から習慣化していたことだ。
昔からの習慣は、忘れていない。
まもなく昼食。
娘は、そうめん以外なら、と言っていたのだが、暑い日でもあり意向を無視してそうめん。

食後には、千葉県在住の「おじちゃんち」(弟夫婦)から送られた梨を食す。

病院ではテレビを見ることはほとんどないのだが、家では、ついているとぼうっと見ている。
やがて、3時を過ぎ、家から最も近いスーパーに、夫婦で娘を買い物に連れていくことにした。
娘は、買い物が好きなのだった。
ただ、今までの試験外出では、大勢の人がいる場所に出ることが悪く働くことを懸念して、スーパーに買い物に出たことはなかった。
娘にとって、このスーパーに入るのは、1年3か月以上の久しぶりのことであった。
いつもなら、カートは妻が押すのだが、今回は娘が押す。

足元が時折ふらつく娘としては、絶好の手押し車となった。
スーパーの大勢の中を歩くということも、少々怖いことだったので、今までの外出(一時帰宅)ではさせていなかった。
何もなく、無事に買い物ができてよかった。
帰宅後は、最近ずっと口癖だった「アイスが食べたい」を実現。
先週同様のチョコミントアイスほかのおやつを食べる。
カロリーが高すぎないように。
夕食前に、風呂に入れた。
本来なら病院では、入浴日。
家で入浴することも、入院以来初めてのことだ。
浴室で一人にさせるのには怖さがあった。
ところが、娘は長風呂であった。
何度も、脱衣所からガラス越しに「大丈夫か?」と声を掛け続けるはめになってしまった。
やっと出てきたと思ったら、コンディショナーが落ち切っていない、と言って、再び浴室に戻ってシャワーを浴びる始末。
はらはらした。
幸い、体の不調は起こらず、夕食の時間となった。
家族4人で、夕食となった。
家族4人の夕食は、1年4か月ぶりとなる。
にぎやかなのは、何より。
皿の上のものも、結構あっという間になくなった。
私がその後驚いたのは、夕食が終わって、食器洗いを終えてもまだ8時になっていなかったことだ。
いつも仕事の後病院に寄って娘に会ってから家に帰って食卓に着くのは、9時近くであった。
食器を洗い終えるのは10時を回っているのが常であった。
なのに、すべてを終えてまだ8時である。
ああ、休日はこれが普通だったのだな、と改めて普通の生活を尊いなと思った。
わが家の娘のベッドは1階にあった。
だが、夜寝るに当たって、もし突然痙攣が起こったりした場合、同じ部屋でないと対応ができない。
そう考えて、われわれ夫婦と同じ2階の部屋で、娘と合わせ3人が、「川」の字になって寝ることにした。
もっとも、本来の「川」は、子どもが真ん中のはずだが、わが家では今一番体が小さいのは妻である。
娘が「ノ」となり、妻が真ん中、私が右側のふとんで寝た。
そのせいか、妻は、娘の様子や私のいびきが気になって、よく眠れなかったようだ。
夜中過ぎ、起き上がってトイレに娘が向かったのは、私にもわかった。
朝も、普通に起きることができた娘。
ほっとした。
午前中は、妻と娘で一緒に今日も2か所買い物に出た。
昼食後は、病院なら昼寝するのだが、この日もせずに過ごした。
フジサンケイ男子ゴルフの中継をだらだらと見続けていたのだが、野球よりもこちらを面白がって見ていた娘であった。
この日のおやつは、チョコミントアイスではなく、抹茶アイス。
そして、せんべい。
やがて、5時となり、病院に戻る時間となった。
体調に異変は起こらず、何よりであった。
仏壇に手を合わせ、長い祈りを捧げた後、「行ってきます」と言って、玄関を出た娘だった。

病院に着いて、行先を娘に判断させてみると、入院している病棟に足は向かなかった。
エレベーターに乗って、病室は何階か、ボタンを押させると、3階を押した。
エレベーターを降りて歩いてみると、違いを感じた様子。
再びエレベーターに乗って、上の階のボタンを押す。
扉が開いて、けげんそうにキョロキョロする娘。
通りかかった看護助手の方が、「お帰り。」と声をかけてくれたら、ホッとしたらしい。
せかせかと歩き出した。
病室番号は言えなくても、室札の下にかけられたガチャピンの絵を見つけ、自分の病室だと確信していた。
家に帰って来たこと、一泊してきたことは、なんとなく覚えているのだが、他の記憶はすでにあいまいなものになっていた。
3時間ほど前に食べたアイスをチョコミント味だと言っていた。
この昼に焼きそばパンを食べたことも、忘れていた。
いろいろなことを話すたびに、返答に困っていた。
やはり、記憶障害の改善はなかなか簡単ではない。
娘は、今日の記録の最後の欄に「家に帰りたい」と書いていた。
2日間にわたって帰って来たばかりであったのだけれど、それゆえやっぱり家がいいということだ。
だけど、PTの成果が出ているようで、つまずいたりふらついたりすることは少なくなった。
階段の上り下りも確実にできた。
体調不良さえ起こらなければ、家で生活していく方が、精神的にはきっと落ち着いて過ごせることだろう。
家で実生活を送りながら、改善を図っていく。
その方向で進もう。
近いうちに退院させてもらい、家で家族みんなと共に暮らしていこう。
そう決心も固まった、初めての外泊であった。
試験外泊。
家で土日を過ごす。
何もなく無事に過ごせればいいのだが。
そう思いながら、土曜日午前10時半、妻とともに、娘を病院に迎えに行った。
外出となると、娘は、目もとや頬に化粧して待っていることが多い。
なんとなくアンバランスな印象を受ける化粧なのだが、本人は外出する時の当たり前のこととして、行っている。
家について、娘がいつもまずすることは、仏壇に手を合わせること。

