ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(56)~退院~

2014-09-17 12:33:09 | 生き方

退院の日を迎えた。
幸い良い天気であった。
病院では、今日も9時から40分間、PTを行ってくれていて、病室に娘はいなかった。
妻と荷物を片付けて、大きな荷物は先に車に運んだ。
病室に私が戻ると、PTの担当者と妻が話をしているところであった。
だいぶ足元がしっかりしてきたけど…などと話してくれた。
こうしたリハビリも、退院後は週に1度通うだけになる。
医師、看護師、薬剤師、OT、ST、相談員…様々な方々から話していただいたり説明を受けたりした。
今後は、主治医も変わることになるそうだ。
この病院で3回目の「転医」になるとのこと。
OT、STの方からは、病室に掛かっていたガチャピン・ムックの札を外して、プレゼントしてもらった娘であった。


病室を出た。
食堂となるホールには、おやつの時間としてテーブルについている方々もいた。
娘は、いつも自分が座る座席の向かいの方がいるのを見つけ、サヨナラの手を振った。
以前同室だった方も、看護助手の方に押してもらった車椅子に乗って、見送ってくださった。
娘に、前の病院を退院する時のような涙はなかったけれど、エレベーターの前で見送ってくださる方々を見て、本当にたくさんの方々にお世話になったのだなあ、と改めて感じた。
チームで、患者同士で、患者を支えている病院、ということを実感した。

病院の玄関を出て、両手に荷物を持ちながら、駐車場に止めた車に向かって歩いていく途中、涙が出てきた。
娘の入院以来、何度目の涙だろう。
退院と言ってもまだ安心はできないながら、今度は転院ではなく自宅に戻る退院である。
救急車で運ばれてから、1年と4か月。
様々な山や谷があった。
いや、谷に落とされることの方が多かった。
やっと、ここまで来た。
そう思っていたら、涙が出ていた。


家で、どのような過ごし方をするのか、家でどのような回復が図られるのか、まだ想像ができないが、長年過ごした自分の家で過ごすことは、病院にないリラックスを生むとは思う。

1年前の「救急の日」、ようやくICUから一般病室に移ることができた娘だった。
あの後の回復が順調なら、もう少しシャンとした状態で退院できただろうと思うが、その後も何度か襲われた全身痙攣のたびに、回復は遅れたように思う。
そのうえ、大切な記憶も、さらにさかのぼって失われていったように思う。
それが残念だが、あれさえなければ、などと思っていても、状況がよくなるわけではない。
500日近くの時間をかけて、退院の日を迎えたことをまずは喜ぼう。
まだまだこれから…のところは多いのだけど…。

まずは、
退院、おめでとう、マイ・ドーター!




…さよなら、病室の暮らし。





コメント (2)
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