ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

娘よ(57)~発作 救急車 ICUへ…~

2014-09-19 23:24:04 | 生き方
本日夕方、職場に妻から電話が入った。
娘が、家で入浴中にけいれんを起こして倒れたという。
意識は戻ったが、寝かせている。早く帰ってきてほしい、とのことだった。
職場では、若い職員の相談に乗っているさ中だったが、事情を話して、職員の判断に任せることにした。
書類を作って遅くなっても届けるはずだった所に、おわびしながら届けるのは来週になると、伝えた。
ほかにも、退勤後に寄るはずだった所に断りの電話を入れた。
焦りながら、極力冷静な運転を心がけながら、家へと車を飛ばした。

家に帰ると、妻から連絡を受けた息子が、娘を風呂場から脱衣所に移動させたと言う。
救急車を呼ぶか、どうしたらいいのか迷っていると、妻は言っていたが、まずは病院に相談することを勧めた。
妻が病院に相談し、救急車を呼ぶことにし、電話を切ったとたんに、私の眼前で2度目のけいれんが起こった。
手足が勝手に動き、白目をむいた。
幸い、口で息はしていた。
救急車が近づく音がしたので、私は、外に出て救急車に向かって誘導の手を挙げた。
救急隊員が3名駆け付け、娘に向かって名前や生年月日を問うた。
名前はかろうじて言えたが、生年月日に返答はなかった。
救急車に妻が同乗して、最初に入院した病院へと娘は運ばれた。
私と息子も、自家用車で病院に向かった。

脳のCTでは異常はなかったらしい。
そう教えられても、なかなか家族は呼ばれない。
救急外来の待合室で待つこと約2時間。
ようやく名前を呼ばれ、さらに10数分待たされ、集中治療室ICUへ。
ICUでも20分近く待たされ、ようやく娘と面会できた。
ICUの病室は、1年余り前、最も長く滞在した病室であった。
「眠い。」と娘は言った。
「(家族が)みんな、いる。」と、うす目を開けながら、家族の存在を認めた。
「いいんだよ。ゆっくり休みなさい。」
そうわれわれは言って、娘を安心させることに努めた。
娘は、われわれが持って行った「ガチャピン」のぬいぐるみに顔をうずめて、寝ようとしていた。
看護師の方は、1年前に入ったことも覚えてくれていた。
とりあえず2週間くらいは入院となるらしい。
7月1日以来の発作。
去年の5月末から始まった病院生活を終え、やっと退院したのが一昨日。
まだ家での暮らしも、3日目でしかなかった。
かわいそうと思うばかりだ。
今日の午前中は、親戚からシュークリームや花など、たくさんいただいた。
ところが、娘も食べたがっていたシュークリームも、今日は食べさせることができずに終わってしまった。
悔しいかぎりだ。
いったい、どこまで娘は苦しまなくてはいけないのだろうか。

 せっかく退院して自宅で暮らし始めたばかりだったのに。
 あれほど望んでいた家に帰れたばかりだったのに。
 本当に悔しい。

コメント
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