これは、病気前から習慣化していたことだ。
昔からの習慣は、忘れていない。
まもなく昼食。
娘は、そうめん以外なら、と言っていたのだが、暑い日でもあり意向を無視してそうめん。

食後には、千葉県在住の「おじちゃんち」(弟夫婦)から送られた梨を食す。

病院ではテレビを見ることはほとんどないのだが、家では、ついているとぼうっと見ている。
やがて、3時を過ぎ、家から最も近いスーパーに、夫婦で娘を買い物に連れていくことにした。
娘は、買い物が好きなのだった。
ただ、今までの試験外出では、大勢の人がいる場所に出ることが悪く働くことを懸念して、スーパーに買い物に出たことはなかった。
娘にとって、このスーパーに入るのは、1年3か月以上の久しぶりのことであった。
いつもなら、カートは妻が押すのだが、今回は娘が押す。

足元が時折ふらつく娘としては、絶好の手押し車となった。
スーパーの大勢の中を歩くということも、少々怖いことだったので、今までの外出(一時帰宅)ではさせていなかった。
何もなく、無事に買い物ができてよかった。
帰宅後は、最近ずっと口癖だった「アイスが食べたい」を実現。
先週同様のチョコミントアイスほかのおやつを食べる。
カロリーが高すぎないように。
夕食前に、風呂に入れた。
本来なら病院では、入浴日。
家で入浴することも、入院以来初めてのことだ。
浴室で一人にさせるのには怖さがあった。
ところが、娘は長風呂であった。
何度も、脱衣所からガラス越しに「大丈夫か?」と声を掛け続けるはめになってしまった。
やっと出てきたと思ったら、コンディショナーが落ち切っていない、と言って、再び浴室に戻ってシャワーを浴びる始末。
はらはらした。
幸い、体の不調は起こらず、夕食の時間となった。
家族4人で、夕食となった。
家族4人の夕食は、1年4か月ぶりとなる。
にぎやかなのは、何より。
皿の上のものも、結構あっという間になくなった。
私がその後驚いたのは、夕食が終わって、食器洗いを終えてもまだ8時になっていなかったことだ。
いつも仕事の後病院に寄って娘に会ってから家に帰って食卓に着くのは、9時近くであった。
食器を洗い終えるのは10時を回っているのが常であった。
なのに、すべてを終えてまだ8時である。
ああ、休日はこれが普通だったのだな、と改めて普通の生活を尊いなと思った。
わが家の娘のベッドは1階にあった。
だが、夜寝るに当たって、もし突然痙攣が起こったりした場合、同じ部屋でないと対応ができない。
そう考えて、われわれ夫婦と同じ2階の部屋で、娘と合わせ3人が、「川」の字になって寝ることにした。
もっとも、本来の「川」は、子どもが真ん中のはずだが、わが家では今一番体が小さいのは妻である。
娘が「ノ」となり、妻が真ん中、私が右側のふとんで寝た。
そのせいか、妻は、娘の様子や私のいびきが気になって、よく眠れなかったようだ。
夜中過ぎ、起き上がってトイレに娘が向かったのは、私にもわかった。
朝も、普通に起きることができた娘。
ほっとした。
午前中は、妻と娘で一緒に今日も2か所買い物に出た。
昼食後は、病院なら昼寝するのだが、この日もせずに過ごした。
フジサンケイ男子ゴルフの中継をだらだらと見続けていたのだが、野球よりもこちらを面白がって見ていた娘であった。
この日のおやつは、チョコミントアイスではなく、抹茶アイス。
そして、せんべい。
やがて、5時となり、病院に戻る時間となった。
体調に異変は起こらず、何よりであった。
仏壇に手を合わせ、長い祈りを捧げた後、「行ってきます」と言って、玄関を出た娘だった。

病院に着いて、行先を娘に判断させてみると、入院している病棟に足は向かなかった。
エレベーターに乗って、病室は何階か、ボタンを押させると、3階を押した。
エレベーターを降りて歩いてみると、違いを感じた様子。
再びエレベーターに乗って、上の階のボタンを押す。
扉が開いて、けげんそうにキョロキョロする娘。
通りかかった看護助手の方が、「お帰り。」と声をかけてくれたら、ホッとしたらしい。
せかせかと歩き出した。
病室番号は言えなくても、室札の下にかけられたガチャピンの絵を見つけ、自分の病室だと確信していた。
家に帰って来たこと、一泊してきたことは、なんとなく覚えているのだが、他の記憶はすでにあいまいなものになっていた。
3時間ほど前に食べたアイスをチョコミント味だと言っていた。
この昼に焼きそばパンを食べたことも、忘れていた。
いろいろなことを話すたびに、返答に困っていた。
やはり、記憶障害の改善はなかなか簡単ではない。
娘は、今日の記録の最後の欄に「家に帰りたい」と書いていた。
2日間にわたって帰って来たばかりであったのだけれど、それゆえやっぱり家がいいということだ。
だけど、PTの成果が出ているようで、つまずいたりふらついたりすることは少なくなった。
階段の上り下りも確実にできた。
体調不良さえ起こらなければ、家で生活していく方が、精神的にはきっと落ち着いて過ごせることだろう。
家で実生活を送りながら、改善を図っていく。
その方向で進もう。
近いうちに退院させてもらい、家で家族みんなと共に暮らしていこう。
そう決心も固まった、初めての外泊であった。