先月、「劇画家」のさいとうたかを氏が亡くなった。
氏と言えば、「ゴルゴ13」。
単行本で202巻も刊行されたとか、主人公のデューク東郷が感情を表に出さずに、人間の真実を語っているとか、そのすごさがあちこちでいろいろと語られている。
だけど、50数年前、子どものころの私にとって、ヒーローはゴルゴではなかった。
まだ、ゴルゴ13は誕生していなかった時代なのである。
私が子どものころ、さいとうたかを氏によって、「マンガ」に、写実的で迫力のある「劇画」が加わった。
その功績は偉大だと思う。
さいとうたかを氏の描いた、私にとってのヒーローは、「ザ・シャドウマン」であった。
「ザ・シャドウマン」は、子どものころ毎月買っていた月刊雑誌「少年」に連載されていた。
その雑誌には、手塚治虫の「鉄腕アトム」や横山光輝の「グランプリ野郎」などのマンガも掲載されていたのだが、私が最も好きなのは、この「ザ・シャドウマン」だった。
「ザ・シャドウマン」の主人公は、片桐毅という新聞記者で、世界征服をたくらむ大きな犯罪組織に潜入した。だが、マッドサイエンティストの博士により、超人兵士を作る実験台にされてしまった。その結果、半端なスーパーマンの力を持つ人になってしまった。
日光の当たるところでは普通の人間として過ごせるが、日陰で超人の力を出せるときは全身が真っ黒になり、頭髪だけ真っ白の「シャドウマン」になってしまうのだ。
シャドウマンのときは、銃で撃たれても弾を体から出してしまうほどの不死身の超人だが、ふだんは普通の人間として生活するのだ。
その彼が、先の犯罪組織と戦うヒーローとして活躍する。
こう語ると、石ノ森章太郎の「仮面ライダー」に似ているところがあるが、これは、その数年前に発表された作品なのである。
スーパーマンのような不死身の体になっても、人として正しい心を失わず、悪の組織の博士から出された、完成された力を持つ超人2号や、そのうえ透明人間となって襲う超人3号と戦う、「ザ・シャドウマン」。
ただ力が強くなって、悪と戦う姿がかっこいいから好きだった、というわけではない。
2号との戦いでは、相手をやっつけながら、最後には生コンの海に沈む2号を助けようとして手を伸ばしたシャドウマン。
だが、2号が着けていた重い鉄の鎧があだとなって、助けきれなかった。
「彼を、化け物ではなく人間扱いできるのは、自分だけだと思った」
というようなセリフに、子ども心ながら人間らしい複雑な感情と重みを感じたのを覚えている。
毎月、シャドウマンの活躍を楽しみに月刊誌「少年」を買っていたのだが、1968年3月号で、「少年」は、突然休刊(実質上の廃刊)となってしまった。
残念であった。
もっとストーリーが続いてほしかった。
さいとう氏の逝去により、こんな作品があったことを思い出した。
その後、「ザ・シャドウマン」は、秋田書店からコミックス単行本として全3巻で刊行された。
わが家の車庫のどこかに、捨てずにまだとってあったはずだが、はたして残っているのかな…?
氏と言えば、「ゴルゴ13」。
単行本で202巻も刊行されたとか、主人公のデューク東郷が感情を表に出さずに、人間の真実を語っているとか、そのすごさがあちこちでいろいろと語られている。
だけど、50数年前、子どものころの私にとって、ヒーローはゴルゴではなかった。
まだ、ゴルゴ13は誕生していなかった時代なのである。
私が子どものころ、さいとうたかを氏によって、「マンガ」に、写実的で迫力のある「劇画」が加わった。
その功績は偉大だと思う。
さいとうたかを氏の描いた、私にとってのヒーローは、「ザ・シャドウマン」であった。
「ザ・シャドウマン」は、子どものころ毎月買っていた月刊雑誌「少年」に連載されていた。
その雑誌には、手塚治虫の「鉄腕アトム」や横山光輝の「グランプリ野郎」などのマンガも掲載されていたのだが、私が最も好きなのは、この「ザ・シャドウマン」だった。
「ザ・シャドウマン」の主人公は、片桐毅という新聞記者で、世界征服をたくらむ大きな犯罪組織に潜入した。だが、マッドサイエンティストの博士により、超人兵士を作る実験台にされてしまった。その結果、半端なスーパーマンの力を持つ人になってしまった。
日光の当たるところでは普通の人間として過ごせるが、日陰で超人の力を出せるときは全身が真っ黒になり、頭髪だけ真っ白の「シャドウマン」になってしまうのだ。
シャドウマンのときは、銃で撃たれても弾を体から出してしまうほどの不死身の超人だが、ふだんは普通の人間として生活するのだ。
その彼が、先の犯罪組織と戦うヒーローとして活躍する。
こう語ると、石ノ森章太郎の「仮面ライダー」に似ているところがあるが、これは、その数年前に発表された作品なのである。
スーパーマンのような不死身の体になっても、人として正しい心を失わず、悪の組織の博士から出された、完成された力を持つ超人2号や、そのうえ透明人間となって襲う超人3号と戦う、「ザ・シャドウマン」。
ただ力が強くなって、悪と戦う姿がかっこいいから好きだった、というわけではない。
2号との戦いでは、相手をやっつけながら、最後には生コンの海に沈む2号を助けようとして手を伸ばしたシャドウマン。
だが、2号が着けていた重い鉄の鎧があだとなって、助けきれなかった。
「彼を、化け物ではなく人間扱いできるのは、自分だけだと思った」
というようなセリフに、子ども心ながら人間らしい複雑な感情と重みを感じたのを覚えている。
毎月、シャドウマンの活躍を楽しみに月刊誌「少年」を買っていたのだが、1968年3月号で、「少年」は、突然休刊(実質上の廃刊)となってしまった。
残念であった。
もっとストーリーが続いてほしかった。
さいとう氏の逝去により、こんな作品があったことを思い出した。
その後、「ザ・シャドウマン」は、秋田書店からコミックス単行本として全3巻で刊行された。
わが家の車庫のどこかに、捨てずにまだとってあったはずだが、はたして残っているのかな…?